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    Perfume研究2 中田ヤスタカ

    中田ヤスタカのインタビューを初めて見た時、口の端にツバがたまるような話し方をする朴訥でどこかあか抜けない、音楽について熱く語る真面目な青年だと思った。その時の印象は今も変わっていない。中田ヤスタカはどういう幼年時代を送ってきたのだろう。同じ金沢出身の能登麻美子が、幼馴染の子が好きになってしまったというラジオ番組のリスナーに話しかけた時に思わず自分のエピソードを語ったことがあった。

    「自分が勝手に幼馴染とか思ってるだけかもしれないけど、それがいて、お仕事で、
     全然、近くはないんだけど、もう見えるとこにいて、メディアの中で、幼馴染がいて、
     金髪とかなってて、この間テレビを見てたら出てて、幼馴染が、あーっていう経験がありました。
     びっくりする。金髪とかなってたから、わかんなくて、でもすっごい似てる、すっごい似てると思ってたら、
     恥ずかしいい、自分がちびっこのときのこととか、恥ずかしいことみんな知ってるわけじゃないですか。
     親ぐるみんの付き合いとかしちゃってて」

     生年月日が同じ幼馴染がいれば誰だって気になると思う。誕生会を一緒にやったかもしれない。ただ二人に大した会話はなかったと思う。能登は書店の娘で内向的で人見知りだったし、ヤスタカ少年も人見知りで音楽にしか友達を見出せなかった。能登は音楽に興味がなくパソコンとか全く興味がなかったのだから共通の話題がある筈もない。その二人が別々の高校に進学し夫々の道を歩み始めてから15年後にたまたま見たテレビの中に幼馴染の顔を見ることになろうとは思いもしなかっただろう。高校で演劇に目覚め、上京して声優の専門学校に入り、その特色のある魅力的な声を認められスカウトされ声優の道を歩むことになった能登が、歌手としてアルバムを出すようになった。そして、いつのまにか仕事場で出くわしてもおかしくないところに幼馴染がいた。ラジオの会話の流れから能登はヤスタカ少年に懐かしく淡く大切にしたいような感情を能登は持っていたように思う。多分をそういう感情を持ってもおかしくない、なんとなく気になる少年だったのだろう。

    ヤスタカ幼少

    中田ヤスタカは親の趣味のオーディオとパソコンなどの機材をおもちゃかわりに過ごした。5歳の時からピアノ教室に行かされる。
    「子どもの頃からピアノを習っていました。クラシック音楽です。でも、こちらは面白い、と思えなかった。ピアノを弾くのはおもしろいけど、自由に弾かせてもらえず、人の作った曲を延々練習するのが苦痛だった。」
     小学校の高学年で、譜面通りピアノを弾かなければならないことに耐えられなくなる。ここで半音下げれば気持ちいいのに、ここで転調すればカッコいいのに、何故、自分の好きなように弾いてはいけないのか。
     そしてピアノ教室を止め、自分の好きなように鍵盤を叩きテープに録り始める。パーカッションの代わりにお茶漬けの空き缶を叩き「生録」をやり一人で音楽を作り始めた。
    「コンピュータは大好きでした。スイッチを押す。何かが起こる。すごい。
     幼稚園のころだったかな、小学生のころだったかな、このパソコンを勝手にいじり始めました。正しい使い方はもちろんわからない。とにかくスイッチを入れる。キーを押す。押した通りに文字が画面に現れる。飽きもせず、ずっとパソコンのキーボードを叩いて遊んでいました。僕にとってコンピュータは、便利な道具である以前に、面白いおもちゃとして目の前に登場したんです。」
     小学5年、作文で「コンピューターを使って音楽を作る人になりたい」 と書く。
    「石川で育った僕にとって、子どものころ、J-POPよりも洋楽の方が身近な存在でした。偶然の結果です。家からも近くて一番行くことの多かったCDショップがたまたま、『インポートヤマチク』という輸入CD専門店だったからです。聴いていたのは、安く買える音楽ばかり。5枚1500円くらいのディスカウントCDが中心ですね。ブルーノートのジャズなんかが束になって売っていた。だからその手のインストゥルメンタルを中心に楽しんでいました。」
     彼には影響を受けた音楽はない。常に自分の音楽を作るための素材としてテンションを上げるために他の音楽はあった。モーツアルトもチャーリーパーカーもビートルズも彼に影響を与えることはなかった。彼は食欲を満たすように音楽を片端から聴き消化した。彼に表現の幅を広げるほどの影響を与えたものがあったとしたらシーケンサーやシンセサイザーのといった新しい楽器やソフトだった。唯一中学の時、睡眠学習と呼ぶくらいにYMOの「テクノドン」を聴き込んだという。
    「高校生の頃に、当時シーケンサー専用機として名を馳せていたYAMAHAの『QY』シリーズを買い、本格的な「打ち込み」を始めました。 『QY300』が出た時に『QY300』を買い、『QY700』が出た時に『QY700』を買い、と『QY』歴は長く、その後、Macベースに移るまでは、ずっと単体シーケンサーで「打ち込み」してました。 時代的にもそういう時代でした」
     新しい『QY』シリーズがでる度に買っているが1台10万以上するマシンを買ってもらえるほど中田ヤスタカの家は裕福だったとともいえる。
     高校1年のときにヤマハの音楽コンテスト『3rd XG DATA CONTEST』で、「テクニック賞」を受賞した。サンプラーを買うための賞金目当ての応募とはいえヤマハとのパイプができたことは東京での今後の活動に大きな意味を持っていた。

    ヤマハ

     高校に入って始めた吹奏楽部も1年でやめ、自分の曲をテープに録るだけでなくパッケージやデザインを考えて洋服や雑貨ショップを回って置いてもらったりした。音楽をやっている高校生の仲間が集っているファミレスで、こしじまとしこに出会いボーカルを頼む。やっぱり女性ボーカルじゃないと人気がでない。高校3年、capsule結成である。

     上京して東京スクールオブミュージック専門学校に入る。この時、新人女優を集めたユニットのアルバム「天然少女EX」に「夢ならさめないでほしいよ」「Happie Day!」という曲をプロデュースしている。ボーカルがひどく曲歌詞とも凡庸だと私は思う。ただ、プロの現場を経験し貸しスタジオの不自由さを思いしったことは彼にとっていい経験になったのかもしれない。
     2000年にヤマハ音楽振興会がこれまで発掘してきたアーティスト資産を生かしてCD販売するために作ったヤマハミュージックコミュニケーションズができた。2001年ヤマハから「ハイカラガール」でデビューすることとなり金沢で建設事務所に勤めていたこしじまとしこを呼び寄せる。この頃はまだ、プロデューサーも別の人間がやり今のように全て自分でコントロール形はできていなかった。
    「デビューした頃は、ある意味無理をして型にはまったプロっぽさを受け入れていたわけですが、やっぱりアマチュアのときの環境の方が、僕には合っていました。」

    ヤスタカ青年

     
     何故、中田ヤスタカはPerfumeの音楽プロデューサーをやることになったのだろうか。
     2003年頃、capsuleも中田ヤスタカも全く無名で実績もなかった。2003年3月にリリースしたcapsuleの初のプロデュース作品「CUTIE CINEMA REPLAY」はオリコンの最高位は232位だ。アイドルの曲のプロデューサーをやらないかと言われた時、コンペもなしにあっさり決まったのには本人も驚いたという。
     その一つの要因としてコストの問題があったと思う。2000年代は音楽の制作現場がドラスティクに変わっていった時代だ。CDが売れなくなり制作費の圧縮が起こった。また、パソコンとDTM (DeskTop Music)ソフトの性能向上によりメジャーのCD品質よりインディーズやアマチュアが作成したCDの方が音質が良いという逆転現象が起こっていた。例えばCDのオケを録る時、ドラム、ギターといった音をスタジオミュージシャンを雇って順番に録っていく。時給数万のミュージシャンの代わりにDTMのプラグインを使うことによって楽器の録音をパソコンの中だけでできるようになりスタジオ費用、スタジオミュージシャンの費用を削減できるのだ。
     DTMを使わずに古いシステムのまま制作費を下げようとするとダビングする楽器の数を減らしたりして手抜きはしたくなくとも楽曲の質の低下が起こる。アイドルに捨曲が多くなりスカスカの楽曲が目立つようになった。
     斎藤和義がレコーディングの時、ドラムからギターまで全ての楽器を一人で演奏してオケを作るのは全てを自分のコントロール下において何度もやり直して作り上げる自由度がほしかったのもあるが、レコーディング費用削減の意味もあったのではと思う。
     DTMであればスタジオを使わずにパソコンだけでもできてしまう。色々な楽器を録るための大きなスタジオもスタジオミュージシャンも必要ない。
     技術が古いシステムを駆逐することはよくあることだ。90年代、インディーズのCDの音質がメジャーを凌駕する時があった。CDが出た頃、アナログ用に最適化された音源をそのままデジタル化していた。昔はアナログのレコードの方がCDより音が良く聞こえた。それをデジタル用に最適化する技術マスタリングをやる会社があり、一挙にCDの音質を向上させ、マスタリングを行うのが当たり前となった。

     ミュージシャンにとって自分のスタジオを持つというのは一つの夢だ。バンドをやったことがある人間なら練習スタジオの費用(時間3、4千円)を頭割りで出すのに金でもめたりして何のためにバンドやってるんだかわからなくなった経験もあるだろう。好きな時に好きなように金の心配もなく使えるスタジオがあるというのは金のないミュージシャンにとって得難い代物だ。昔、JAGATARAが「南蛮渡来」のレコードを売って得た400万でマンションの屋上に手作りのスタジオを作った気持ちは痛い程わかる。
     capsuleのターニングポイントと聞かれて中田はこう答えている。
    「2枚目の『CUTIE CINEMA REPLAY』(2003年3月リリース)ですかね。デビュー1枚目は音楽業界の仕組みも知らないし、自分のプロデュースでもないし、レコーディングも外のスタジオだった。でも、デビューするきっかけになった曲を作りだしたのって自分の部屋だったわけですよね。その曲を評価してもらってデビューしたわけだから、その環境こそが自分の音楽だと思ったんです。なので、2枚目からは音が悪くなってもいいから宅録に戻したい言って。歌だけは外のスタジオで録りましたけど、何とか宅録と半々の状態にしたんですよ。そこが転機だったと思います。」
     この後、電話ボックスみたいなボーカルブースを導入して完全宅録を実現する。

    スタジオ

     多分、実家からの支援があったには違いないが自作PCを作って環境を整えボーカル録りからマスタリングまでできる個人スタジオを作ったのだ。
     デビュー2年目で中田ヤスタカはコストパフォーマンスが最も高いミュージシャンになっていた。アミューズとしても殆ど売上が見込めないインディーズのCD制作の費用はなるべく抑えたっかったに違いない。
     もう一つ、パッパラー河合の存在も見逃せない。元々パッパラー河合の所属した爆風スランプはヤマハ音楽振興会主催のバンドコンテストで優勝と準優勝のバンドで結成された。それ以降もヤマハでパッパラー河合・シグニチャー・モデルのギターを発売する等、縁は深い。また、Perfumeの広島時代「ぱふゅーむ」に「おまじないペロリ」と「彼氏募集中」をプロデュースしたのもパッパラー河合だ。ただ、同じ事務所(アミューズ)とはいえ、ボランティアでPerfumeへのプロデュースを続けていくわけにはいかなかったのではないかと思う。彼が中田の楽曲を聞いたかどうかはわからない。中田ヤスタカのような新人のアルバムをレコード会社からもらっても棚に積まれてホコリを被るのか関の山だ。ただ、ヤマハとアミューズをつなぐ役割をしたのではないかと思う。そしてヤマハミュージックパブリッシングのレコーディングディレクターを手掛ける中脇雅裕氏とつながり中田ヤスタカをアミューズに紹介したのではないか。
     アミューズも中田ヤスタカにさほど期待していなかった。試験的に作らせてみるくらいの軽い気持ちだったろう。作詞は既に木の子さんがやると決まった上でプロデュースの依頼があったように音楽プロデュースを全てまかせようという気はアミューズ側にもなかった。10年以上もPerfumeと中田ヤスタカの関係が続くとは誰も思っていなかったと思う。
    「デビューから10年近くかけて少しずつ、むしろアマチュアのときのように「つくりたいときに、つくりたい曲をつくることができる」環境を整えていきました。プライベートスタジオによる音楽制作をしているのもそのためです。もともとアマチュアのときは自分の部屋にあるものだけで好きなように作っていたわけですし。
    プロですから、ひとりでその環境ができるわけじゃありません。色々まかせてもらえるようになるまでは大変です。自分にとって快適な環境をつくる方が、曲をつくるよりも、難しかった、といえるかもしれないですね。 」
     プライベートスタジオによる音楽制作によって中田ヤスタカが既存やり方を変えた制作工程がある。
    通常、作詞作曲を行った後、カラオケを作り、そのオケを流しながらボーカルを録るのが普通のやり方だ。それが中田ヤスタカの場合、オケの制作がボーカル録りより後で行っている。ボーカルを録ってみて初めて歌い手に合うカッコいい音楽を作っていくのだ。
     Perfumeの場合、キーボードの電子音みたいなガイドメロディだけを聴きながらボイスレコーディングを行う。彼女達も最終的な楽曲がどういうもの想像できない。だから出来上がりを聴くのが楽しみだともいう。ガイドメロディの代わりに中田自身に思い入れがあるのかヤスタカ本人が歌ったボーカルが入ることがある。
     アルバム「Perfume~Complete Best~」の1曲目に入っている「パーフェクトスター・パーフェクトスタイル」は、中田が自分の声を加工して全然違う人の声みたいに歌っているのを聴いて歌ったとのっちはいう。
     あるいは「FAKE IT」のボーカル録りのように3人に歌わせた上でPerfumeに合わないと思うと作り直すと宣言し、スケジュールが詰まって回りがハラハラする中、2~3時間で作り直してボーカル録りを行ってしまうこともあった。

    「ここにひとりのアーティストがいる。
     このアーティストに曲を提供する。
     何を僕が考えるか。
     このアーティストにしかできない面白さを持って世の中に出るにはどうすればいいだろう?
     それを考えて曲をつくっていきます。
     アーティストのお客さん――実際にできた曲を聴いたりビデオを見たりするひとのことはあえて考えません。
     お客さんがどう感じるかを考えるより、まずアーティストや、映画なら作品がどう魅力的になるかを考えることが先だからです。」
     
     そんな、プロとしての中田にも、もう一つの顔も併せ持っている。

     のっちが直角二等辺三角形ツアーでの出来事を自分のプログの中で書いている。
    「石川の会場には、中田ヤスタカ氏のご両親が見に来てくださいました。
     MC中に、息子さんの曲を歌わせてもらってますPerfumeと申します。中田さんも人の子なんじゃねぇー。
     やっぱり電池食べて生きてるんじゃなかったねぇ。
     あ、中田さんを電池食べてそうとか言ってるのは、人間技とは思えない素晴らしい曲を作ってるからで、
     決して悪く言ってるわけではありません。
     尊敬の意を込めてそう言ってただけであって、決して悪い意味ではなくて・・・と、伝えました。
     その時ご両親がどんな顔で聞いていたかは知りませんが、喋ってる私たちはとても楽しかったです(笑)
     公演後に、中田さんがちっちゃい頃どんな子だったのかとか、何て呼ばれてたのかとか、
     いろいろ聞きたかったのだけど、終わってすぐに帰っちゃったみたい。
     スタッフさんによると、中田さんはお父様似らしい。
     ・・・グフフ。」

     のっちの記事は言い訳になっていないが実際のMCでは、こんな感じだったという。

    2009年8月21日 二等辺三角形ツアー 石川
    あ~ちゃん石川の名産を挙げていく
    客が「ヤスタカ!」
    石川生まれなの「みんな知らんかったじゃろ」と得意気に言うあ~ちゃん
    あ「Best…イ・ケ・メ・ン…半ズボン…靴下履かなーい」
      肌が白くて透き通ってる!足も白くて綺麗でいつも半ズボンなんですよ」
    か「両親も来とるんよ」
    の「乾電池食べてる…」
    あ「中田さんは色も白くって、宇宙人じゃ思うとった。電池を充電するかと
    いつも半ズボンで靴は裸足で・・そんなこと言ったら心配するけん、
    あ「いや、いつもはちゃんと靴も裸足ではいてないと思います、靴下はいてると思います 」
      お菓子の箱の半紙??(会場から「のし紙!」) あぁ のし紙に「中田」って書いてあるんよ・・・」

    菓子折り

    あ「それ見とったら中田さんも普通のヒトなんだなーと思ったけえ・・。
     あぁ お父さまお母さま!悪い意味で言うとるわけではないですよ!
     中田さんの音楽ってすごくデジタルなイメージじゃけえ、ごはん食べないで充電してたり、
     電池食べたりして動いとるんかな?って」(客爆笑)
    あ「家で何て呼ばれとるんかのぅ??、やすたかちゃんとかやっくんとか、たかちゃんとかww、きゃーww」
    あ「たかちゃんご飯粒ついとる、とかww」
    か「そ そんなことないよ・・モゴモゴ・・」 
    の「www」

    あ「Perfumeは好きですかー」
    客「ウォー」
    あ「中田ヤスタカは好きですかー」
    客「ウォー」
     急にかしゆかの方を振り向いて
    あ「中田ヤスタカは好きですかー」
    か「シ、シュキデス」恥ずかしそううなずく

    これにもこりずに次のJPNツアーの時は武道館の2日目に、また菓子折りをもってきたという。

    2012年5月9日 武道館
    あ「昨日。中田さんの両親が来とったんよ。
      なんかね、お土産がね、きれーに包んであって、それが超豪華で、桐の箱に入っとたんよ!」
    か「桐の箱ですよ」
    あ「桐の箱にい入っとるのに高級砂糖菓子が入っとるんよ」
    あ「もうね、こんなことまでしてもらって、恐縮しとったら、
      ヤスタカがお世話になってますって、うちらとかスタッフさんに頭下げられて、
      そのたんびに『もういいから』とか『無いから』とか
     中田さんご両親に言うもんだから、中田さんも人の子や思うとうれしくなって」

     お父さんはヤスタカが音楽の道に入ることには反対だったという。
     両親からすれば、もっと安定した職業についてほしかったのだろう。
     親というものは子供が大人になっても、いつまでも心配なものらしい。
     田舎の人間から見たら紅白に出場しているPerfumeのお蔭で息子もなんとかやっていけてると思うのも無理はない。
     ヤスタカ親

     きゃりーがUnite Uniteという中田ヤスタカの歌詞について聞かれた時にこう答えている。
    「中田さんもわりとこういうタイプなんで、もしかしたら中田さんの歌かもしれないですけど」
     きゃりーは聡明で鋭いところがある子なので中田ヤスタカの子供の頃から持っているコンプレックスを言い当ててるかもしれない。
     Perfumeでもそうだが、シングルのB面に自分の本心を吐露するような歌詞を時々中田は書いていることが多い。

    「Unite Unite」

    本当は自信がなくて、人と話すのも苦手
    完璧な笑顔の裏に、ほらコンプレックス隠して
    足りなくて、まだ足りなくて、みんなに追いつけなくて
    しょうがないから 自分だけの武器をみつけなきゃ

    unite unite all original
    誰にも負けないモノ
    unite unite all original
    みんなで合わせたらなれるよ

    それなりに、みんなと同じ楽しみだって欲しかった
    ひたすらに、ただ打ち込んで一人でがんばることで、追いかける、いや取り戻す 
    あの頃の自分にも欠けている何かを埋めたくて、今ももがいている

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    2013.08.24 | コメント(4) | トラックバック(0) | Perfume

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