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    早見あかりとももいろクローバー(2)

    <題2章 自分が自分であるためには一人以上の他者が必要である>

    早見「小さい頃、霊感があったんですけど、大きくなるにつれ、どんどんなくなってきて、小ちゃい頃、言葉も喋れるかわからない頃は、壁と話してたらしくて、お母さんが誰と話してたのって聞いたら、そこに何かがいるから、その人と話してたみたい、でも、あきらかに壁なので何もないみたいな、そこから始まって小学校の頃は形が見えてたんですね、あっ、サラリーマンの人がいるーとか、でも中学生になって、形が見えなくなって、最近は全然見えなくて」

     霊が見えるというのは自分の中の潜在的な不安や違和感が投影されたものを見ているらしい。私には霊感がなくそうした体験をしたことないが、守護霊がユングのいう集合的無意識の投影だとするならば面白い。いつかちゃんと考えて書いてみたい。見るという行為は個人というフィルターを通して見るものだから、早見が観た霊は彼女の中に確かに存在していたと思う。意識というのは無意識という大海に浮かぶ小船のようなもので、お腹すいた、嫌だー、楽しいー、すげーとかいった喜怒哀楽の衝動に子供の頃は翻弄される。何故泣いたのか、笑ったのか、無意識の行動を後付で一貫性を持たせるために意識があるのかもしれない。

    早見「完璧主義者の面倒くさがりという超面倒くさい性格してるから、バリアを張るんですよ、踏み込まないでってオーラを、すごく出すんだと思います。」

    12才のエアロビクス


     早見の特徴的な白い肌と彫の深い目鼻立ちはよくハーフと間違えられた。早見は自分の容貌ゆえに家族以外の他者の間になにかしらの違和感を感じていたと思う。早見を真正面から見られず、つい気後れしてしまい、うまく話せないクラスメート。なんで素直に心を開いてくれないのだろうと思っていたのかもしれない。

    早見「可愛い思い出があるんです。私の初恋は幼稚園の年少さんで3歳のときだったんですけど、その時から、年少、年中、年長さんの3年間好きだった男の子がいて、ずっと好きだったんです。バレンタイデーでチョコとかあげたりしてて、でも俺はだれだれちゃんのことが好きだってことを、その男の子から言われ続けて、でも、まあー、くじけることもなく、一途にその子が好きだったんですよ。最後のバレンタインの時にハートのチョコレートを渡したのかな、作って渡して、そしたらホワイトデーの時に返ってきたんですけど。手紙に『秘密』って書いてある手紙があったんですよ。で、なんだと思ってみたら、『前から、ずっと嘘ついてたけど、前からあかりのこと好きだったんだ』みたいなことが書いてあって、結局3年間両想いだったんですよ。なんて可愛いエピソード、ツンデレですよね。3年間かけてデレを見せるという」

     クラスに綺麗な子がいたとしてもストレートに好きなんて言える男子はなかなかいないと思う。それが他の女の子と明らかに解像度が違うレベルの女の子がいたとするならなおさらだ。その子の周りだけ明らかに違って見える子にどういう風に話しかければいいのか、誰だって躊躇してしまう。早見は言葉の裏にある感情が読めてしまう子なのかもしれない。相手の気持ちに気づきながら仲良く遊んでいたと思う。男の子の精一杯の可愛い抵抗が『秘密』の文字の中にあった。
     人は自分の感情を直接見ることはできないが他者を鏡とすることで自分の感情の輪郭に気づく。ジャコーモがミラーニューロンを発見する前から、笑いが笑いを生み、悲しみが悲しみを連鎖させるように他者の喜怒哀楽の表情や視線を人は自動的にシュミレートしてしまう。こうした感情を伴った表情の模倣は学習の基本であり、赤ちゃんはお母さんの笑顔から感情の表現を自然に学んでいく。自分が自分であるという自覚を持つには一人以上の他者が必要なのだ。

    早見「別にどう思われてもいいやー、この人あたしのこと好きじゃないだなと思ったら、好きじゃないままでいいや、好きになってもらいたいとは思わない」

     握手会でファンが早見に感じる印象で暖簾に腕押しという表現を使う人がいた。当たり障りない会話はハキハキ答えるが、突っ込んで話そうとするとすっとかわされて、推すにはものたりなさを感じたと言う。

    早見「相手がこっちを探り探りきてるなって思うと私も探り探り、いっちゃう。
    でも一気に殻を破ってくれたら自分も心をパッて開きます。
    土足で乗り越えてくるくらいに」

     実家に帰省した時、静かだった田舎家の廊下の向こうから弾けるような声が近づいてきて、いきなり笑い声に包まれる。親戚の女の子達に飛びつかれたような、もう笑うしかないような雰囲気の中心にいるような子が百田夏菜子だ。早見の大人びた眼差しの背後にいる小さな子供を引きづりだし、真正面から水鉄砲を浴びせてウヒョっと笑っているような子だ。早見の感情を映し出す鏡として百田ほど曇りのない鏡面を持つ子はいなかっただろう。どこか頑なだった早見の心を土足で乗り越えてくるくらいに一気に殻を破って百田が笑う。代々木の路上ライブの最前列で体育座りをして、ももクロを見ていた早見は百田や玉井と一緒に演技レッスンを抜け出してビラ配りを手伝いながら、ももクロのそばにいつもいる存在になった。その頃のメンバーで紅白に出ると本当に信じていたのは百田だけだったのかもしれない。静岡の田舎で遠くにある世界として紅白を見ていた百田が代々木の路上の向こうのNHKホールで紅白歌合戦をやっていると知った時、すぐそこじゃん、行ける、行きたいという真っ直ぐ気持ちがももクロを引っ張って、遂にその夢をかなえていくとは誰も思っていなかった。

    早見と百田ー2

     そんな早見や百田に大きな転機を川上マネージャーは与える。川上はももクロのメンバーを二十歳までにトップアイドルにするという目的に持っていた。そのためにはどうしたらいいかを常に考えていた。川上は考えをめぐらした結果がイメージとして浮かび、その画の実現に向けて突進していくタイプだ。だからメンバーに対しても結論だけ言って、とにかくやれと命令口調になってしまうことが往々にしてあった。
     代々木路上のも活動をベースに川上は百田、早見を中心にした画を描いた。メンバーが休んだピンチヒッターとして早見を呼ぶなど、殆どメンバーの一員だったが、メンバーでもない自分がいきなりサブリーダーになって加入することになるとは思ってもいなかった。

    早見「夏菜子ちゃんと言えば、ももクロのリーダーとしてみんなをまとめてくれていますが、リーダー、どうですかー。リーダー、やってて」
    百田「あたし、実はマネージャーさんにいきなり、言われたんですよ、その時いたよね。
    早見「いた、いたー、『夏菜子がリーダーで、あかりんがサブだから』って」
    百田「それで私エッ!ってなったじゃん。(早見:なった、なった)で、なんでって、聞いたじゃん、どうしてって、聞いたじゃん、あたしで、いいのみたいな、すごく思ったわけ。だってさ、性格的にまとめるっていうか、キャーっていう感じじゃん、騒いでる派じゃん。えっ、まとめる?みたいな、ビックリ!みたいな、最初はすごくマネージャーさんに、反対してたんですよ」
    早見「あん時の夏菜子は反抗期だったもん。夏菜子の気持ちも分からなくもなかったから、どうしたらいいのかわからなかったけど、反抗期してたね」
    百田「反抗期。反抗期っていうか、怒ってるんじゃなくて、えっ!ヤダみたいな!えっ、やだよ、わたしみたいな」
    早見「だから、トークとかでももクロのリーダーとか言われるのがすごくイヤで」
    百田「本当にイヤだった。本当に誰かにリーダー、リーダーって言われるのがすっごくイヤで、リーダーって言わないでみたいな、あたしリーダーじゃないって言ってたじゃん。あかりんがサブってのがね、逆だと思ってたのね。なんか、しっかりしてるじゃん。イメージ的に、実際は、まあ置いといて。まとめるっていったらあかりんじゃん。なんでみたいな」
    早見「実際のところ、なんでですか、みたいなことをマネージャーさんに聞いたら。そしたらちゃんとした答えが返ってきたじゃん」
    百田「返ってきた」
    早見「それには納得はできたよね、あっ、そうかもって」

     川上はリーダー抜擢に抵抗する百田を納得させるために静岡の実家まで電話をして説得した。高城がリーダーになることに縛られて思うような活動ができていなかっただけに百田がももクロのリーダーになることが外せない要件だった。リーダーの役割が彼女を作ると思ったし、百田の陽性の魅力を中心に据えてももクロを作ろうとしたのだろう。
    早見のももクロへのサブリーダーとしての加入は百田の反抗期の騒ぎに紛れて、なんとなく決まってしまったと早見は振り返る。
     ただ、突然のリーダー交代劇にそれまでももクロのリーダーだった高城はいつクビにされるか不安で、いきなりクビと言われないように30分前には現場に行くようになってしまったという。高城が早見と出会った当時、怖い人かと思っていたので、メールアドレス聞けなくてどさくさに紛れて聞いたという。

    高城「リーダーに指名された時もリーダー交代を告げられた時も、私には『はい』としか言えなかった。今思えば、それが悔しい。」

     この頃、メンバーを固定できず、頻繁にメンバーチェンジを繰り返していた。藤下から本格的に川上のももクロへ移行するまでの暗中模索の時期だった。最初にいたメンバーで残ったのは高城だけで、藤下が中心に考えていた高井つき奈はSKE48に移籍し、2008年11月23日に飯田橋ラムラで早見はメンバーとして佐々木彩夏と共に加入した。
    早見のももクロに加入、百田のリーダー就任は彼女達の中で大きな転機になったと後に述解している。2008年12月末に 伊倉愛美、藤白すみれ、和川未優が脱退したクリーミーカフェとして結成した。2009年3月に柏由紀奈が脱退して最大9人いたメンバーが5人となった。

    2008_ももクロ

     新体操の百田夏菜子、競技エアロビクスの早見あかり、タップダンスの高城れに、機械体操の玉井詩織、クラシックバレーの佐々木彩香、ダンスのジャンルが違って素養も性格も違う5人だったが身体能力が高いメンバーに集約されていく。そして、川上のイメージしたももクロはEXILE系のダンスユニットEXPGの特待生だった有安杏果の加入する翌年に完成する。

    川上「ももクロの育成には、プロレスラーが新人から一流に育っていく過程を参考にしています。新日本プロレスの若手は『ヤングライオン』というのですが、彼らは見栄えのいい、派手な技は使えないんです。使うと先輩に怒られる。大技を使わずに、基本的な技だけ使って、感情と感情のぶつかり合いを見せていくことで観客の共感を得ることを求められる。これはももクロも同じです。路上でやってる時もそうだし、ステージで繰り返し体験させられるのもそうだし。ヤングライオンたちは、下積みの時期を経て、どんな試合でも組み立てられるプロレスラーに育っていく。それと同じように『等身大のももクロ』から『エンタティメントを見せる』ももクロに成長していく、というイメージは最初から持ってました」

     最初は歌を歌わない口パクのエアーアイドルでいいじゃないかと川上は思っていた。スタッフもメンバーもアイドルとしてどうやっていくか手探りの状態だった。彼女達が成長するには月2回程度のライブではあまりにも遅すぎると川上は考えていたのだろう。ただ、都の条例が変わり代々木の路上で音を出すことが禁止され、音が出せる場所を探した。飯田橋ラムラという70人程度のイベントスペースで月一回公演を行い、BLT主催の新人アイドルのGirlsWoodstockのイベントは只で場を提供してもらえるだけに必ず出演した。安くて音を出せる場所がなく捜し続けた。その頃の川上にとってアイドルのお手本になるのはAKB48しかなかった。毎日のようにライブができる場所がほしかった。少しずつだが客がつき始め飯田橋ラムラでも入りきらなくなっていた。
     地上、地下を問わずヲタ達から次第に注目を集めるようになっていた。ももクロに対する彼らの印象で共通するのは解像度が違うということだ。やってることは女子中学生レベルのパフォーマンスだが、何故、こんな可愛い子がこんな所にいるのかという驚きだったという。ライブの最後の挨拶の後に深々と頭を下げたまま「アンコール!、アンコール!」と手を叩きながら頭を上げる玉井の姿に『なんだかよくわからないんだけど、すげーもんが始まってるなー!』と衝撃を受けアイドルヲタ人生の最後をこの子達とかけようと思った人もいた。

    ももいろパンチ

    早見「早見あかりのコンプレックスは、この異常に広い肩幅です。本当に肩幅が広いの、でね、17年間この肩幅と生きてきた、生きてきた筈なのに自分の幅がわからないの、だからこの道行けるなという細い路地を通ると基本的にぶつかるんですよ、肩に、ガンって、あっ、また、肩、みたいな」

     正式にももクロに参加した早見は自分がアイドルであることに違和感を感じるようになっていた。百田のようには素直に感動できない、笑えない、それは自分の肩幅以上のコンプレックスとなった。

    早見「ワーみたいな、嬉しい!みたいな、この花キレイ!みたいな、そういうテンションの演技がすごい苦手で、多分、早見あかりとして生きてて、そんなに”ワー”みたいな感じの感情が、そこまで、多分ないんじゃないかな」

     早見はコマーシャルフォトの表紙が初めての仕事で新津保建秀に出会った。スターダストの事務所で早見とすれ違った時の印象をこう語っている。

    新津保「少年のようだった。雰囲気がいつも撮ってる人と違ってたので印象に残った」

    コマーシャルフォト表紙

     また、新津保は撮影中の早見のことをこうも評している。

    「撮影のリズムがすぐに理解できる。撮る人がどんなものを撮りたいかわかる。
    過去撮影した宮沢りえ、小泉今日子、宮崎あおいのような撮影の空気に素早く
    溶け込む適応力がある。」

    早見「新津保さんに写真を撮ってもらうようになったことも、早見あかりってなんだろうって考えるきっかけになりました。初めて撮ってもらったのは中学2年生の頃で、その時はももクロの活動を始めていて。ももクロの写真を撮る時は『アイドルの顔をしなきゃいけない』っていうものがあって、『ちゃんと笑わなきゃいけない、アイドルとしての自分を作らなきゃいけない』。だから、『笑顔になれない時も笑わなきゃいけない』。でも新津保さんとの初めてのお仕事で、その作り笑顔をした時に、『笑わなくてもいいよ』っていわれたんですよ。『無理に笑わなくてもいいよ、そのまま自然体でいいよ』って。新津保さんにそう言われたことがきっかけで、笑いたい時に笑うっていう、そういう写真の撮られた方もあるんだって気付きました。」



     2009年始まってすぐにHappy Music RecordsからCDを出さないかという話がももクロにきた。CDデビューの話を進めていく内にレーベルの親会社がヤマダ電機だと分かった。音を出せて安くライブができる場所を常に探していた川上は親会社がヤマダ電機と聞いて店頭スペースでライブができる筈だと思いつき、是非やらせてほしいと頼みこんで実現にこぎつけた。その発想と行動力はすさまじい。CDをリリースした後で、そのCDを売るためにツアーを行うのが普通だ。昔の演歌歌手がレコード屋の店頭でみかん箱の上で歌い一枚一枚レコードを売ったと同じことを電気屋の前でやろうとした。東京での認知度すら全くないアイドルグループがシングルCDを発売する3カ月前から全国ツアーをやるという発想は、音楽業界の人間からは出なかったし、無謀ともいえる計画だった。川上にすれば全国にあるヤマダ電機を回れば地方にも認知しもらうきっかけになるかもしれないと思ったという。結成から1年でやった公演数が25公演しかなかったグループが3か月で4倍の100公演以上を行うのだ。CDの予約券を1枚1枚手売りする旅にでる。ツアーを始める前にメンバーの親を呼んでレコードデビューに対するツアーの説明と協力を呼びかけた。

    川上「ツアーで販売した予約券の累計枚数がオリコンの順位に反映されます。ここで上位に入って知名度を上げるプロモーションを考えているので、よろしくお願いします」

     川上はインディーズデビューをメジャーデビューと勘違いしてメンバーや親に説明している程、CD販売の知識に疎かった。ただ、毎週、必ずライブをやる、いろんな現場を踏むという体験がももクロのメンバーを育てることになると信じて疑わなかった。
     車は沢尻エリカのマネージャーをしていた頃買った8人乗りのトヨタのグランビア(イタリア語で「偉大な道」)、機材車は女性マネージャーの古屋智美が運転手、プロモーターのバイトとして雇われイベントの司会とかやっていた福田幹大(FKD)が同行した。スタッフ4名、メンバー5名でツアーを始めた。

    全国ツアー

    川上「ツアーは当日入りが基本でした。例えば盛岡に行くときは、前日の金曜日夕方に学校が終わってから集合して、東京を出発。盛岡に午前3時頃ついて、僕達も仮眠を取った後、その時間から営業している健康ランドみたいなところで風呂に入る。そこでさっぱりして、ヤマダ電機に10時に入る。たいていこんなスケジュールでしたね」

     朝の10時にヤマダ電機に入り、イベントをやるスペースでリハーサルをやる。昼食後の1時からインストアライブを開始する平均13.8歳のツアーが始まった。ライブが終わったら、予約券を買ってもらった人と握手会を行う。それを1日3回繰り返し18時過ぎまで公演を行い、銭湯に行き、夕食、そして次のヤマダ電機のある土地へ車で移動。毎週、金曜の夜から日曜の夜まで繰り返す。彼女達からすれば毎週のように部活の合宿を知らない土地でやっているような感じがあった。

    百田「お弁当は1回600円までって決まってたんですよ」
    玉井「コンビニにお弁当を買いに行ったときに5人で3000円を渡されて。お会計のときに100円オーバーしちゃって100円をもらいに行ったら『それで収めるんだよ!』と言われて……」
    佐々木「気づいたら私のシュークリーム(150円もした)がなくなっていました」

     ももクロに食べ物に関するエピソードはつきない。一人600円までという食事代はももクロがブレークしてからもずっと続いた。博多では初めてもつ鍋とか連れて行って、ムチャおいしかったとかそんな他愛のない話を楽しそうにメンバーは覚えていた。

    早見「『ももいろパンチ』のツアーの時は、1日3回公演で各公演が3曲ずつとかでした。たぶん、1日トータルで9曲しか歌ってなかったんですよ。アンコールを入れても10曲とか。それで疲れたって思っていた。でも今やってる公演は1回が10何曲とかあって、それを1日3回やるからトータルで30何曲も踊ってるわけですよ。知らぬ間に体力はついてたなっていうのはすごく感じます。」

    偉大なる道

     最初の頃は3曲でへとへとだったが、それが4曲になり、ツアーが終わる頃は5曲になった。ピンクの着物の衣装の上にヤマダ電機の黄色の法被を着て踊った。東京を拠点に高崎、宇都宮、水戸、山梨、名古屋、盛岡、仙台、浜松、京都、大阪、神戸、広島、博多、札幌等全国を回った。遠征に泊りがけできてくれるファンの方がいるため曲を変えたり、あーりんのご当地豆知識、ももクロちゃんに質問コーナー、子供向けのじゃんけん大会等の余興を交えながら『名前だけでも覚えて帰ってください』と新規の客に声がけをした。
     
    早見「車中泊することも多かったんですよ。何時間も車の中でぐーと固まった状態で寝てるから、マネージャーさんに『着いたよ』って言われて、ワゴン車から出てきた瞬間に足がプルプルしちゃって、生まれたての小鹿みたいになってて、だからライブの方が元気でした。『やっと手足が伸ばせる』みたいな感じで。」

    ワゴン車

     車の中の座席は前の席が早見と佐々木、後ろの席が高城、玉井、百田にいつのまにか決まっていった。佐々木の家は躾が厳しく夜更かしができない反動か、初めて家を離れた興奮のためか、皆が寝静まった後の車中で、DVDを見たり、とりとめのない話を早見にしていた。小学校を卒業して中学生になったばかりの佐々木の話に早見は夜遅くまで付き合っていた。その頃のことを覚えていてくれたのがうれしかったと佐々木は早見の思い出として振り返る。

     ETCを使えば高速にどこまで乗っても1000円で時期があって、その恩恵をフルに使い新聞にETCツアーという自分達の記事が出るとETCアイドルのももいろクローバーですと挨拶したり、宣伝できるものは何でもつかった。テレビは百田の地元の静岡放送だけだったが、地方のラジオ局にツアーで遠征した時に積極的に出演した。
     ツアーの途中で何度も早見が辞めるという噂が出た。思わせぶりの重大発表で肩すかしの発表をすることが多く【早見あかりの辞める辞める詐欺】とファンは言っていた。早見のビジュアルがももクロの入り口としての果たした役割が多く、早見がいないとただのアイドルグループになってしまうと危惧するファンが多かった。ただ、この頃の早見はいつ辞めてもおかしくない状況だった。40度の熱を出して7月だけで3回も体調不調で公演を休んでいる。特に夏休みに入ってからは終末ヒロインから毎日ヒロインに変わりツアーは過酷さを極めた。7月17日から28日までの11日間、8月1日から16日までの16日間休みもなく、家にも帰れずぶっ通しでツアーを続けたのだ。私も学生を辞めた頃、友達のバンドの北海道ツアーに同行したことがあるが、狭い車での移動はかなりつらい。さらに客が集まらないと落ち込む。それでも疲れが取れない車中泊だけはしたくなかった。
     ただ、中学生の彼女達にとってはそれしか道はないと信じていた。雨の吹き込むヤマダ電機の軒先で踊り、ライブ中に突然音が止まっても歌い、照明がなく車のヘッドライトでライブをやり、車の中で身を寄せ合って疲れ切って眠り、時々車中で勉強をし、笑い、銭湯に行き、ふざけ合い、いちゃつき、夜に伸びるヘッドライトを飽きることもなくみつめ、うっすらと開いた眼に朝陽を感じながらツアーを続けた。

    早見「ももいろパンチ、あー、もう無理って思ったもん。」
    百田「でも、あれはももクロにとって一番必要なツアーだったよね。なんか、なんていうか、あれがなかったら今のももクロはないよね。すごいツアーだったよね、あれは。なんか、車が家にみたいになって」
    早見「最初、酔い止め飲んでたのに、その内飲まなくても大丈夫になったよ。
    あの時、めっちゃデカいのにさ、めっちゃ風邪とか熱とかでてたじゃん」
    百田「あかりん強くなったよね」
    早見「人間成長するもんだなと思った」

     早見はツアーを通じて確実に成長していた。何度も本気で辞めようと思ったのかもしれない。ツアーが始まる前からボイストレーニングが始まっていた。川上が新宿厚生年金会館でBerryz工房のしっかりとしたパフォーマンスを観て、ちゃんとしなくてはと思って始めた。ただ、ボイストレーニングも早見のコンプレッスクを増やす原因にもなった。

    早見「私はすごく声が低いんです。音楽の授業でも合唱は好きで、ソプラノの裏声は出るんですけど、地声で高い声が出ない。ももクロに入っても、周りのメンバーのキーが高すぎて、なんとか薄ぅい声で付いていくのが精一杯だし、いくら歌を練習しても披露できないというか、歌っても自分の声が聞こえない。ソロパートもずっともらえなかったし。『私が歌っている意味があるのかな?』みたいなことを思ったりもしたことがありました。
    そんな時に、ラップのある曲をカバーすることになって、スタッフの方から「あかりん、ラップをやってみたら」と言われたんです。曲のCDをもらって家に帰ったその日から、ラップ以外のところは練習しなくてもいいやっていうくらいに、ひたすらラップを練習しました。ラップなんてもちろんやったことないし、いっぱい英語が並んでたからまったく意味がわかんないんですよ。とにかく聴きまくって、英語のつなぎ方の特徴とかもカタカナに起こして何回も繰り返し練習して。練習しすぎて、お母さんに『うるさい!』って怒られましたね。でも、『やっと自分の声が出せる!』って。必死でした。」

     デビューシングルCD発売の前日8月4日に重大発表があるから絶対来てくださいと早見はアナウンスをしていた。ファンが「あかり本当に辞めるの」と真剣に聞いても「ちょっと、それは言えません、言いたくても言えないから、とにかく絶対8月4日にきてください」と早見が言うだけだったのでファンは危機感を強くした。
    8月4日、ももクロのライブの定番曲になる「ツヨクツヨク」「words of mind」を早見のラップをつけて初披露した。早見が辞めたら、ももクロは終わるのではと思っていたファンに「早見ラップを始めました」は肩すかしの発表だったかもしれないが、早見にとってすごく重要なことだった。
     この頃、早見は自分の自己紹介をMEGAあかりんからクールビューティーに変えた。小柄な子が多いももクロの中ではでかいと思っていたが、165cmってそんなにでかいわけじゃないからMEGAはもういい、どうせハーフと言われるなら、英語喋れないけど喋ってやろう、クールビューティーだからファンとの掛け合いは必要ないと思って変えたという。

    My smile will change the world. (笑顔が世界を変える)
    You decide my future. (あなたが未来を決める)
    Can't stop. (もう止まらない!)
    ももクロのクールビューティー、早見あかり。
    中学3年生の14歳です。

     この自己紹介には、ももクロでやっていく上で早見の覚悟が込められているのではないだろうか。アイドルらしい笑顔が苦手で、日本人なのにハーフなのといつも聞かれるのが嫌で、歌のソロがとれない自分からの訣別。アイドルとしての作り物の笑顔ではなく早見なりの笑顔で自分の世界と未来を変えていくのだという決意があった。

     8月5日にデビューシングルのオリコンディリーランキングがLABI品川大井町店で発表された。
    「祝!!!!!!オリコン11位、やばーい、、、やばすぎる(・∀・)
     本当にありがとうございます♪
     ここまで来れたのはファンの皆さん、事務所の方、家族、メンバー、色々な人たちのおかげです(*'-')
     最後の挨拶でも言ったとおり口では大きな夢を語っていたけど正直きついかなって思ってたの……
     これが本音、だけどね
     11位だって聞いて一瞬、時が止まったかと思った(*´д`*)
     奇声を出してしまった…
     クールビューティーでありながら、笑
     でもそれくらい本当に嬉しかったの!
     そしてその後の握手会、ほとんどありがとうとしか言えなかった
     でもこれが本当の気持ちです^^
     11位まできたらもう1桁行くしかないよねっ(〃▽〃)
     どんどん上を目指そう↑↑
     これからもももクロは、止まらない★ミ
     みなさんよろしくお願いします!!
     あーそうそうスタフェス番外編
     あかりにとってラップデビューの記念すべき日
     みなさんいかがでしたか??
     これからもクールビューティー極めるぜっ、笑
     よろしくう↑↑↑
     ちぇけらっ」2009-08-06 (Thu) 00:4(早見ブログより)

    オリコン11位

     手売りの予約券の販売数が約2000枚。オリコンウイークリーランキング23位、初週の売上枚数が4167枚だった。無名のアイドルグループが3か月間休みなくライブを続けた結果だ。当初の販売予定日が印刷ミスで2週間伸びてしまったため公演数も膨れ上がり110公演を超えた。1公演あたり約20枚、2万円、1日あたり6万円の売上で、スタッフ4名、メンバー5名でやってきた。毎日の売上をマネージャーから聞いていたメンバーは現実を知っていた。20位以内に入るのが夢だった。CDを買っては何度も握手会に並ぶファンをみていた。100枚以上買ったファンが何人もいることも知っていた。川上が一番客の少なかった公演はとインタビューで聞くと横にいた早見が広島と即答した。数人でも客がいてくれさえすれば嬉しかった。
     Perfumeのインディーズデビュー時、オリコンウイークリー107位、売上枚数1018枚だ。そこからメジャーデビューも含めて順位も売上も伸びなかった。レコード会社から契約を打ち切られる寸前までいった。そこから彼女達を救ったのは地道にCDを買い支えたファンの思いだった。
     ももクロがインディーズデビューを手売りだけで達成した数字がいかに大きなものかわかると思う。

     LABI品川大井町店の店頭で百田はデイリーランク11位と書かれた紙を抱きしめたまま涙で感情があふれ何も言えなくなっていた。皆、口々に泣きながら支えてきてくれたファンにお礼を言った。

    高城「一年前から、色々やってきて、1年前からのファンの方とか、全国ツアーを通してファンになってくださった方とかいろいろいると思うんですけど、オリコン20位以内に入るのが夢で、何回も並んでくれたり、CDを何枚も買ってくれたり、ライブ中に声援をかけてくれたり、それがすごくうれしくて、こういう結果になったのも今まで応援してくれたファンの皆さんのおかげです。ありがとうございます。これからもがんばります。」

     全国ツアーが終わった後、ももクロのメンバーは久しぶりに2週間近く休息をとった。百田のおばあちゃんの家にまず玉井が遊びにきた。そして玉井と入れ替わりに早見が遊びにきた。

    百田「おばあちゃんの家の近くの川はね、富士山の湧き水が湧いてできてるのっ!!!!!!!!!
     そこに詩織と入って遊んでたらなんとっ!
     野生の金魚がー!!!
     めったに見れないんだよ!! 野生の金魚っ♪
     詩織タイミングいいなぁ~
     前にもお母さんが見つけてお家につれて帰ってきたんだぁ!
     野性だから結構強いの(≧∀≦)」

    野生の金魚

    早見「人生初!!!! 川でめだかとった^^
     かなこすぐ とれるのに(・・;)
     あかりめっちゃ時間かかったよー↓
     けど一匹だけとれたからあっー
     超嬉しい( ´艸`)」

    20090826.jpg

    百田「帰っちゃった(´・ω・`)
     新幹線ホームまでお見送りっ!!!!」2009-08-26 (Wed) 21:03

     野生の金魚達の束の間の休息が終わった。
     ももクロChanはもう止まらない。

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    2014.12.10 | コメント(0) | トラックバック(0) | ももクロ

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