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    Perfume研究4 裏切りの季節

     秋葉原に一人の孤独なヲタがいた。桃井はるこというヲタだ。ヲタを自称する彼女はPerfumeの3人が生まれる10年前に生まれた。小さい頃から卵と魚介類の食物アレルギーがあり、誕生ケーキも食べられず、給食のおかずも残すことが多かった。好き嫌いするなと教師に言われて無理やり食べると具合が悪くなり誰にも知られないようにトイレに行って吐いた。ジャニーズのような他の同級生が噂するアイドルタレントには興味が持てなかった。アニメが好き、女性アイドルが好き、秋葉原の雰囲気が好きな彼女と会話を共有できる友達は誰もいなかった。彼女は中学時代の頃の自分を濁った水槽にいるみたいだったと振り返る。家と学校を往復するだけの生活。いじめの対象にもなった学校生活は息苦しさしか覚えなかった。そして成績は学年でトップだったにも関わらず彼女は定時制高校を進路に選んだ。同世代の均質な慣れ合い空間になじめなかったのだ。
    「わたしはずっと、自分の居場所が欲しかった。中学校のころ、学校になじめなくて、落ちこぼれで、深夜ラジオへの投稿が生きがいだった。高校生のころ、ネットと出会い、アイドルマニア仲間の同士と出会い、「自由」を手に入れた。そしてわかった。いままでの状況のほうが異常だったんだと。学校と家の往復だけ、同世代だけの限られた友人。「だけ」の毎日。ネットでは年齢・地域・仕事・様々な事情をとびこえて人と人、考えと考えがつながる。ネットはわたしにとって翼か、剣だ。年齢も力もお金も住所も関係なく、自分をのびのび出せる場所。」
     桃井は自分の好きなアイドルやアニメの情報がネットにあふれ、書き込めばいろんな人からレスポンスがもらえる生活に浸っていった。自分と共通するものを持った人がどんどんつながっていくのが楽しくてしょうがなかった。そんなつながりから自分のホームページを持ち、いろんなサイトや雑誌に記事を書くようになった。
     アイドルが好きでオタ芸と言われる観客と一体となったコール&レスポンスや踊りに夢中になっていた。そして独学で楽曲を作り自分が好きなアイドルに提供したり、自分自身が疑似アイドルとして歌い、ライブをやるまでになった。秋葉原やネットから教えてもらえることの方がずっと多いという理由で大学を中退し、秋葉原をホームとして活動に専念した。秋葉原でストリートライブもやった。「萌え」という秋葉原特有の言葉を、秋葉原文化を広める原動力ともなった。
     アイドルヲタには2種類のタイプがあるという。マジヲタとDD(誰でも大好き)だ。ヲタ以外は一般と呼ぶらしい。マジヲタとは一人のアイドルにのめりこむタイプでそのアイドルについて聞かれれば夜を徹してでも語り、情熱を惜しまない。ライブやコンサートでは「レス」を持ちたいと願う。「レス」とはライブ中にアイドルと目が合ったり、ニコッと笑ってもらったり手を振ってもらえることだ。そして、「認識」されたいと願う。握手会とかで自分の名前や顔を憶えてもらいたい。それが幻想だとわかっていればいるほど、胸が締め付けられる程、「認識」されることを欲するのだ。ただ、好きなアイドルがスキャンダルに巻き込まれたりするた時の傷も深い。打ち込んだ情熱が深ければ深い程、立ち直りも遅い。
     DDは失うことが恐いのかアイドルの周辺にいてグループの誰もが好きという位置にいる。ヲタ同士と語らいハッピを着てヲタ芸に打ち込んだりグッヅを収集したり。ヲタである自分が好きなのか。「誰も愛さない、だから誰からも愛されなくてもいい」とうそぶくようなところがある。好きなアイドルが引退しても平気そうに、もうそんなに彼女も若くなからしょうがないよと悟ったようにヲタ同士で語ったりする。引退ライブでもアイドルに背を向けたままヲタ芸に打ちみ声を上げ踊る続ける。そんなDDがトイレの中でボロボロに泣き、トイレットペーパーで涙と鼻水を一緒にかんで洗い流したりする。マジヲタとDDは対極にあるようにみえて根は一緒なのだ。不格好で不器用な心優しき人間達をヲタと呼ぶのかもしれない。
     ヲタをモチーフに「言葉はきっとグライダー」という動画を作ってみた。



     大学を中退して音楽活動を開始した桃井はるこは2000年にメジャーデビューする。アニメソングを歌うだけではなくアニメの声優としても活躍を始めた。『UNDER17』というグループを作りコミックマーケットでのイベント・ライブ活動や、数多くの美少女ゲームへの歌謡曲提供し秋葉原に確固としたジャンルを作り上げ2004年に解散した。解散する前の8月に渋谷O-EastでPerfumeと共演している。
     その後、桃井が単独で音楽活動を再開する頃の話だ。ミュージシャンの友達にメールで事務所に呼び出された。既に何人かの友達もきていた。そしてテーブルの上にはバースデーケーキがのっていた。(サプライズ、祝ってくれるんだ。でもアレルギーで食べれないって言わないと)そう思うと同時に「わぁ、ケーキありがとう」と少し大げさに喜んでみせた。『桃井さんお誕生日おめでとう』と書かれたチョコレートが置いてある。桃井は切なくなった。
    「おいしそうだなー、でもわたし食べれるのはこのプレートだけかな・・」自虐的に笑ってみせる。そんな桃井に友達はこう言った。
    「これ、卵入ってないんだよ、卵なしケーキなの」そういえばチーズケーキだ。
     桃井の無理に作っていた笑いが止まった。
    『覚えててくれたんだ』泣きそうになった。
    「おい、さっさと始めちゃおうぜ」と照れくさそうにもう一人の友達が電気を、涙の跡を消してくれる。7本のローソクに100円ライターで火を灯し、思い切り願いをかけて桃井は吹き消した。
    『この気持ちを、ずっと忘れないでいられますように』
     27歳で初めて食べた誕生ケーキはとてもおいしかった。

    「私を救ってくれたのはインターネットじゃない。「人」だ。
     私を励まし助けてくれた人だ。
     ネット上で会えた、人だ。
     隣で応援してくれた、人だ。
     今、私はそれを強く言いいたい。ありがとう。」
                               (桃井はるこの「アキハバLOVE」より)

     Perfumeは2003年春に上京しアミューズのBEE-HIVEの活動に参加しながら8月「スウィートドーナッツ」でひらがなの「ぱふゅーむ」から英文字のPerfumeとしてインディーズデビューをした。他のアイドルと差別化したいというアミューズ側の意向を受けてヤマハミュージックの中脇雅裕氏が同じヤマハ系列の中田ヤスタカを起用する。

     2004年3月17日 インディーズ2ndシングル「モノクロームエフェクト」発売。
    売上1018枚 オリコンウィークリー117位。

     Perfumeの楽曲を一人で引き受けることになる中田ヤスタカはこの年capsuleでアルバムがオリコン35位に順位を上げ、ジブリとのコラボを始める。そしてPerfume大量の楽曲を提供し単独ライブすら夢ではなくなった年だ。
     中田ヤスタカはこの時、24歳。
     Perfume のアートワークやPVでぶれないイメージコンセプトを作りだすことになる関和亮氏はCDジャケットを担当し、次から映像もやらせてほしいと願い出て採用される。 
    関和亮氏はこの時、27歳
     Perfumeの振付師及びライブの演出家になるMIKIKOさんは、まだ広島に拠点を置きアクターズでダンスを教えていた。ダンサーとして広島を拠点として活動することへのこだわりが強く、まだ振付師として演出家として生きていく決心がついていなかった。
    MIKIKO氏はこの時、26歳
     Perfumeのテクニカル面を将来背負うことになる真鍋大度氏はPerfumeという面白いグループがいると仲間内で話題になっていたがぴんときていなかった。真鍋氏がライゾマックスの設立するまで後2年。
     真鍋大度氏は、この時27歳
     将来のPerfumeを支えるスタッフたちはこの頃、名誉も地位も実績もお金もなかった。もし何かあるとすれば、新しい何ものかを生み出す自負と誇りだけだったのかもしれない。
     2004年から2005年にかけてPerfumeの3人の身近にいて相談相手になれたのはアミューズのマネージャーと掟ポルシェ氏、宇多丸氏くらいだった。

    2004/9/8 インディーズ3rdシングル「ビタミンドロップ」発売。売上 802枚 オリコンウィークリー119位。

     アミューズはCDの在庫を抱えるリスクをレコード会社に置き、原版権として売上の10~20%を自社のマネジメント料とアーティストへの分配を行うのがビジネスモデルだ。802枚であれば売上80万円でアミューズへの配当を仮に最大の20%としても16万円だ。そこからマネジメント料をとってCDの制作費を捻出する。当然、シングルの売上が16万円では赤字である。
     この頃、アミューズから徳間ジャパンの篠木氏にメジャーデビューの打診があった。篠木氏は徳間の前にリワインドレコーディングスという、アミューズとビクターが共同出資して作った会社で制作部長をしており、その当時から付き合いがあったアミューズのスタッフが「何とかして売り出したいユニットがある」ということで篠木氏に相談にきた。
     徳間は、演歌歌手の多い中堅のレコード会社でPerfumeの楽曲が理解されるかは微妙だった。篠木氏はとにかく音を聴いてみて、それから原宿や秋葉原などへ彼女たちのライブに何度も見に行ってみた。それでもピンときたわけではなかった。世代も違い、篠木氏の年代からはわかりづらいことは確かで、徳間の編成会議ではいろいろな意見が出るであろうことは予測できた。”詞の意味がわからない”、”ピコピコした音のどこがいいのか”・・・

    2005ストリートライブ


     Perfumeは2005年から積極的に秋葉原でストリートライブを行った。それまで石丸電機等でCDのキャンペーンをやったりしていたが、新しい客層をつかむためにテクノというイメージがなじむ秋葉原にターゲットを絞って精力的に活動した。
     これまで6か月に一回CDを出してきたが2004年3月はなんの発表もなかった。メジャーデビューがまだ、決まっていなかった。
     春3月というのに雪が降り出す。ストリートライブをやり始めた頃。あっというまにあたりは雪におおわれ「わー、雪だ、きれい」と言っている間に歩行者天国が中止になった。このままではライブができない、急遽歩道でのライブをゲリラ的に行った。当然無許可だ。ただ、秋葉原の客は変わったことをすると食いつきがよく、すぐカメラを向けてくれる。4月も引き続き秋葉原でストリートライブを行うが、2曲目の「モノクロームエフェクト」の途中で警察に止められて中止。それでもめげずにライブをやる。秋葉原をホームとする桃井にPerfumeの活動が耳に入らない筈がない。この頃からPerfumeは秋葉原で桃井が開くイベントに顔を出し会話するようになる。

     6月にはメンバーとスタッフ総出で7月7日のライブチラシ配り&チケットの販売を行う。メジャーデビューが決まったのだ。ライブでメジャーデビューを発表するのだから力が入る。
    最終的に篠木氏がアミューズの中村チーフ、石井、山本の三氏の情熱を買って会社を説得してくれた。篠木氏は語る。「情熱を持って一生懸命取り組んでいるスタッフの気持ちを感じ取り、分からない文化を受け止める勇気も必要だ。熱意を持つ若い人間の後ろ盾になってあげるのが”大人”のスタッフの果たす役割ではないかと」
     最後は「おもしろいから、やってみましょう」と社内会議で言い放ち、説得したという。その頃、秋葉原とつくばを結んだつくばエクスプレスが7月に開設されると話題になっていた。秋葉原で活動しているテクノグループとして売り出すのに「つくばイクスプレス」と「リニアモーターガール」をタイアップしてはどうかという古い世代にも理解しやすい案を出してデビュー作が決まったという。

    あ~ちゃん「2005年といえばメジャーデビューの年です。広島限定デビュー、インディーズデビュー、そしてメジャーデビュー、最後の砦、最後で最後です。メジャーですから、これでダメなら、もうダメ、そいで決意を固めて、頑張った年だと覚えてて、あれ覚えとる」
    かしゆか「覚えとる、覚えとる。いろんなとこ回ったよね」

    2005_制服

     あ~ちゃん「レコード会社の方に挨拶みたいなの行って、会議みたいな、新曲とかメジャーデビューとかする人が来る会議現場みたいなところで、『Perfumeです。よろしくお願いします』みたいな、『制服で来とるよー』みたいなこと言われて、で、『頑張ってね』みたいなこと言われたから、『頑張ります!』みたいな、そんな感じだった、会議が終わって偉い人に挨拶しに行ったじゃん。なんとか部長さんです、『よろしくお願いします』なんとか課長さんです。『よろしくお願いします』社長さんです。『よろしくお願いします』、この人がPerfumeをつなぎとめてくれたすごい人です。『え!、いやー、ありがとうございますー』とか言ったんだけど、『まあ、後、3枚、後3枚出してあげるから、いい思い出に、次の道も考えてといてよ、』そういうことをね」
     かしゆか「高2だっけ(そう高校2年生)いい経験になるからって」
     あ~ちゃん「まるで、今、いい感じに行こうという時なのに、みたいな、いっぱい、挨拶して超前向きな感じで頑張りたいという思いでさー」
     かしゆか「希望に満ち溢れたとった時よね、やっとメジャーデビューができるってなって」
     あ~ちゃん「ありがとうございます、ありがとうございますって顔なんて上がらんわけよ、ずっとこの状態ですよ、びっくりしたよね。いい経験になるんじゃないみたいなこと言われて」
     のっち「オイオイ!って、エッて!」
     あ~ちゃん「3枚だけ出してあげるからー、エーって!」
     のっち「すごい、悔しかったよね。」
     あ~ちゃん「でも、あの時だけは、話したよね」
     かしゆか「帰り道に」
     のっち「本当に結成してから短いというか、その場だけのグループってわけでもないし、それをさー、なんか、ずっと頑張ってきたのに、ポンと入ったレコード会社の偉いかもしれんけど、なんもわからん人にさ、3枚だけ出して解散して、いい思い出にーみたいな、思い出ーッ、これから私たち頑張って行くのに、何言ってんのって思って、3人で帰り道歩きながら、すごい言ってたよね。あの坂道は忘れんねー」
     あ~ちゃん「言ってた、珍しく、広島弁丸出しみたいな感じで」
     のっち「珍しくね、言っとったし、悔しかったし」
     あ~ちゃん「同じように思っとったしね。あの坂道は忘れんね!」 
                                    (PefumeLOCKS)

     音楽業界というのは10本出して1本ヒットが出ればOKの世界である。毎年400組のミュージシャンがデビューして消えていく世界だ。この時の3人には厳しかったかもしれないが、現実であることは確かだ。3人はこの時の口惜しさがバネになったと言っている。3枚だけ出して解散と言っていた人も今やカツサンドとか差し入れ持ってきてくれるらしい。
     7月7日の渋谷O-Westで9月21日にメジャーデビューすることをPerfumeは観客に告知した。

     夏休みに入って血迷ったとしか言えないような活動をPerfumeは行う。9月にメジャーデビューが決まっているのにデビュー作とは全く関係ない「アキハバラブ」という楽曲を歌い、グループ名を「ぱふゅーむ×DJ momo-i(モモーイ)」と変えて毎週秋葉原でライブをやり、8月末にCD発売した。メジャーデビューのためのプロモーション活動ではない。打ち水大作戦という秋葉原から愛知地球博のイベントに参加する仕事だった。そのイベントのために歌うにしても今のPerfumeの姿から見ると「アキハバラブ」は非常に奇妙で特異にみえる。

     ・作詞作曲が中田ヤスタカではない。(桃井はるこ)
     ・ステージに立つのが3人だけではない。(桃井はるこを含めて4人)
     ・声の加工がない。(生歌で3人が歌う)
     ・地球温暖化とかいう政治的メッセージがある。(スポンサーが地域と政府だからか)
     ・振り付けがMIKIKOさんではない。
     ・アートワークやPVが関さんではない。
     ・フリコピ用の上下左右のDVDが付属している。
     ・衣装がヘソ出しルック。(コーディネートは桃井)
     ・原版権がアミューズにない。(Perfumeが自分のライブで勝手に歌うことはできない)
     ・グループ名がPerfumeではない。
     ・主役がPerfumeの3人ではない。

     アキハバラブとは桃井はるこが自分の理想のアイドルをトータルプロデュースする夢を実現させたものだ。原盤権をアミューズが持っていないことから、事務所サイドは音楽制作には何も関わっていない。打ち水大作戦用アニメの声優の作業など桃井サイド中心で動いている。また、制作に当たって桃井個人の持ち出しも多かったに違いない。それほどたった一曲のためにあらゆる部分に桃井自身で手を入れている。何故、そこまでPerfumeのへの楽曲提供にこだわったのだろうか。

     桃井「あのー、この曲はですね、結構、私自身の夢も詰まった、私自身の曲なんですよ。やっぱり2度とないこの夏じゃないですか、今年は、秋葉と愛知地球博でイベントとかやりましたけど、もちろん3人は、前からそうやって出会ってね、英文字のPerfumeとして活動してたわけですよ。それとこのひらがなの「ぱひゅーむ」として、この桃井と、秋葉原という場所で、前からアキハバラブ歌ってもらおうと思ったのは、やっぱり秋葉原でストリートライブをやってたから、Perfumeがやってるの知ってたから。
     どうです?ひらがなの時と英語の時の違いみたいなものは?」
     あ~ちゃん「のりとかも全然違うしー、なんかアキハラブの時の方が、のりがスゴイいいよね。皆さんやってくれるし」
     桃井「独特のノリが、あるので、でもね、実はすごくね、本音を言えば不安だったんですよ。全然違う、180度違うことじゃないですか、昔からのPerfumeファンの人もね、まあ許してやるかみたいな感じで、ありがたいなと思って」
     あ~ちゃん「でもアキハラブをやってるときの方がすごい気持ちがよかったです」
     のっち「すごい、本当に自分の思っている気持ちが、ありがとう、ありがとうという言葉がたくさんでてきて、それを伝えたい、と思いながら歌うというのは、あまりなかったので」
     あ~ちゃん「なかったね、なんか、結構、英字のPerfumeの方は意味のわかんない歌詞だったりとか、英語が一杯あったりとかして、歌い方もね結構クールな感じで、なんにも考えてない感じで、鼻歌みたいな感じで、いつも歌ってって言われるんで、すごいまた新鮮でね、レコーディングも、すごい楽しくて、とってもやりやすかったです。」
     桃井「それは良かった。3人にね、アキハバラブやるってこと、打ち水のイベントやろうと言う時に、なんか中華料理屋でね(笑)」
     あ~ちゃん「豪華なところでしたよね」
     桃井「その時にね、3人の話を聞いててね、今のスタッフの人とか、後capsuleのPerfumeの曲を作ってらっしゃる中田ヤスタカさんのこととか、すごく感謝の念をね、持っていることがわかったのね。それがすごいな、素晴らしいなと思って、なんかそういうことをねー、込めて歌えるような曲にしたいし、ファンの人達に対しても、そう思ったから、そう言ってもらえると嬉しいですね」
     あ~ちゃん「はい、すごい、入り込みやすかったよね、ありがたいです」
     桃井「Perfumeの英文字の活動も私はすごい好きで、友達からすごい、すごいんだよって言われてCDとか、もらったりとか聞いたりとか、すごいとか思ってて、何回か一緒にライブやったりとか機会が前あったんだけど、だからすごく英文字のPerfumeに敬意を表してのひらがなの「ぱふゅーむ」にしたんですよ。また、それとは違う面でねって」
                             「Perfumeがモモーイのラジオゲストに」(2005/9/4)


     メジャーデビュー後の11月20日の渋谷O-EastにおけるWonder momo-i Live tour最終公演にPerfumeはサプライズゲストとして出演している。この時のPerfumeの動画があるので見てほしい。11月には寒すぎる夏の舞台衣装だが、リハーサルでドリンクを回し飲みしている3人が初々しい。



     アンコールの舞台裏で「はるこが見たい、もう1度はるこが見たい、はるこがみたーい!」と声を上げるファンと一緒にPerfumeも声を出している。そして、ひらがなの「ぱふゅーむ」であっても3人が歌い踊るだけでPerfumeが成立してしまうことをこのビデオは証明している。
     のっちは後にアキハラブでお客が求めているのはPerfumeではなくて結局、桃井さんなんですよと語っている。彼女達はアキハバラブがPerfumeにとってどんなものか自覚していた。
     この頃の3人はPerfumeの方向性について信じ切れていなかったと私は思う。わかりやすいとは決して言えない木の子氏の歌詞、ピコピコした音、近未来風の変な衣装、アクターズの頃の発声の全否定、チラシを目の前で捨てていく通行人、前座のPerfumeに早く終われと罵声を浴びせる観客、250人以上どうしても増えてくれない観客、どうやって自分を変えていけばいいのかわからない、CDを後3枚出したら本当に引退しなければいけないのか、どういう顔をして広島に帰ればいいのか、アクターズの頃は隠されていた現実の壁にぶつかって、徐々に光を失っていた彼女達。彼女達が信じるPerfumeへの背信、裏切りの季節に彼女達がいたとして誰が責めることができるだろうか。最後の時に3人でいられるためにどんな手段を使ってもいいと思ったとしも、暗黙の共犯幻想があったとしても。ただ、そんな自分達が許せず、その頃のPerfumeをあ~ちゃんは血迷っていたと言うしかなかったのではないか。3年後に中田さんの曲が認められなくなったときはPerfumeが終わる時だとあ~ちゃんが言い放つことになる。まだ、そこまでのPerfumeチームへの確信はこの頃のPerfumeにはなかった。
     彼女達にとってアクターズの頃のように精一杯歌って踊る「アキハバラブ」は必要な体験だったのではないか。その頃のPerfumeにとって足りないものがあったとしたら、それは楽曲に対する愛だ。学校に行っても胸を張って自分達の歌を話題にすることはなかった。好きな歌を歌い踊るからこそ輝ける。アクターズの頃のように歌うことが踊ることが楽しくてしょうがなかった時代を思い出すために、今のPerfumeの方向性とは180度違う曲を敢えて桃井は作曲しプロデュースしたのではないか。彼女達にもう一度思い出してほしかったから、あえてアクターズの頃のひらがなの「ぱふゅーむ」を桃井はグループ名に選んだのではないだろうか。会って話せば話す程、Perfumeに惹かれていく、秋葉原という小さな世界から飛び出して、どこまでいくかわからない可能性を桃井はPerfumeに感じたのではないだろうか。
     桃井の楽曲で特徴的なのは観客とコール&レスポンスを想定した間を最初から曲に作りこんだ曲構成になっているところだ。
     中田ヤスタカはライブ用に曲を作ったりはしない。ただ、長い間奏を入れることは多い。そこにPerfumeは客と一緒に踊り声を掛け合う間を作りだす。観客と一緒にライブで育てていく楽曲がある。そんなファンと共にある楽しさを秋葉原でストリートライブをやってきたものとして、桃井はPerfumeに伝えたかったのかもしれない。
    Perfumeにとって無駄なことなど一つとしてなかったのだ。
     そして、Perfumeはこの後、運命の曲と出会う。最後に残っていたパズルのピースが見つかる。初めて好きになった歌、初めて中田ヤスタカの歌詞がヤスタカの楽曲にのったコンピューターシティ。

    コンピューターシティ
    作詞作曲:中田ヤスタカ
    完璧な計算で造られた楽園で 一つだけ うそじゃない 愛してる
    どうしてねえコンピューター こんなに苦しいの
    あーどうして おか(しい)の コンピューターシティ

    記憶と記憶の間たどって 誰も見たことのない場所で
    夢の中で描いていた場所へ ありふれたスピードを越えて
    もうすぐ 変わるの 世界が もうすぐ ぼくらの 何かが 変わるよ

    完璧な計算で造られた この街を 逃げ出し(たい) 壊したい
    真実は あるのかな
    完璧な計算で造られた楽園で 一つだけ うそじゃない 愛してる

    どうしてねえコンピューター こんなに苦しいの
    あーどうして おか(しい)の コンピューターシティ

    絶対故障だ ていうかありえない 
    僕が君の言葉で 悩むはずはない



     2006年初頭に発表されたコンピューターシティは裏切りの季節が終わりPerfumeのスタイルが確立する季節の到来を告げることになる。

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    2013.10.31 | コメント(0) | トラックバック(0) | Perfume

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