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    Perfumeと23:30

     ワンルームディスコのB面として収録され、振り付けやPVがなくライブでも歌われることのない23:30という歌がある。
     唯一、ライブDVDの最後にBGMとして使われただけだ。
     Perfumeとしては珍しいジャズ風の曲調で大人びた歌詞になっている。
     ライブやテレビで一切歌われることのなかった23:30という曲に宮沢賢治の唯一の恋愛詩「わたくしどもは」の詩をのせて動画を作ってみた。
    「わたくしどもは」というのは不思議な詩で通常ならあり得ないエピソードを中心にして構成されている。
     旦那が買ってきた花を店に置いて売った挙句、その金で料理をし旦那にうれしそうに振る舞うなんて通常ありえない。
     宮沢賢治の妹トシの7回忌に作ったと思われるし、結核の発病と死んだ時期(冬)に符号するものが多い。
     ただ、ここには注文の多い料理店のような女性の怖さみたいなものを感じる。
     妻以外の女性に心を動かした夫の感情の揺れを見透おすような怖さだ。
     「23:30」、「スパイス」、宮沢賢治の「わたくしどもは」に共通するのは生活からちょっとだけ逸脱したものへの好奇心と感情の震えだと思う。
     スパイスの映像は静止した映像に見えるものまで極端にスピードを落とした。
     動かない筈の映像のグラスから滴り落ち水滴に気づく人がいることを期待しつつ。



     視覚や知覚についての研究は随分進んできており、2、3年前に勉強しまとめたもののうち、専門的な部分を削ってイメージの私論として掲載してみました。興味のある方は続きを読んでもらえればと思います。


    「イメージの私論」

    (1)場当たり的な脳の進化
     脳は場当たり的にこれまで進化してきたといえる。生命維持に必須な脳幹の機能から進化の過程で必要な都度、その機能が作られてきた。脳の神経細胞のうち5%程度しか使われていないと言われるが、脳のほとんどが転用できないため、再利用することができない部位で占められている。
    例えば、後頭葉を損傷して目が見えない人が視覚的に知覚できないにも関わらず目の前の棒を握ったり、ペンライトの光を避けたりすることができる現象を盲視という。
     盲視は高次の視覚を司る大脳で知覚できなくても間脳という原始的な脳の部位に大脳皮質とは別の視覚機能によって目の前のものをつかんだりできる現象をいう。 
     カエルが虫を捕まえたりするために使用した進化上古い視覚機能で認識しているのだ。現在の人間では大脳皮質の視覚野の資格機能が優先されるため、機能としては存在しても使われることがない。進化の過程でより高度な機能が古い機能の上に積み重なって存在しているのが現在の脳だといえる。

    (2)脳における知覚とは
     脳の神経細胞は基本的に増殖しない。生まれてから2歳までに脳細胞の半分がアポトーシス(自死)により刈り取られ、人間が死ぬまで脳細胞の増減は殆どない。海馬や基底核といった新たに記憶を生み出したり、損傷した機能を補完する部位は除く。
    (アポトーシスとは彫刻刀で人間の形を削り出すように指の間の細胞が死んでいくことで手の形が作られていくような、予定された(プログラムされた)死のことを言う)
     死ぬまで殆どの脳細胞が増殖しないことで人間のアイデンティティが保たれているといえる。人間の皮膚のように日々古い細胞が死んで、新しい細胞が生まれるようなことが脳細胞に起こるとすると記憶が全て捨て去られ昨日の自分の記憶と今の記憶が別のものになってしまい、自己同一性が保てなくなる。
     脳は身体と現実世界を通じて得た経験によって作られる。6本指の手を持った人は6本指に対応した脳が作られる。6本指を手術して5本指にしたら5本指の脳が作られる。
     人間は物理的な世界をありのまま認識していると錯覚しているだけで、実は人間の持つ入力デバイスである眼、耳、鼻、皮膚、舌から得られた刺激を補正して認識している。
    私たちの意識というのは補正された情報を元に自己の世界モデルの中で判断している。盲点の部分は網膜がないため見える筈がないのに見えているように背景から補正される。平面図形であっても遠近法によって奥行きを感じることができる。逆に言えば、私たちは意識の都合のいいようにしか見ないし、認識されないものも多数あるのだ。

    知覚1



    (3)意識は自分の身体を制御できるのか
     人間は通常、自分の身体を制御できると思いこんでいる。実は自分の身体はほとんど意識しなくても勝手に動作するし、意識も自分自身の身体から分離・結合を繰り返している。
     意識と身体が日常的に遊離する最も一般的な例が睡眠である。人は眠った時にノンレム睡眠とレム睡眠を交互に繰り返した後で目が覚める。
     ノンレム睡眠状態では身体は活性状態のまま人は意識を失っている状態となり記憶の圧縮と定着を行っていると推測される。不要なストレス物質を削除することでパソコンのディスクの不良部分や不連続部分を整理するように脳をクリーンアップしている推測される。そのため、ノンレム時には脳はフル回転状態となり決して休んでいるのではないのだ。
     渡り鳥など24時間飛び続ける必要がある動物はノンレム睡眠を右脳と左脳で交互に行うことで意識を保ったまま、半分の脳が眠りながら飛び続けることができることが知られている。
    レム睡眠を行うと身体が弛緩して飛べなくなるためレム睡眠を行わずノンレム睡眠だけ行って渡りを行う。渡り鳥達は渡りが終了すると通常の睡眠状態に戻りレム睡眠も行われるようになる。

    知覚2

    レム睡眠では意識と身体は切り離され意識は夢という意識の活性状態にありながら、身体は休息状態になる。このとき成長ホルモンの分泌により、細胞の再生・修復が行われる。(夢の中でどんなに暴れても身体が一緒に動くことはない)
     金縛りという事象はレム睡眠状態の時に意識が覚醒しても身体と意識が接続できない状態にあるときにおこる。

    知覚3

     脳幹部には脳幹網様体と呼ばれる領域があり、大脳半球に対して刺激を送っている。この領域が人間の意識レベルを保ち、睡眠と覚醒を調節して生命維持の主体を担っていると言われている。


    (4)行動とは(推論システムと知覚)
      人は行動するにあたって、動作結果の予測に基づいて動作する。階段を登る時、次の段があることを予測して足を上げる。あると予測して足を上げて踏み出したのに次の段がなかった時の衝撃は大きく転んだりして大きなダメージを受けてしまう。そのため次に踏み出すための予測ができないと動作できない。
     ただ、意識は階段を登れ、歩けといった目的を定めて指令するだけで予測するための複雑な計算をするわけではない。
     歩いているとき目の前のアスファルトの歩道に落とし穴があいていると瞬時に避けて歩ける。
     その複雑な演算を担っているのが小脳である。ただし、その実現方法はトライ&エラーの消去法の繰り返しである。消去法で得られた回路が方式記憶として蓄えられ次の動作のひな型となる。

    知覚4

     人間の知覚は先行する信念に依存している。あるものを知覚するとき、そのあるものは脳の内部から始まっているのだ。そのプロセスの始点となるのは先行する信念、すなわち空間的に一定の位置を占めた対象が収まっている世界モデルである。
     脳はこのモデルを使って自分の目や耳が受け取っている信号が何なのかを予測する、こうした予測は実際の信号と比較される。その際に当然エラーがでる。脳はこうしたエラーを喜んで受け入れる。エラーは脳に知覚の仕方を教える。
     エラーによって脳は今ある世界モデルが十分なものでないとわかる。エラーの性質が世界モデルをよりよいものにする手助けをする。
     では赤ん坊のように全て初めて経験する人の脳は知覚に必要な予備知識をどうやって獲得するのだろうか。

     長い進化を通じて脳内に生物学的にくみこまれたものが基本的なモデルとなる。物を見るという知覚も遺伝的に補正されている。
     下記の絵を逆さまにして見ると凹凸が逆に見えてしまう。光(日光)は上から照らされ影は下にできるという知覚は遺伝的に組み込まれてしまって意図的には補正できない。
     この絵がある人にはミッキーに見えるたりする。ディズニーランド行って経験的にミッキーのイメージを持った人の世界モデルを通してみるとそう見えてしまう。カエルに見える人も当然いるだろう。影の見え方のように誰でも同じように見える知覚と後天的に得られる知覚によって脳内の世界モデルは構築されている。

    知覚5


     現実世界での動作を通して得られた知覚は現実に対応した脳内の世界モデル更新していくことで個々の人間の環境に対応した世界が作られていく。
    そういった意味で知覚とは、現実に対応した幻想であるともいえる。



    (5)方式(手順)記憶
     個々の世界モデルに応じた知覚を通して日常生活で得られた経験は一般の記憶と違い大脳基底核にある線条体に方式記憶として記憶され、日常行動に使われる。パブロフの犬のような古典的な学習行動により獲得した学習経験は方式記憶として記憶される。
    朝起きて、歯をみがき、通勤電車に乗り、職場のタイムカードを押すといった日常的な一連の行動は殆ど無意識のうちに行われる。
     歯をみがくときに、毎回、歯をみがく手順を意識して考えたりはしない。
    また、単にキャッチボールでボールを受けるという単純な動作を行うだけでも、大変な計算と判断が必要である。相手の身体の動きを見て、ボールが相手の手から離れたときの初速と方向を瞬時に判断し、ボールが届く前にボールが届くと予想される地点まで手をもっていきボールをつかむ。こうした一連の動きと予測行為は日々の生活や練習によって培われる。
     よく記憶喪失になっても車の運転はできる話はドラマ等の中で使われるが生きていく上で必要な記憶は側頭葉ではなく脳の中心部に位置する基底核に蓄えられる。そのため通常の記憶の回路が事故等によって損傷を受けても日常生活を送ることが可能なのだ。
     身体の成長や衰えに応じて方式記憶は修正が必要で10歳の頃の身体、運動能力、環境、20歳、30歳、50歳と年をへるごとに変わっていくため、絶えず補正する必要がある。そのため日々新たな感覚や事象を記憶したり、新たな学習結果を記憶するために海馬や基底核の神経細胞が増殖可能な細胞になっていると思われる。急激な変化が発生すると神経細胞の増殖が活発になり、何も起こらないと増殖が押さえられる。方式記憶は現実世界で生きていく上で必要な知識を蓄え活用されている記憶回路であるといえる。

    知覚6

     通常の記憶と方式記憶の違いはひらめきと勘の違いといったほうがいいかもしれない。。
    ひらめきは記憶をたどり何故そういう結論に達したか説明できるが、勘は何故そういう判断を下したか説明できない。
     例えば将棋の名人が数万手の中から検討に値する数手に絞り込むのは一瞬である。長考して数手の中から最終的な1手を選んだかは説明できるが、何故考えるに値しない無数の手を無視することができたかは説明できない。
    何故、歯ブラシを逆さまに持たないのか、何故、歯ブラシに歯磨き粉をつけるのか、何故、歯ブラシで鼻の穴を磨かないのか。説明する気にもなれないし考えることもしないだろう。私たちは歯を適切に磨く方式を学習済みであり、方式記憶として記憶することで不要な思考錯誤を積み重ねる時間を省いているのだ。


    (6)動物と人間の自由意志の違い
     通常の動物は生命を維持するために脳幹の命令を受けて大脳皮質が動作するが、人間は大脳皮質が大きくなりすぎたために脳幹では制御しきれずに大脳皮質から脳幹に命令をだして制御する場合がある。

    ○通常の動物(猿を含む)大脳皮質と脳幹の関係

    制御1

    ○人間の大脳皮質と脳幹の関係
     人間は脳幹からの命令で動くだけでなく大脳皮質からの命令で脳幹に対する命令を出すことが
    できようになった。そのため動物のように疑問をもたずに学習行為を反復できないため速さでは
    動物に勝てないが、行為中の抑止や変更ができるのだ。

    制御2



    (7)意識による身体の制御の例
     人間の場合は意識的に通常の動物では制御できない身体の制御ができる。
     例えば、人間の眼球の動きは通常制御できない。対象に注意を向けても実際の眼球の動作は無意識に対象の動きを追ってしまう。

    視覚1

    ①視野の中心部分は視力に優れており、静止した対象の識別に優れている。
     そのため対象の詳細なかたちや色の知覚を得るために視点は対象の色々な部分を移動して全体を
    把握しようとする。下記のような視点の移動を行うのが対象を見るときの通常の動きである。
     もちろん、いやらしい処に知覚を働かすためだけに視線の移動があるわけではない。

    視覚2


    ②視野の周辺部分は、時間的に変化する対象に対して優れた反応特性を示す。
     例えば、剣道で対峙している人間がいつどこから切りかかるかを見極めるためには、足や指先のほんの少しの筋肉の動きをもとに予測し、避けたり、切り替えしたりする。
    このとき、視線をあちこちに動かしていると注意が及ぶ範囲が狭くなってしまい、相手の次の行為へのシグナルを見逃してしまう。

    視覚3


    このため剣道に熟練すればするほど、どんなに相手が動いたとしても相手の目に視点をあわせて動かさないよいば制御ができるようになる。相手に隙がない、相手が大きく見えるというのはこういう修練を積んだ人に対して感じるものらしい。
    人間は危険を回避するために訓練と経験によって最も効率のいい視線の制御ができるようになれるのだ。

    視覚4


    (8)共感する脳
     私たちは他者の感情に同感できても、本当に相手の心をしることはできない。それは他者が自分と違う身体を持ち、違う環境の中で形成された心を持っているからだ。ただ、相手の発する言葉だけではなく表情や声の質から自動的に自分の中の似た感情が刺激され相手の感情を模倣する。
     赤ん坊は母親が笑ったり怒ったりといった模倣行為を通じて感情の表出と反応を学習していく。
    そうした模倣行為は成長に従いミラーリングで得た他者の感情や行為が自分の世界モデルを構築する基礎的なベースを作っていく。

    (9)感じたことによって他者を理解する
    ミラーニューロンを発見したイタリアの神経科学者ジャコモ・リゾラッティはいう。
    「私たちは極めつけの社会的な生き物です。他人の行為、意図、情動を理解できか否かが生存
    に直結する。だから、理屈も思考も分析もなしに、自動的にシュミレートするのです」
     ミラーニューロンで最も発達しているのが「痛み」のミラーリングといわれる。
     他者の痛みを感じることで痛みが発生する体験を実際に体験するより多く疑似体験し痛みが
    発生するパターンの回避を学習する。
     動物は自分が殺されなくても、仲間がライオンに殺された経験等を通じて回避行動等をとる
    ことができるようになる。
     動物の条件反射等の学習行為は一つの正解を得るために何回も失敗を繰り返す必要がある。
     イメージトレーニングの実験によるとダンスを実際に練習したグループとビデオを見て
    イメージトレーニングだけやったグループでダンスの学習結果を比較しても実際に練習したと
    同じような学習効果が得られたという。追体験することは立派な学習行為なのだ。
     ミラーニューロンは学習と密接に結びつき生きるための経験を蓄えるのに役立っていると
    いえる。
    「考えるのではなく、感じたことによって他者を理解するのだ」とリゾラッティはいう。
     猫を抱く女の子にかわいいという感情を共感したりする。
     猫を抱くおっさんに同様な感情がおきるかはわからないが、きもいとは思っても危険は感じない。

    共感

    また、ミラーニューロンは他者の行為そのものより、行為の目的に対して反応する。
    例えば、以下のような同じカップを手でつかむ動作のビデオを被験者に見せた場合に
    ミラーニューロンの活性化する部位が違ってくる。
    特に意図のビデオでは食前の食卓のカップをつかむ場合は「食欲」に関係するニューロンが
    活性化するのだ。状況に応じて次の行為(飲む)を感じてしまう。
    人間は状況と行為から他者の動作の意図を汲み取って反応する。まるで自分がコーヒーを飲ん
    でいるかのうような感情を他人の行為を見ることで追体験してしまう。

    視覚5


    (10)まとめ
     我々は5感によって突き動かされて行動し日常生活を送っている。
     生活の営みの下にはいつのまにか身につけてしまった自動回路によって動いているだけなのかもしれない。
     意識というのは膨大な自動回路によって作られた世界モデルの上に浮かんだ船のようなものである。
     意識は決して脳の中心にあって身体を制御し指示を出しているわけではない。
     寧ろ、身体や感情によって動かされているだけで、意識的に我々できることは何かの行動を起こすことではなく、何かを抑止することだけしかできないと思われる。
     人間は成長の過程でいつのまにか形作られた自己の法によって行動を抑止し社会生活を送る動物だと言える。
     そして、ライブでもなんでもよい、その抑止機能をどこかで解除する場が必要なのではないだろうか。
     私がPerfumeを通じて教えてもらったのもそういうことではないかと思っている。
     

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    テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽

    2013.04.29 | コメント(2) | トラックバック(0) | Perfume

    コメント

    perfume最後の30分

    この曲は非常に興味深い曲です。
    彼女達が飛ぶ鳥を落とす勢いの時、おおよそJPOPに反したJAZZをチョイスしてくるとは。
    JAZZは大人の音楽として容認されており、この時期では早すぎたのかも知れませんね。
    アルバムに洩れた名曲としてセブンスヘブンは支持者が多く漸くコンピレーションアルバムに挿入されましたが、この曲はその全貌が未だハッキリとしない曲です。
    しかしこの時期にJAZZとは中田氏は何を考えていたのでしょうか。

    僕は、23:30のタイトルから「perfume最後の30分」と思っています。
    この楽曲が披露されるときが、perfumeとして最後の曲なのかも知れません。

    2013-04-29 月 21:49:21 | URL | necco #- [ 編集 ]

    Re: perfume最後の30分

    > JAZZは大人の音楽として容認されており、この時期では早すぎたのかも知れませんね。
    私もそう思います。MIKIKOさんにしても「take me take me」までがやっとで、この曲に振りをつけるのは難しかったと思うし
    彼女達もこの曲を歌うには子供過ぎたと思います。

    > しかしこの時期にJAZZとは中田氏は何を考えていたのでしょうか。
    中田氏はあまり考えてなかったと思います。A面はJ-POPから少しずれたくらいで
    B面はPerfumeの別の側面を引き出すようなチャレンジの曲が多いと思います。
    575のラップのように、詩の内容が少女でも共感できる内容であればいいのですが
    23:30は下手すると不倫の歌ですからね。終電間際の男と女というのは潔癖症のあ~ちゃんには
    厳しすぎるのかもしれません。

    > この楽曲が披露されるときが、perfumeとして最後の曲なのかも知れません。

    この曲を歌う時はアイドルとは決して呼ばれない時だと思います。
    この先を歌うとしたら、どういうPerfumeになるか面白いかなと思います。

    2013-04-29 月 23:42:18 | URL | ノッチ森永 #- [ 編集 ]

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