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    ストーリーを書き出す

    人はストーリーなしでは生きていけないものかもしれない。
    過去と今の自分をつなぎ、今の自分の存在の根拠を持つのにストーリーが必要だからだ。
    昨日の自分は物理的には今日の自分と同じではない。日々、何百万もの細胞が死に再生されていく。
    どこからどこまでが昨日の自分と同じでどこからが、新しい自分なのか誰もわからない。
    ただ、過去の自分と今の自分が同じ人間であることを否定する時、疑いを持つ時、非常な苦しみを伴って人は自己をさいなむことがある。だから今の自分の存在を証明するストーリーが必要なのだと思う。
    30年前の私と今の私は全く別の人間に見えるかもしれないし、全く同じで変わらないと人はいうかもしれない。

    30年前の私は中野にあった寿荘という風呂なし、共同便所、3畳間家賃8千円の小汚いアパートに住んでいた。寿荘には矢崎さんを筆頭にいろんな映画関係の友達が群れ集まっていた。
    その頃、大阪からやってきて寿荘にころがりこんでいたフクちゃんはという人がいた。アパートの正式な住人ではなかったが、朝にはインターナショナルを朗々と歌い上げ、大家があんた何をやってるんですかと問われて、このアパートは我々の解放区で口出し無用と答え、堂々と家賃も払わず居候していた。フクちゃんは本当に憎めない面白い人で私の映画「RETURN]にも出てもらった。ある時、大阪出身の町田町蔵がフクちゃんを兄貴と慕って訪ねてきて、フクちゃんがコンコンと説教をたれているのはなんとなく可笑しく微笑ましかったのを覚えている。町田康が10年後に芥川賞を取って小説家として食っていけるようになるとは、その頃思ってもいなかった。そういえば保坂もその頃、寿荘にいた連中を「プレーンソング」に書き、群像でデビューした。「草の上の朝食」という続編を出し野間文芸新人賞もとった。私も小説の登場人物になっていたので受賞パーティに呼んでもらいタダ飯にありついた。その後、保坂も芥川賞をとったので寿荘は小説には縁があったのかもしれない。
    映画関係の人間が住んでいた割には、皆がゴロゴロしてもだえているだけで結局誰も映画を撮らなかった。唯一、私がとった「RETURN」が寿荘にいた頃撮った映画といえるかもしれない。
    「RETURN」が私の最後の映画になり、アルバイト気分で入ったコンピュータの仕事がいつのまにか本業になってしまった。昔の仲間からはよくぞ更正したと言われるが、なんとなくキモチがもぞもぞする。
    この映画に出てくれた佐々木やトモちゃん北村君は今でも現役の映画監督、脚本家、ミュージシャンでやっているがせめてもの救いかもしれない。




    「応答せよ」

    応答せよ、近しき者よ
    応答せよ、遠きに心のあるものよ
    応答せよ

    精霊の如くに水は流れ
    地下道を流れ
    黒い地球の底を流れ
    片端な心の底を流れ
    銀河への道を流れ
    人々の干からびた心に降り注ぐ
    いつの日か、それは

    応答せよ、近しき者よ
    応答せよ、遠きに心のあるものよ
    応答せよ
             (森永憲彦)

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    2012.08.07 | コメント(1) | トラックバック(0) | 映画

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