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    Perfume研究4 裏切りの季節

     秋葉原に一人の孤独なヲタがいた。桃井はるこというヲタだ。ヲタを自称する彼女はPerfumeの3人が生まれる10年前に生まれた。小さい頃から卵と魚介類の食物アレルギーがあり、誕生ケーキも食べられず、給食のおかずも残すことが多かった。好き嫌いするなと教師に言われて無理やり食べると具合が悪くなり誰にも知られないようにトイレに行って吐いた。ジャニーズのような他の同級生が噂するアイドルタレントには興味が持てなかった。アニメが好き、女性アイドルが好き、秋葉原の雰囲気が好きな彼女と会話を共有できる友達は誰もいなかった。彼女は中学時代の頃の自分を濁った水槽にいるみたいだったと振り返る。家と学校を往復するだけの生活。いじめの対象にもなった学校生活は息苦しさしか覚えなかった。そして成績は学年でトップだったにも関わらず彼女は定時制高校を進路に選んだ。同世代の均質な慣れ合い空間になじめなかったのだ。
    「わたしはずっと、自分の居場所が欲しかった。中学校のころ、学校になじめなくて、落ちこぼれで、深夜ラジオへの投稿が生きがいだった。高校生のころ、ネットと出会い、アイドルマニア仲間の同士と出会い、「自由」を手に入れた。そしてわかった。いままでの状況のほうが異常だったんだと。学校と家の往復だけ、同世代だけの限られた友人。「だけ」の毎日。ネットでは年齢・地域・仕事・様々な事情をとびこえて人と人、考えと考えがつながる。ネットはわたしにとって翼か、剣だ。年齢も力もお金も住所も関係なく、自分をのびのび出せる場所。」
     桃井は自分の好きなアイドルやアニメの情報がネットにあふれ、書き込めばいろんな人からレスポンスがもらえる生活に浸っていった。自分と共通するものを持った人がどんどんつながっていくのが楽しくてしょうがなかった。そんなつながりから自分のホームページを持ち、いろんなサイトや雑誌に記事を書くようになった。
     アイドルが好きでオタ芸と言われる観客と一体となったコール&レスポンスや踊りに夢中になっていた。そして独学で楽曲を作り自分が好きなアイドルに提供したり、自分自身が疑似アイドルとして歌い、ライブをやるまでになった。秋葉原やネットから教えてもらえることの方がずっと多いという理由で大学を中退し、秋葉原をホームとして活動に専念した。秋葉原でストリートライブもやった。「萌え」という秋葉原特有の言葉を、秋葉原文化を広める原動力ともなった。
     アイドルヲタには2種類のタイプがあるという。マジヲタとDD(誰でも大好き)だ。ヲタ以外は一般と呼ぶらしい。マジヲタとは一人のアイドルにのめりこむタイプでそのアイドルについて聞かれれば夜を徹してでも語り、情熱を惜しまない。ライブやコンサートでは「レス」を持ちたいと願う。「レス」とはライブ中にアイドルと目が合ったり、ニコッと笑ってもらったり手を振ってもらえることだ。そして、「認識」されたいと願う。握手会とかで自分の名前や顔を憶えてもらいたい。それが幻想だとわかっていればいるほど、胸が締め付けられる程、「認識」されることを欲するのだ。ただ、好きなアイドルがスキャンダルに巻き込まれたりするた時の傷も深い。打ち込んだ情熱が深ければ深い程、立ち直りも遅い。
     DDは失うことが恐いのかアイドルの周辺にいてグループの誰もが好きという位置にいる。ヲタ同士と語らいハッピを着てヲタ芸に打ち込んだりグッヅを収集したり。ヲタである自分が好きなのか。「誰も愛さない、だから誰からも愛されなくてもいい」とうそぶくようなところがある。好きなアイドルが引退しても平気そうに、もうそんなに彼女も若くなからしょうがないよと悟ったようにヲタ同士で語ったりする。引退ライブでもアイドルに背を向けたままヲタ芸に打ちみ声を上げ踊る続ける。そんなDDがトイレの中でボロボロに泣き、トイレットペーパーで涙と鼻水を一緒にかんで洗い流したりする。マジヲタとDDは対極にあるようにみえて根は一緒なのだ。不格好で不器用な心優しき人間達をヲタと呼ぶのかもしれない。
     ヲタをモチーフに「言葉はきっとグライダー」という動画を作ってみた。



     大学を中退して音楽活動を開始した桃井はるこは2000年にメジャーデビューする。アニメソングを歌うだけではなくアニメの声優としても活躍を始めた。『UNDER17』というグループを作りコミックマーケットでのイベント・ライブ活動や、数多くの美少女ゲームへの歌謡曲提供し秋葉原に確固としたジャンルを作り上げ2004年に解散した。解散する前の8月に渋谷O-EastでPerfumeと共演している。
     その後、桃井が単独で音楽活動を再開する頃の話だ。ミュージシャンの友達にメールで事務所に呼び出された。既に何人かの友達もきていた。そしてテーブルの上にはバースデーケーキがのっていた。(サプライズ、祝ってくれるんだ。でもアレルギーで食べれないって言わないと)そう思うと同時に「わぁ、ケーキありがとう」と少し大げさに喜んでみせた。『桃井さんお誕生日おめでとう』と書かれたチョコレートが置いてある。桃井は切なくなった。
    「おいしそうだなー、でもわたし食べれるのはこのプレートだけかな・・」自虐的に笑ってみせる。そんな桃井に友達はこう言った。
    「これ、卵入ってないんだよ、卵なしケーキなの」そういえばチーズケーキだ。
     桃井の無理に作っていた笑いが止まった。
    『覚えててくれたんだ』泣きそうになった。
    「おい、さっさと始めちゃおうぜ」と照れくさそうにもう一人の友達が電気を、涙の跡を消してくれる。7本のローソクに100円ライターで火を灯し、思い切り願いをかけて桃井は吹き消した。
    『この気持ちを、ずっと忘れないでいられますように』
     27歳で初めて食べた誕生ケーキはとてもおいしかった。

    「私を救ってくれたのはインターネットじゃない。「人」だ。
     私を励まし助けてくれた人だ。
     ネット上で会えた、人だ。
     隣で応援してくれた、人だ。
     今、私はそれを強く言いいたい。ありがとう。」
                               (桃井はるこの「アキハバLOVE」より)

     Perfumeは2003年春に上京しアミューズのBEE-HIVEの活動に参加しながら8月「スウィートドーナッツ」でひらがなの「ぱふゅーむ」から英文字のPerfumeとしてインディーズデビューをした。他のアイドルと差別化したいというアミューズ側の意向を受けてヤマハミュージックの中脇雅裕氏が同じヤマハ系列の中田ヤスタカを起用する。

     2004年3月17日 インディーズ2ndシングル「モノクロームエフェクト」発売。
    売上1018枚 オリコンウィークリー117位。

     Perfumeの楽曲を一人で引き受けることになる中田ヤスタカはこの年capsuleでアルバムがオリコン35位に順位を上げ、ジブリとのコラボを始める。そしてPerfume大量の楽曲を提供し単独ライブすら夢ではなくなった年だ。
     中田ヤスタカはこの時、24歳。
     Perfume のアートワークやPVでぶれないイメージコンセプトを作りだすことになる関和亮氏はCDジャケットを担当し、次から映像もやらせてほしいと願い出て採用される。 
    関和亮氏はこの時、27歳
     Perfumeの振付師及びライブの演出家になるMIKIKOさんは、まだ広島に拠点を置きアクターズでダンスを教えていた。ダンサーとして広島を拠点として活動することへのこだわりが強く、まだ振付師として演出家として生きていく決心がついていなかった。
    MIKIKO氏はこの時、26歳
     Perfumeのテクニカル面を将来背負うことになる真鍋大度氏はPerfumeという面白いグループがいると仲間内で話題になっていたがぴんときていなかった。真鍋氏がライゾマックスの設立するまで後2年。
     真鍋大度氏は、この時27歳
     将来のPerfumeを支えるスタッフたちはこの頃、名誉も地位も実績もお金もなかった。もし何かあるとすれば、新しい何ものかを生み出す自負と誇りだけだったのかもしれない。
     2004年から2005年にかけてPerfumeの3人の身近にいて相談相手になれたのはアミューズのマネージャーと掟ポルシェ氏、宇多丸氏くらいだった。

    2004/9/8 インディーズ3rdシングル「ビタミンドロップ」発売。売上 802枚 オリコンウィークリー119位。

     アミューズはCDの在庫を抱えるリスクをレコード会社に置き、原版権として売上の10~20%を自社のマネジメント料とアーティストへの分配を行うのがビジネスモデルだ。802枚であれば売上80万円でアミューズへの配当を仮に最大の20%としても16万円だ。そこからマネジメント料をとってCDの制作費を捻出する。当然、シングルの売上が16万円では赤字である。
     この頃、アミューズから徳間ジャパンの篠木氏にメジャーデビューの打診があった。篠木氏は徳間の前にリワインドレコーディングスという、アミューズとビクターが共同出資して作った会社で制作部長をしており、その当時から付き合いがあったアミューズのスタッフが「何とかして売り出したいユニットがある」ということで篠木氏に相談にきた。
     徳間は、演歌歌手の多い中堅のレコード会社でPerfumeの楽曲が理解されるかは微妙だった。篠木氏はとにかく音を聴いてみて、それから原宿や秋葉原などへ彼女たちのライブに何度も見に行ってみた。それでもピンときたわけではなかった。世代も違い、篠木氏の年代からはわかりづらいことは確かで、徳間の編成会議ではいろいろな意見が出るであろうことは予測できた。”詞の意味がわからない”、”ピコピコした音のどこがいいのか”・・・

    2005ストリートライブ


     Perfumeは2005年から積極的に秋葉原でストリートライブを行った。それまで石丸電機等でCDのキャンペーンをやったりしていたが、新しい客層をつかむためにテクノというイメージがなじむ秋葉原にターゲットを絞って精力的に活動した。
     これまで6か月に一回CDを出してきたが2004年3月はなんの発表もなかった。メジャーデビューがまだ、決まっていなかった。
     春3月というのに雪が降り出す。ストリートライブをやり始めた頃。あっというまにあたりは雪におおわれ「わー、雪だ、きれい」と言っている間に歩行者天国が中止になった。このままではライブができない、急遽歩道でのライブをゲリラ的に行った。当然無許可だ。ただ、秋葉原の客は変わったことをすると食いつきがよく、すぐカメラを向けてくれる。4月も引き続き秋葉原でストリートライブを行うが、2曲目の「モノクロームエフェクト」の途中で警察に止められて中止。それでもめげずにライブをやる。秋葉原をホームとする桃井にPerfumeの活動が耳に入らない筈がない。この頃からPerfumeは秋葉原で桃井が開くイベントに顔を出し会話するようになる。

     6月にはメンバーとスタッフ総出で7月7日のライブチラシ配り&チケットの販売を行う。メジャーデビューが決まったのだ。ライブでメジャーデビューを発表するのだから力が入る。
    最終的に篠木氏がアミューズの中村チーフ、石井、山本の三氏の情熱を買って会社を説得してくれた。篠木氏は語る。「情熱を持って一生懸命取り組んでいるスタッフの気持ちを感じ取り、分からない文化を受け止める勇気も必要だ。熱意を持つ若い人間の後ろ盾になってあげるのが”大人”のスタッフの果たす役割ではないかと」
     最後は「おもしろいから、やってみましょう」と社内会議で言い放ち、説得したという。その頃、秋葉原とつくばを結んだつくばエクスプレスが7月に開設されると話題になっていた。秋葉原で活動しているテクノグループとして売り出すのに「つくばイクスプレス」と「リニアモーターガール」をタイアップしてはどうかという古い世代にも理解しやすい案を出してデビュー作が決まったという。

    あ~ちゃん「2005年といえばメジャーデビューの年です。広島限定デビュー、インディーズデビュー、そしてメジャーデビュー、最後の砦、最後で最後です。メジャーですから、これでダメなら、もうダメ、そいで決意を固めて、頑張った年だと覚えてて、あれ覚えとる」
    かしゆか「覚えとる、覚えとる。いろんなとこ回ったよね」

    2005_制服

     あ~ちゃん「レコード会社の方に挨拶みたいなの行って、会議みたいな、新曲とかメジャーデビューとかする人が来る会議現場みたいなところで、『Perfumeです。よろしくお願いします』みたいな、『制服で来とるよー』みたいなこと言われて、で、『頑張ってね』みたいなこと言われたから、『頑張ります!』みたいな、そんな感じだった、会議が終わって偉い人に挨拶しに行ったじゃん。なんとか部長さんです、『よろしくお願いします』なんとか課長さんです。『よろしくお願いします』社長さんです。『よろしくお願いします』、この人がPerfumeをつなぎとめてくれたすごい人です。『え!、いやー、ありがとうございますー』とか言ったんだけど、『まあ、後、3枚、後3枚出してあげるから、いい思い出に、次の道も考えてといてよ、』そういうことをね」
     かしゆか「高2だっけ(そう高校2年生)いい経験になるからって」
     あ~ちゃん「まるで、今、いい感じに行こうという時なのに、みたいな、いっぱい、挨拶して超前向きな感じで頑張りたいという思いでさー」
     かしゆか「希望に満ち溢れたとった時よね、やっとメジャーデビューができるってなって」
     あ~ちゃん「ありがとうございます、ありがとうございますって顔なんて上がらんわけよ、ずっとこの状態ですよ、びっくりしたよね。いい経験になるんじゃないみたいなこと言われて」
     のっち「オイオイ!って、エッて!」
     あ~ちゃん「3枚だけ出してあげるからー、エーって!」
     のっち「すごい、悔しかったよね。」
     あ~ちゃん「でも、あの時だけは、話したよね」
     かしゆか「帰り道に」
     のっち「本当に結成してから短いというか、その場だけのグループってわけでもないし、それをさー、なんか、ずっと頑張ってきたのに、ポンと入ったレコード会社の偉いかもしれんけど、なんもわからん人にさ、3枚だけ出して解散して、いい思い出にーみたいな、思い出ーッ、これから私たち頑張って行くのに、何言ってんのって思って、3人で帰り道歩きながら、すごい言ってたよね。あの坂道は忘れんねー」
     あ~ちゃん「言ってた、珍しく、広島弁丸出しみたいな感じで」
     のっち「珍しくね、言っとったし、悔しかったし」
     あ~ちゃん「同じように思っとったしね。あの坂道は忘れんね!」 
                                    (PefumeLOCKS)

     音楽業界というのは10本出して1本ヒットが出ればOKの世界である。毎年400組のミュージシャンがデビューして消えていく世界だ。この時の3人には厳しかったかもしれないが、現実であることは確かだ。3人はこの時の口惜しさがバネになったと言っている。3枚だけ出して解散と言っていた人も今やカツサンドとか差し入れ持ってきてくれるらしい。
     7月7日の渋谷O-Westで9月21日にメジャーデビューすることをPerfumeは観客に告知した。

     夏休みに入って血迷ったとしか言えないような活動をPerfumeは行う。9月にメジャーデビューが決まっているのにデビュー作とは全く関係ない「アキハバラブ」という楽曲を歌い、グループ名を「ぱふゅーむ×DJ momo-i(モモーイ)」と変えて毎週秋葉原でライブをやり、8月末にCD発売した。メジャーデビューのためのプロモーション活動ではない。打ち水大作戦という秋葉原から愛知地球博のイベントに参加する仕事だった。そのイベントのために歌うにしても今のPerfumeの姿から見ると「アキハバラブ」は非常に奇妙で特異にみえる。

     ・作詞作曲が中田ヤスタカではない。(桃井はるこ)
     ・ステージに立つのが3人だけではない。(桃井はるこを含めて4人)
     ・声の加工がない。(生歌で3人が歌う)
     ・地球温暖化とかいう政治的メッセージがある。(スポンサーが地域と政府だからか)
     ・振り付けがMIKIKOさんではない。
     ・アートワークやPVが関さんではない。
     ・フリコピ用の上下左右のDVDが付属している。
     ・衣装がヘソ出しルック。(コーディネートは桃井)
     ・原版権がアミューズにない。(Perfumeが自分のライブで勝手に歌うことはできない)
     ・グループ名がPerfumeではない。
     ・主役がPerfumeの3人ではない。

     アキハバラブとは桃井はるこが自分の理想のアイドルをトータルプロデュースする夢を実現させたものだ。原盤権をアミューズが持っていないことから、事務所サイドは音楽制作には何も関わっていない。打ち水大作戦用アニメの声優の作業など桃井サイド中心で動いている。また、制作に当たって桃井個人の持ち出しも多かったに違いない。それほどたった一曲のためにあらゆる部分に桃井自身で手を入れている。何故、そこまでPerfumeのへの楽曲提供にこだわったのだろうか。

     桃井「あのー、この曲はですね、結構、私自身の夢も詰まった、私自身の曲なんですよ。やっぱり2度とないこの夏じゃないですか、今年は、秋葉と愛知地球博でイベントとかやりましたけど、もちろん3人は、前からそうやって出会ってね、英文字のPerfumeとして活動してたわけですよ。それとこのひらがなの「ぱひゅーむ」として、この桃井と、秋葉原という場所で、前からアキハバラブ歌ってもらおうと思ったのは、やっぱり秋葉原でストリートライブをやってたから、Perfumeがやってるの知ってたから。
     どうです?ひらがなの時と英語の時の違いみたいなものは?」
     あ~ちゃん「のりとかも全然違うしー、なんかアキハラブの時の方が、のりがスゴイいいよね。皆さんやってくれるし」
     桃井「独特のノリが、あるので、でもね、実はすごくね、本音を言えば不安だったんですよ。全然違う、180度違うことじゃないですか、昔からのPerfumeファンの人もね、まあ許してやるかみたいな感じで、ありがたいなと思って」
     あ~ちゃん「でもアキハラブをやってるときの方がすごい気持ちがよかったです」
     のっち「すごい、本当に自分の思っている気持ちが、ありがとう、ありがとうという言葉がたくさんでてきて、それを伝えたい、と思いながら歌うというのは、あまりなかったので」
     あ~ちゃん「なかったね、なんか、結構、英字のPerfumeの方は意味のわかんない歌詞だったりとか、英語が一杯あったりとかして、歌い方もね結構クールな感じで、なんにも考えてない感じで、鼻歌みたいな感じで、いつも歌ってって言われるんで、すごいまた新鮮でね、レコーディングも、すごい楽しくて、とってもやりやすかったです。」
     桃井「それは良かった。3人にね、アキハバラブやるってこと、打ち水のイベントやろうと言う時に、なんか中華料理屋でね(笑)」
     あ~ちゃん「豪華なところでしたよね」
     桃井「その時にね、3人の話を聞いててね、今のスタッフの人とか、後capsuleのPerfumeの曲を作ってらっしゃる中田ヤスタカさんのこととか、すごく感謝の念をね、持っていることがわかったのね。それがすごいな、素晴らしいなと思って、なんかそういうことをねー、込めて歌えるような曲にしたいし、ファンの人達に対しても、そう思ったから、そう言ってもらえると嬉しいですね」
     あ~ちゃん「はい、すごい、入り込みやすかったよね、ありがたいです」
     桃井「Perfumeの英文字の活動も私はすごい好きで、友達からすごい、すごいんだよって言われてCDとか、もらったりとか聞いたりとか、すごいとか思ってて、何回か一緒にライブやったりとか機会が前あったんだけど、だからすごく英文字のPerfumeに敬意を表してのひらがなの「ぱふゅーむ」にしたんですよ。また、それとは違う面でねって」
                             「Perfumeがモモーイのラジオゲストに」(2005/9/4)


     メジャーデビュー後の11月20日の渋谷O-EastにおけるWonder momo-i Live tour最終公演にPerfumeはサプライズゲストとして出演している。この時のPerfumeの動画があるので見てほしい。11月には寒すぎる夏の舞台衣装だが、リハーサルでドリンクを回し飲みしている3人が初々しい。



     アンコールの舞台裏で「はるこが見たい、もう1度はるこが見たい、はるこがみたーい!」と声を上げるファンと一緒にPerfumeも声を出している。そして、ひらがなの「ぱふゅーむ」であっても3人が歌い踊るだけでPerfumeが成立してしまうことをこのビデオは証明している。
     のっちは後にアキハラブでお客が求めているのはPerfumeではなくて結局、桃井さんなんですよと語っている。彼女達はアキハバラブがPerfumeにとってどんなものか自覚していた。
     この頃の3人はPerfumeの方向性について信じ切れていなかったと私は思う。わかりやすいとは決して言えない木の子氏の歌詞、ピコピコした音、近未来風の変な衣装、アクターズの頃の発声の全否定、チラシを目の前で捨てていく通行人、前座のPerfumeに早く終われと罵声を浴びせる観客、250人以上どうしても増えてくれない観客、どうやって自分を変えていけばいいのかわからない、CDを後3枚出したら本当に引退しなければいけないのか、どういう顔をして広島に帰ればいいのか、アクターズの頃は隠されていた現実の壁にぶつかって、徐々に光を失っていた彼女達。彼女達が信じるPerfumeへの背信、裏切りの季節に彼女達がいたとして誰が責めることができるだろうか。最後の時に3人でいられるためにどんな手段を使ってもいいと思ったとしも、暗黙の共犯幻想があったとしても。ただ、そんな自分達が許せず、その頃のPerfumeをあ~ちゃんは血迷っていたと言うしかなかったのではないか。3年後に中田さんの曲が認められなくなったときはPerfumeが終わる時だとあ~ちゃんが言い放つことになる。まだ、そこまでのPerfumeチームへの確信はこの頃のPerfumeにはなかった。
     彼女達にとってアクターズの頃のように精一杯歌って踊る「アキハバラブ」は必要な体験だったのではないか。その頃のPerfumeにとって足りないものがあったとしたら、それは楽曲に対する愛だ。学校に行っても胸を張って自分達の歌を話題にすることはなかった。好きな歌を歌い踊るからこそ輝ける。アクターズの頃のように歌うことが踊ることが楽しくてしょうがなかった時代を思い出すために、今のPerfumeの方向性とは180度違う曲を敢えて桃井は作曲しプロデュースしたのではないか。彼女達にもう一度思い出してほしかったから、あえてアクターズの頃のひらがなの「ぱふゅーむ」を桃井はグループ名に選んだのではないだろうか。会って話せば話す程、Perfumeに惹かれていく、秋葉原という小さな世界から飛び出して、どこまでいくかわからない可能性を桃井はPerfumeに感じたのではないだろうか。
     桃井の楽曲で特徴的なのは観客とコール&レスポンスを想定した間を最初から曲に作りこんだ曲構成になっているところだ。
     中田ヤスタカはライブ用に曲を作ったりはしない。ただ、長い間奏を入れることは多い。そこにPerfumeは客と一緒に踊り声を掛け合う間を作りだす。観客と一緒にライブで育てていく楽曲がある。そんなファンと共にある楽しさを秋葉原でストリートライブをやってきたものとして、桃井はPerfumeに伝えたかったのかもしれない。
    Perfumeにとって無駄なことなど一つとしてなかったのだ。
     そして、Perfumeはこの後、運命の曲と出会う。最後に残っていたパズルのピースが見つかる。初めて好きになった歌、初めて中田ヤスタカの歌詞がヤスタカの楽曲にのったコンピューターシティ。

    コンピューターシティ
    作詞作曲:中田ヤスタカ
    完璧な計算で造られた楽園で 一つだけ うそじゃない 愛してる
    どうしてねえコンピューター こんなに苦しいの
    あーどうして おか(しい)の コンピューターシティ

    記憶と記憶の間たどって 誰も見たことのない場所で
    夢の中で描いていた場所へ ありふれたスピードを越えて
    もうすぐ 変わるの 世界が もうすぐ ぼくらの 何かが 変わるよ

    完璧な計算で造られた この街を 逃げ出し(たい) 壊したい
    真実は あるのかな
    完璧な計算で造られた楽園で 一つだけ うそじゃない 愛してる

    どうしてねえコンピューター こんなに苦しいの
    あーどうして おか(しい)の コンピューターシティ

    絶対故障だ ていうかありえない 
    僕が君の言葉で 悩むはずはない



     2006年初頭に発表されたコンピューターシティは裏切りの季節が終わりPerfumeのスタイルが確立する季節の到来を告げることになる。

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    2013.10.31 | コメント(0) | トラックバック(0) | Perfume

    Perfume研究3 アイドル

     Perfumeとホルモンとの対バンライブ終了後にマキシマム ザ ホルモンのメンバーがこんなツイートをしていた。
    「Perfumeとの夢の2日間が終わってしまった。彼女達は本物のアイドルであり本物のアーティストだった!3人が更に大好きになった! そして私…4人目のPerfumeとしてこれからも頑張りますっ!笑 byナヲ(はるな愛ではありません)」

    「この時、弟はステージ袖で泣いていた。どんな男子も範馬勇次郎のごとく一度は世界最強の強さを夢見ると同じで、女子も誰しも一度はアイドルとしてステージに立ちたいという夢を見たはずだろうから…。Perfume、姉に夢をありがとうw by亮」
     
    対バン001


     私はアイドルを知らない世代だ。アイドルとは呼ばずスターと呼んでいた。スター誕生という番組から生まれた山口百恵がいた時代で、スターと握手するなんて畏れ多く想像すらできなかった。明石家さんまが渡辺・郁恵夫妻から山口百恵と一緒にいるから来ないかと誘われて思わず断った気持ちはよくわかる。
     私はPerfumeをアイドルだと思ったことは一度もないが、今世の中はアイドルであふれかえりアイドル戦国時代と呼ばれているそうだ。
     Perfumeはアイドルであったのだろうか。アイドルになろうと思ったことがあったのだろうか。

     あ~ちゃん 「アイドルとしてやっていきたいっていう思いもないですし。もちろんアーティストっていうわけでもないですし。だから呼んでもらえるなら、どう呼んでいただいても、けっこうでーす(笑)」

     アイドルと呼ばれているグループに乃木坂46というグループがある。今、一番アイドルと呼ばれる要素を詰め込んだグループだと思う。
     乃木坂46はソニーミュージック(SME)がAKB48を超えるために秋元康に頼んで作ったアイドルグループだ。キングレコードに移ってすぐAKB48がブレークし、「逃がした魚たち」というブレーク前のシングル集を出すぐらいだから、SMEもよほどくやしかったのだろう。全国4万人の応募の中から33人のメンバー選出し発足した。秋元康は6か月でAKB48の6年に追いつかせると宣言し、「AKB48の公式ライバル」という触れ込みでデビューした。乃木坂46の使命は既に2000万枚を超すCD売上を持ち年間200億円近い売上を持つAKB48に追いつくことだ。乃木坂とはソニーミュージック(SME)のあるビルの」地名を示し、46は48より人数が少なくとも負けないという大人達の思惑に彩られたグループ名だ。

     Perfumeというグループは誰がどういう目的を持って作られたのだろうか。
     アクターズに入る前にあ~ちゃんとかしゆかは別のスクールで最初に出会い一緒にそのスクールに行こう約束した。結局、約束したスクールを受けずに、アクターズスクールに応募して同じクラスメートとして再会した。 
     裏切りの季節を体験した小学生の二人はそこにいて、気まずいながらも、あ~ちゃんが「握手しよう」と笑顔で手を差し出し握手した。小さな裏切り者たちの再会からperfumeは始まった。香という文字が名前にあるからと「ぱふゅーむ」と名づけた。憧れのSPEEDと同じ13画になるようにひらがな表記にして絶対成功すると信じて。まるでロックをやりたくてたまらないニキビ面の高校生が悪ぶってバンドを組むように「ぱふゅーむ」はスクールの中で自然発生的に出来上がった。アクターズスクールの他のグループがカッコいい系のダンスバリバリのグループばっかりだったのに対し可愛くてダンスも踊れる「ぱふゅーむ」はスクールの中のアイドル的な存在として認知され発表会には専用の指定枠が用意されるまでになった。その頃、のっちは「N.Y.体験レッスン・Amuse Audition 2000」広島地区大会にてグランプリ獲得したりしたがグループに恵まれず発表会のソロでは選ばれたがグループとして選抜に漏れることの方が多かった。

     アイドルは未完成の魅力が必要だという。多少、歌や踊りが下手でも、そうした欠点があるから魅力的に見えるものらしい。乃木坂のメンバーに乃木坂に入る前はピラミッドのどの辺にいたかと聞くと殆どの子がピラミッドの底辺を指さす。センターを務める美形の白石麻衣、朴訥なズーズー弁で中身はポンコツなんですという生駒里奈も決して学校では目立った存在ではなかった。

    生駒「底です。で、三角形の一番上の人たちって、ほっとけばいいのに底のコにちょっかいを出してくるんです。いじめが好きな人たちですよ!」
    白石「一緒!私もココ(三角の頂上)の人たちにいじめられてた。」
    桜井「乃木坂46のメンバーは全員が三角の真ん中より下ですよ。」

     人見知りで、うまく人とコンタクトできない自分が嫌で変わりたくて応募した子もいる。乃木坂46が大人の思惑の中で作られたグループだとしても、そこにいるのは生身の普通の女の子達だ。
     乃木坂には四半期(3か月)に一回シングルCDを歌う選抜メンバーの発表がある。競争倍率1000倍以上から選ばれた33人の内、CDシングルで歌いテレビに出ることが許される16人を選ぶ、さらに八福神というフロントラインで歌うことを許されたメンバー8人を選ぶ。8福神から外されたメンバーにはテレビに出てもピンマイクもつかない。AKB48で培った競争の原則が適用される。毎回、選ばれたものは泣き、選ばれなかったものも唇はかみしめる。モーニング娘のASAYANがハードルを設けて乗り越えていくメンバーを描くことで人気を博したように、乃木坂ってどこという冠番組30分の番組枠を使い切ってその表情を映し出す。選出は乃木坂運営委員会という大人たちが行う。選出の基準が知らされることはない。握手会に誰が何人並んだか、テレビでのパフォーマンス、プロモーション貢献度、ダンススキルの向上、次のシングルのイメージにあった顔なのか、何をベースに判断されているか知りようがない。

     のっちのアイドルの定義は簡潔だ。「事務所の方針に、ちゃんとあったことを、作曲も作詞もしないで、出されたものをぱっとやるのがアイドルだよ」
     Perfumeがメンバーを変更したのは中学1年になって河島佑香が「ぱふゅーむ」を脱退した時の一回だけだ、あ~ちゃんと家族で話して選定を行い候補者としてのっちに目星をつけた。いつものようにチョコ・スティック・パンをかじりながらスクールのエレベータに乗り込んだのっちにあ~ちゃんが「ぱふゅ〜む入らない?」と誘い、「入る、入る!」という一声で今のPerfumeが誕生した。
     ダンスに限らず、ピアノでも野球でもプロとしてやっていくには最低1万時間の技術習得の基礎時間が必要だという。一日5時間練習しても6年という期間が必要だ。習得した技術を使いこなし自分の表現として表に出すというのは並大抵のことではない。これをやれと言われても、のっちが言うように普通の人がぱっとやれるものではない。
     西脇彩華「かしゆかものっちも、昔からいつもうちに来てました。目的はお姉ちゃんの部屋での練習合宿。休みもとらずに8時間くらい踊り続けるんですよ、土日も夏休みも平日の放課後も、毎日夜遅くまで。練習後にごはんを食べる時も、話すのはPerfumeをどうよくするかということばかり。」
    中3の春に上京してインディーズデビューする頃には3人はプロとして最低限のスキルは身につけていた。

     AKB48もそうだが乃木坂のオーディションでは歌やダンススキルを披露するが習得しているかは採用の条件ではない。ルックス、素質、アイドルになる意思が重視されていると思う。成長していく過程を見せたり、努力していく姿をファンと共有していくことが望まれる以上、プロとして出来上がっているのはむしろ邪魔なのだ。乃木坂46のオーディションに合格したメンバーには既にタレントとして活躍していた元ももクロメンバーの柏幸奈やミスマガジンのグランプリ取得者の衛藤美彩、広島アクターズ出身で妹がBABYMETALで活躍している中元すず香の姉の中元日芽香等、地方のアイドルだったメンバーも多数いるが殆ど選抜メンバーに入れず、レコーディングもテレビに出ることもできない。Perfumeの3人がAKBの時代に生まれ乃木坂に応募したとしても書類審査で落とされたかもしれない。
     乃木坂46は、発足して6か月でメジャーデビューという過酷なマスタスケジュールをアイドルとしてやり遂げなければならない。そのために実績のあるスタッフが配置され成功体験に裏打ちされたシステムが用意されていた。
    乃木坂46の特色を鮮明に出したスタッフとしては振付師の南流石さんだろう。サザンーオールスターズ、福山雅治、B'z、GRAYといったロック系のミュージシャンに対する振り付けが主でアイドルグループの振り付けといえばPUFFYぐらいしかない。アイドルオタにはカッコワルイと評判が悪いみたいだが所謂アイドルダンスを教える人ではない。南さんはおしりかじり虫のように子供や老人でも簡単に覚えられて見ている内に自然に踊りたくなるダンスを目指している。南さんと仕事された池本さんという方がブログで記載しているので抜粋する。
     「振り付けが、身体の動きに対して、じつはきわめて自然なんです。振り子の原理で右から回せば左に。クルッとまわせば自然に上まで手が行って、そこでチャチャチャ。奇抜な動きはあるけれど、奇抜さのために身体に逆らうような動きはない。そこが重要です。つまり、それは、子供たちにとって、自分がもともと持っているけれど、今までしたことがない未知の身体の動きを修練で発見する体験でもあります。あっ、私の体ってこういうふうに動くんだ、という発見。それが子供たちにとって面白くないわけがないんです。だから、子供たちは夢中になって真似るし、その動きを身につけようとする。子供たちが、南さんの振り付けみたいに自分の体を動かしてみたくなる。そこが、一見、子供受けする奇抜なダンスをつくっているように見える南さんの本当のすごさだと思います。
    南さんのダンスは、ヒップホップでもなく、ジャズダンスでもなく、バレエでもなく、日本舞踊でもなく、盆踊りでもない、「からだ」の動きそのものなんですよね。どのジャンルの文化にも依存していない、無垢な身体表現。それは、いわゆる「アバンギャルド」と呼ばれるものだと思います。」(池本孝慈)

     たった6カ月でど素人の集団を人に見せられるダンスに仕上げるには南さんしかいなかっただろうし秋元康が南さんを指名した判断は正しいと思う。南さんは乃木坂の子達の「素の素材」の良さを感じた。輝きを秘めた原石が多いと思ったという。輝きとは「そこにいる意味がわかってる子」から発するもので自分の意志でそこにいる子は、リハーサルやレッスンを意味のあるものしようとするから、目が違う、必然的にそれが輝きになるのだという。
    南流石「一般的には『自分が楽しまなきゃ、お客さんは楽しめない』というらしいんですけど、私は逆で、『あなたが先に楽しんじゃダメ。お客さんが楽しんでいるのをみたら、自然と楽しくなるから待って』とずっと言ってます。」
     南さんはダンスを踊る人間にとって一番大事なのはパッションと衝動だという。いくら技術を詰め込んだとしても引き出しから出し尽くした後、出るものが、その人間の表現であり、内からこみ上げてくるリズムに耳を傾けることができるものが本当のダンサーだという。
     南さんは乃木坂のデビュー作の「ぐるぐるカーテン」からダンスの難易度を上げていって、4作目の「制服のマネキン」で33人メンバー全員が一緒に踊れるまでに仕上げている。



     南さんの言ってる「素の素材」の良さはPerfumeのメンバーにもあてはまるように思うし、彼女たちは「お客さんが楽しんでいるのを見たら自然と楽しくなる」ように自分達のライブから学んでいると思う。そんな3人を育ててきたスタッフには乃木坂46のように実績のあるスタッフは一人もいなかった。MIKIKO先生も高3でダンスを習い始めてコンクール等でダンスチームの一員として何度か優勝したにせよ、2年目でアクターズでダンスを教えることになったのだから経験も実績もなかった。中田ヤスタカも音楽プロデューサーとして初めて作ったcapsuleのアルバムがOricon最高位で232位くらいの実績しかなく、関さんもPerfumeのスチール録りで関わってMVをやりたいと手を上げたくらいだ、皆、Perfumeと同様に地位も名誉も実績もなく時間と夢だけがあった。PefumeのスタッフもまたPerfumeと関わることで共に成長していったのだ。
     MIKIKOさんはスクールでダンスを教えながらMAXのバックダンサーのオーディションを受けて合格し、ダンサーとして踊りながら勉強しアクターズで教えていた。そんなMIKIKOさんの振付の特徴は裏拍の取り方だろう。MIKIKOさんのダンス指導では音取りが凡庸にならないように裏拍を意識しなさいと指導する。例えばひとつのビートを「ダン」というカタカナで表現すると、「ダン」の「ダ」がビートの表拍(アップビート)で、「ン」(体感的に分かりやすく書くと「ンダ」)が裏拍(ダウンビート)だといえる。

    普通の拍子の取り方が以下のよう4拍子だとすると
    ●-●-●-●-
    裏拍は以下のようになる
    -○-○-○-○
    音楽のビートに身を任せるのではなく、裏拍を含めて意識したダンスを行うことでダンスの表現の幅を広げるように指導するのだ。
    例えば以下のように8ビートがあったとして
    ●-●-●-●-●-●-●-●-
    裏拍を意識して取り入れることでリズムの組み合わせが格段に広がりバリエーションが大幅に増える。
    ●○●--○●--○●-●○-○

     その組み合わせを歌に合わせることでリズムの取り方でメロディや歌詞が目に見えるように踊ったり情感を表現できる。こうした裏拍を取り入れたダンスでPerfumeは自分達の肉体を使って、歌をメッセージを表現するのだ。
    Perfumeのフリコピが素人に難しいのは裏拍の取り方にあると思うし、それがフリコピをやる人間の闘志を燃やすのかもしれない。

    西脇彩華「記憶に残っているのは『絶対有名になって紅白に出ようね』と言ってたこと。お姉ちゃんが上京する時言った言葉も『絶対紅白出るけんね』でしたから、3人の鍵は本当紅白なんです。」(QuicJapn Vol74)

     広島にいた頃の彼女達の目標はアイドルになるというような漠然としたものではなく、常に具体的な目標を置き、そこに向かうための日々の小さな目標をクリアすることに重点を置いていた。「おまじないペロリ」という楽曲でもみじレーベルという広島限定のCDデビューをした後、中3年の時に上京することになる。

     以下はPerfumeが上京した2003年アミューズの決算説明会の一節だ。

    時代の求める新人アーティストの発掘・育成
     ・ 顧客の身近なアーティストの発掘
     ・ ビジネススキームにフィットするアーティストの育成
     レコードの売れ行きに左右されないアイドル系アーティストの育成や、産地直送型(=インディーズ)アーティストの発掘・育成に注力します。

     2003年の春、中3になったPerfumeの3人は上京しアミューズが運営する女子寮に入寮する。広島アクターズスクールを含めて4つのスクールとアミューズは提携しており、全国から推薦されたメンバーやグループが集められた。アミューズはこの頃からCDの販売減少していくことを前提にCDの売行きに左右されないアーティストの養成に注力していた。
     地方レベルから全国レベルの水準のチーム(BOYSTYLE、Buzy)とPerfumeは出会うことになる。ルックス、歌、ダンス、MCどれ一つとっても叶わない相手が周りに一杯いて、自分達が広島から出てきた芋っ子に過ぎないことを思い知らされた。

     かしゆか「上京するまでは前だけを見て、その勢いに乗っかってがんばろうって感じで、上京してもお客さんも思うように増えなくて、初めての挫折みたいな感じだったんですかね。現実を見たって感じですよね。今までお客さんを意識していなかった分、自分達さへうまくできていればよかったんですよ。
     自分達として作品が完璧にできていたら、それはそれで『すごく今日のステージはよかったね』だったんですけど、東京に出てくると発表会じゃなくてイベントとかライブだったんで、お客さんを相手にするってなかなか経験したことがなくって、広島でイベントをしても、それをお客さんにやっているというよりは、自分達がステージに立っているってとこまでしかなかったので。そこで東京に出てきて250人増えるまでは、お客さんを意識して初めてがんばってたんですけど、そこからどう増やしていいかわからなくて。これからどう自分達を変えていったらいいのかとかもわからなかったんで」
     あ~ちゃん「なんか、夢とかもスクールにいる時は勘違いしてるから言えるんですよ、こうなりたい!ああなりたいとか!とかもう言いたい放題。だけど言ったもん勝ちっていうか、言った人はそれに近づこうと思って努力するから、すごく輝いてるんですよね。
     でもそういうの忘れちゃってて、やっぱ夢はあるけど、やりたいこともたくさんあって、叶えたい夢もあるけど言えないみたいな、そういう心情になっている時点で、もう落ちぶれているじゃないですか。光をなくしてるから。だけど、よくがんばってたよね」(2008年3月bridge)

     彼女達はマネージャーから教えられた目の前にいる5人なら5人のために歌えばいいんだよという言葉をよりどころに亀戸サンストリートで目の前の15人の観客のために歌った。先輩のBuzy のMCやり方を見ながら、少しずつ自分達のトークを磨いていった。
     お客さんを増やすために握手会やサイン会は無論やったし、ケーキを作ったり、ビラを配ったり、ストリートライブや早朝ライブをやったり、舞台でラーメンを作ったり、血迷ってグループ名と音楽プロディーサーを変えたり。ファンとのバスツアーもやり、考え付くことはなんでもやったが中々客は増えなかった。ジャニーズなど売れっ子がいる学校では自分達がアイドルグループとして活動しているということさえ恥ずかしくて言えなかった。

     乃木坂46は発足から2か月後に「乃木坂ってなに」というバナナマン司会の冠番組を持ちテレビ番組をホームとして活動を始めた。
     日本のCDの売上はピーク時の6割という。単に音楽を聴くためだけであればTHUTAYAやネットを含めて今や代替物はいくらでもある。音楽を聴くためにCDを購入する時代は過ぎた。今、何故、CDを買うのか、それはアイドルやミュージシャンとつながるための一つのアイテムだからだ。
     AKBのように握手権や投票権がほしくて買う人もいれば、怒涛のプロモーションの音に耳をふさぎ、初めてCDの音源を聞くまでのプロセスを楽しむ人もいる。
     握手会というAKB48が確立したビジネスモデルを踏襲しCDのセールレディーとして乃木坂46は活動を始めた。Perfumeが広島限定レーベルCDデビュー、インディーズCDデビューを経て、メジャーCDデビューを行ったのに対し、乃木坂46は最初からメジャーCDデビューを行った。

           タイトル名      オリコン最高位 初動枚数  累計枚数
    Perfume  リニアモーターガール   1枚目 99位   1.188枚  2,630枚
          love the world     7枚目 1位 80,742枚 145,852枚
    乃木坂46 ぐるぐるカーテン     1枚目 2位  136,309枚 211,535枚
          ガールズルール      6枚目 1位  337,138枚  447,243枚

     CDの売上枚数を見る限り、乃木坂46がPerfumeを上回っているように見える。ただ、全国ツアーの動員数でみるとPerfumeがJPNツアー25万人、乃木坂46が5万人となりPerfumeが逆転し5倍近い動員力を誇っている。Perfumeと乃木坂46ではCDを販売するシステムが違う。Perfumeは通常通りプロモーションをやり初回版と通常版の2種類しかアルバムを発売しない。あくまでも楽曲を聴く人に届けたいという売り方だ。AKBが作り出した握手券や投票券のついたCDは楽曲を聴くためではなく、おまけについている握手券のためファンは金を払うのだ。
     乃木坂46のCDには握手券が封入されており、ツアーとは別に4千人とか8千人レベルの握手会というイベントが全国展開で行われる。握手会には夫々のアイドル単位にレーンが作られ、好きなアイドルのレーンに並び握手券1枚で誰か一人と8秒程度握手してアイドルと会話できる。「剥がし」というスタッフが横にいてストップウオッチで秒数を図り、時間がくるとアイドルからファンを引きはがす。もし33人全てと握手しようと思えばCDを33枚買わなければいけない。8秒以上話したければ並び直すか握手券を複数枚渡して秒数を延長する。たった8秒の逢瀬のために1000円以上の金を支払うのだ。握手会にわざわざ足を運ぶのだから多い人で4~50枚、少なくとも4~5枚は持っていく。だから4000人の握手会を開催すれば2万枚以上のCDが売れるのだ。人気の高いアイドルのレーンはあっというまに一杯になってしまうので予約制になっている。握手会に行けば、誰が人気なのか一目瞭然でわかる。人気のないレーンは過疎ってると言われ握手会に来るファンを待つ。何人と握手したかがそのアイドルの売上実績となる。握手会の規模が大きくなればなるほど、売上があがるのだが人海戦術であるためAKB48のように研究生や他の48グループの応援をもらって握手できる数を増やせば増やし売上があげる。レコード会社にとってアイドルグループはCDの販売会社なのだ。アイドルとはCD販売のセールスレディーであり歌やダンスがうまいメンバーより、ファンへの対応がよく握手会の人気が高いメンバーが貴重な戦力となる。握手会システムとはレコード会社にとってアヘンのようなものであり、止めることも引き返すこともできずにいる。握手会に頼る運営を続ければどういうことになるかはレコード会社が一番知っていると思うが、目の前の売上の魅力には抗しきれないのだろう。ただ、乃木坂46には逸材が多い、大事に育ててほしいと願うしかない。



     世界的にはCDの低落傾向が続いており、世界音楽売上トップ3ヶ国のうち、日本の音楽ソフトの売上比率は80%で、英国(49%)、米国(34%)に比べ、CD販売の依存度が極めて高い。
     アミューズは10年前から世界的な潮流に対応してメディア販売からアーティストマネジメントに比重を移している。

       アーティストマネージメント事業 メディアビジュアル事業 コンテンツ事業
    2002年    93億(40%)      123億(53%)   17億(7%)
    2013年   241億(78%)       45億(15%)   21億(7%)

     CDの売行きに左右されないアーティストの育成。ライブの宣伝のためにCDを唯で配るような日が日本にくるのを見据えてアミューズはアーティストマネージメント事業を強化するためにアーティストのマネージャーの採用と養成に力を入れていた。
     アミューズのマネージャーは応募数2~3万人の応募の中から10人程度採用しており、乃木坂46より競争率が高い。アミューズのマネージャーはアイドル系には弱いがロックミュージシャンを育てた優秀なマネージャーが多かった。

    のっち「なんか、かっこいいことしたい!って人たちばかりだったから」
    あ~ちゃん「そうだね、アイドルの人たちじゃなかったからね」
    のっち「そうそう、だからなんか言われて「え?」と思っても、かっこいいんだと思ってそれでがんばれたし、かっこいいことしたいなっていう意識も出てきたし、不安はあったけど希望もたくさんあって」
    あ~ちゃん「多分でも、スタッフさんはいろいろお金の事情とか、たくさんあったと思うんですよ。でもそれは一言もPerfumeには言わないで、がんばっていこう!とか、すごい希望の言葉をたくさん言ってくれて」
    かしゆか「自信を持たせようとしてくれてて「大丈夫だよ!がんばれば大丈夫!」って言ってくれてて」
    あ~ちゃん「だからすごいやりやすい環境というか。恵まれた環境にいたんだと思います。今もですけど、いるんだと思います。」
    のっち「地方か東京か忘れたんですけど、クラブのイベントに出してもらって、 実際に大人の人たちがPerfumeの曲でクラブノリをしているのをみたりとか。 そういう風な経験をしていって、なんかカッコいい音楽やってるんだみたいな」
    かしゆか「その頃から宇多丸さんとかと一緒にやらせて頂けるようになって、申し訳(ナイタズ)のイベントに出させていただいたりとかして、テクノとかクラブ好きの人たちに知ってもらえる機会が増えたからだと思います。で、Perfumeももともと広島でクラブでダンスをしてたりとかしていたので、そういう雰囲気はすごい好きだったんですよね。そういうのもあって自信が持てたっていうか」
    のっち「学校ではちょっとバカにされているけど、クラブでかかったら盛り上がってくれるんだぞみたいな」
    あ~ちゃん「お前らも知らないだろうみたいな」(笑)
    のっち「ちょっと弱気だけど、そういう小さな抵抗みたいな(笑)。それぐらい言えるような自信は、その時湧いてきました。」
    かしゆか「そういう方向に行けて嬉しいという気持ちはありました。これは3人が思っているだろうかわかんないんですけど、ユカはそういうクラブとかカッコいい音楽に認められるのが、すごく嬉しかったです。」
    のっち「うん、嬉しい」
    かしゆか「やっぱりテレビに出てメジャーでガーッて売ってるのもすごいうらやましいし、すごいいいなと思ってたんですけど、ライブばっかりやってライブ積んでった方がかっこいいじゃんみたいな。多分、元のマネージャーがすごいロックな人で「ライブで行こうぜ」みたいな感じだったり、けっこうロックなライブハウスばかり行ってたりしたんで、そういう考えになって、だから、そういう人たちに認めてもらえているほうが、すごく嬉しかったですね。音楽性を認められているっていうか。普通のアイドルじゃこっちこれないじゃん、みたいな、ちょっとおいしいみたいな、そういう感じでしたね。」

     他のレコード会社からメジャーデビューを断られたPerfumeを拾ってくれた徳間の篠木氏は言う。Perfumeのメジャーデビューを決めたのは当時話を持ちかけてくれたアミューズの故中村チーフ、石井、山本の三氏の情熱ですと言い切っている。
     2002年に解散したSIAM SHADEが中村新一(元チーフマネージャー)追悼の意を込め、2007年日本武道館にて一夜限りの再結成ライブを行なった。それほど中村新一はミュージシャンから慕われていた。

    かしゆか「人の目を気にして音楽を作るんじゃなくて、自分たちのポリシーというか、ちゃんと個性を持ったグループで、最近の世の中はこういう音楽が好きだから、そういうのに合わせた音楽とかを作るんじゃなくて、Perfumeらしさを残しつつ、自分たちが新しいと思えるものとか、自分達のすごい気に入っているものっていうのを作っていけるように、まあ、自分達が全然作ってるわけじゃないし、ほんとうに歌ってるだけで、曲も詞も書いて頂いて、周りのスタッフさんに全部やってもらってるんですけど、そういう風になっていきたいですね。」(2008年3月bridge)

     PerfumeはAKB48のようなアイドルグループが本流となる前にアイドルとかアーティストとかのジャンルを超え別の地点に到達していた。
     
    あ~ちゃん「やっぱり同じ形でずーっとい続けるっていうのは難しいと思うし、年をとっていくほど、しわもしみもどんどん増えていくし(笑)。
     やっぱり変わっていくんですよ、みんな。何もかも全部変わっていくんだけど、その中で3人でいるっていうことが私たちの中ですごく大きな意味を持っているので。Perfume でいれればそれでいいっていう、それはあるかもしれない」

     Perfumeでいられる環境をずっと守ってきたもっさんが言う。
    もっさん「Perfumeは僕を含めた大人が観て、『すげぇよかった感動した』って言ってくれる人がいるってことを誇りに思ってほしい。いつまでも大人たちを感動させてくれたらと思います。Perfumeはライブハウスで少しずつお客さんを増やしてきて、ワンマンライブをO・Crestでやって、O・Westでやって、アストロホール、FAB、ユニット、リキッドルーム、AXって上がっていってる。やってることがロックバンドじゃないですか。すげぇと思うんですよ。だからそれを永遠に続けたいし、僕もそこだけはつぶさないように、そこだけはちょっとがんばろうかなと。」(QuicJapn Vol75)



     渋谷陽一がPerfumeの武道館ライブの後で呟いた言葉がある。
    「武道館でパフューム。実は単独コンサートは初めて。客の9割が男なのに驚く。勝手に4割くらいが女の子のイメージを持っていた。改めてアイドルなんだと確認。でも革命的なアイドルである事も再確認。これほど自我が相対化され、ナルシズムが無化されたアイドルはかつて存在した事がない。桑田佳祐が30年トップを走り続けて到達した境地に、何故19才の女の子が立てたのか分からない。小学生時代から、売れないアイドルとして積み重ねたキャリアが強くしたのだろうか。しかし、普通なら人を歪めてしまうキャリアの中で、健全でいられた事こそが謎である。僕は、彼女達の知性が、こうした奇跡を起こしたのだ、と思っている。新曲紹介のMC。「中田さんに見捨てられなかったから、ここまでこれたんだよね。これって偶然だよね。でも、必然だと思いたいよね。だから、ここで皆に会えているのも、偶然じゃなくて必然なんだよ。必然なんだよ」アイドルが語る言葉として、これ以上のものを僕は聞いた事がない。」

     武道館から5年SONICMANIA 2013でPerfumeのライブがあった。

     定刻、出囃子からの「Magic of Love」、一気にモッシュが始まる。いたるところでピョンピョン人が撥ねながら押し合い、湿度が猛然とあがり一挙にサウナ状態。汗が全身から吹き上げる。飛び続ける隙間からPerfumeのダンスが微かに見える。
     あ~ちゃんが「マクハリー」と煽ると4つ打ちの音が熱狂を押す。爆音姉さんがダンスバージョンに激しくチェーンナップした音が大地を揺るがす。曲が終わったと思ったら「Hurly Burly」が始まり、音楽の鼓動がモッシュの勢いに火を注ぐ。危険を感じた人達が退却していくが、後から後から、どんどん人がぶつかり合いへし合いで前線へと繰り出してくる。「Spending all my time」に歓声が上がる。静謐な曲の筈なのに首を振り悲鳴を上げながら観客が熱狂する。3曲終わったらMCかと思ったら甘かった。曲間に「ポリリズム」のフォーメーションに観客が大歓声を上げる。「ポリリズム」殆どの観客が知ってる曲なのでノリがハンパない。この辺で記憶を失くした人が多かったようだ。MCになったら補給しようとした水分をたまらず補給する。暑い、とにかく熱い。汗が全身をひたすらに流れる。皆とオイ!オイ!と声を上げ続ける。ちょっとしたランニングハイ状態にポリループが気持ちいい。
     曲が終わり、やっとMCが始まる。我々だけではなくPefrumeの3人もゼイゼイ言ってる。あ~ちゃんがしゃべりだすのが苦しそうだ。
    「もうステージに出た瞬間。みんなの熱気がブアーときて、すごい、ハー、大変、ゼー」
     お決まりの「Perfumeです」を全員でやり、ドリンクタイム。
     のっちがいつものように先陣で煽る。「みんなソニマニを見に来たの!違うでしょう!ゼェー、踊りに来たんでしょう!」のっちまでゼエゼエ言ってる。大歓声がのっちの煽りを歓迎する。
     そこに助け船のかしゆかが髪をなびかせお辞儀をする。
     のっち「これが、かしゆかのおじぎです」と紹介すると観客が息を飲み、どよめく
     かしゆか「あ、あの、あたし、おじぎしてるだけなのに」
     ちょこんとお辞儀すると更にオーッと観客から訳のわからない悲鳴が上がる。
     客いじりをするもMCがいつもより短い。「Spring of Life」とあ~ちゃんが叫ぶ。ウオーと客は叫び、再びモッシュが始まる。両腕を振り上げて飛ぶ客の隙間からPerfumeの踊る姿が見える。後ろのスクリーンに3人のオブジェが踊る。3人とオブジェのシンクロがハンパない。汗まみれになりながら陶然とその様を見上げる。ニヤニヤが止まらない。そして「だいじょばない」がきた。激しさの中に規律あるポーズを繰り返しながら、Perfumeのダンスの歴史を織り込んでリズムを刻む。そして P.T.Aのコーナーが始まる。歯磨きをしようねと言い出すのに息が切れ、あ~ちゃんの言葉がなかなかでてこない。ダンスバージョンの曲を連続でやるとさすがの3人にも限界が来たか。
     男子、女子、そうでない人のお決まりのあおりをやり、ディスコの声を観客と何度も上げる。ここまできたら踊りつくすしかない。「チョコレイト・ディスコ」と悲鳴のようなあ~ちゃんの声が最後のモッシュを、絶叫を、汗を絞り出して、全力疾走が止まらない。薄れゆく意識の中で白いせん光がゆらめく、夜にレーザーが映えるROCK iIN JAPN(RIJ)の舞台が見えた。一週間前なのに遠く懐かしいような過去の記憶のようにRIJの3人の姿がよみがえる。


     Perfumeには夜が似合う。白に金の縁取りの衣装を着たRIJのPerfumeは美しかった。
    5年前に初めてRIJに出た時の衣装の予算は一人1万3千円で3人で店を回って買い揃えたそうだ。
    「それが、今年の衣装は訳のわからないくらいお金をかけてくれて、全部手縫いでねー」
    Peffumeは節目のステージは白の衣装を身にまとう。
     夜の闇に浮かぶステージからレーザーが照射され白い衣装をまとったPerfumeが踊る。
     振り向けば地平線の彼方まで手を突き上げる5万人の観客に囲まれていた。いつのまにかアンコールだ。あ~ちゃんがアンコールのお礼を述べていた。
    「私たちのような、特殊なジャンルの人間を、こんな歴史あるロックのフェスに呼んでくださって、それだけでも凄いのに、今年はこんな大トリにまで抜擢してもらえるなんて、渋谷さんとか、山崎さんとかを初め、ロッキンの方々は、ロックというものは、単なるジャンルとかスタイルとかいう単純なものじゃなく、その人の持つ、生き方とか考え方とか、そういう物にも存在するんだという事をわかっていらっしゃるんです。
     今のマネージャーは、私たちが売れなくてクビになって広島に帰る寸前に信じて繋ぎとめてくれた人で、そのマネージャーと一緒にここに来れて嬉しいです。メタルが好きでね。でも、かっこいいものはかっこいいんだよって言ってくれて、信じてくれたから、ここまでやってこれました。
     誰よりもイモっ子だった私たちがこんなところまで来れるという曲をやります。
     ゆっくりと"Dream Fighter"のフォーメーションに3人がつく。
     サザンオールスターズや矢沢永吉が務めてきたフェスのフィナーレを飾るステージにPerfumeは立っていた。毎年400人もの歌手やグループがデビューしは消えていく世界をずっと彼女達は走ってきた。広島アクターズ・スクールの同期の100人で誰が残っているというのだろう。別の道を歩み、もう結婚した人間もいる。上京して彼女達を圧倒する歌やステージングを見せた同期のBOYSTYLEもBuzyもメジャーデビューした後、消えていった。才能もあったし、努力もしてきた筈なのに、一緒にイベントに出ていたアイドルグループも消えていった。そんな者達の思い音楽を愛するものの思いを夢を託されてPerfumeはここまでやってきた。アイドルと呼ばれたグループとしては初めて5年前にオープニングアクトとしてロックフェスに出演した。1万人のステージから5万人を収容するグラスステージへ毎年出演順位をあげながら出演し踊り続けた。SPEEDに憧れたようにPerfumeに憧れる少年少女達の光としてあるために。

    かしゆか「こうやって続けていくことが私の使命なんだなっていう。それをあの曲の最中に思いましたね」
    のっち「あれはすごかったぁ、ほんとに今まで歌ってきた"Dream Fighter"とはまるで聞こえ方が違って、もう歌詞一言一言噛みしめながら、達成感とともに"Dream Fighter"を歌ったのは初めてでしたね」(ROCKIN ON JAPAN 2013年11月号)

     "Dream Fighter"を歌い終わり、「Perfumeでした」の最後のコールをして楽屋に戻ると、
     いつも笑って迎えてくれるRIJの主催者である渋谷陽一の目に涙があった。
     時を同じくして2000年に始まったRIJとPerfumeの歴史はどこか同じ思いで貫かれているのかもしれない。
     夏の夜空に花火がいつ果てるともしらずあがり続けていた。

     あー、DreamLandに今、私はいるんだなとそのとき思った。

     ホントにキミのことを想う
     気持ちのないやさしい言葉の毒
     気付いていても難しい
     失うのこわいから

     Dream Land Dream Land 夢の中
     キミは偽りの世界で
     oh lose control lose control
     負けないで そう Dream Land

    2013.10.07 | コメント(2) | トラックバック(0) | Perfume

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