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    映画の記号と象徴

    仕事が忙しく、毎日、息子と大航海時代のオンラインゲームをやっていた。
    やっと仕事も一息ついたので少し記号と象徴(シンボル)について考えてみた。

    記号というものを考えてみる。私にとって天皇は日本の歴史を映し出す記号にすぎない。
    第二次世界大戦を経験した人には生々しい感情を呼び起こす象徴だったとしても、私には歴史の彼方で言い古された記号として天皇を意識するように、学生運動や日本赤軍も今の人にはある時代を表す記号でしかないのかもしれない。何か喉につかえ、いがらっぽく感じる言葉がある。いつのまにか時代の象徴として、その時代に生きた空気を吸うことで感情を持ってしまった言葉。
    今の時代を生きる人にとって「3.11」や「福島第1原発」がそんな言葉であり、どこか感情の痛みを伴う時代の象徴になってしまったように思える。
    原発推進派の人が「原発が爆発したって誰一人死んではいない」と言う言葉に神経をブツリと断ち切られるような痛みと怒りを覚える。隠蔽された死体のイメージが津波の映像と共によみがえるからなのだろうか。
    「第1原発」という言葉もいつしか時代の記号としてとらえる人の方が多くなる時代がくるかもしれない。
    ただ、朝のコーヒーや通勤電車のような記号として意識される言葉も、ある時代を生きた人には感情の奥底をつき破るシンボルとして意味をもち、もう一度記号としてではなく一つの時代にあった空気の象徴を蘇らせるものの一つとして映画があるのではと思う。
    私にそういった映画を作る力がまだあるかはわからないが、昔撮った映画を見直すと私の中にあの時代の空気が息づき始める。
    小林秀雄の朋友、青山二郎が言うように「一度人をみたら人が自分の中にとける。一度牛乳を飲んだら、一度肉を食ったら、一度酒を飲んだらーーー自分の血の中にそれらがとけるように、精神も受けただけのものは自分の血肉にとける」
    そしてとけたものが今の私をつくっている。

    「爆BACK」がぴあで入賞しパチンコで生活していた頃、友達の山崎とクミちゃんと飲んでいたら二人から私の次の映画がみたいと言われた。
    じゃ、山崎はカメラ、クミちゃんが主演でどうだと言ったら二つ返事で「いいよ」と答えたので、じゃ明日から撮るぞと2日くらいで撮った映画だ。
    パチンコに勝つのも飽きていたのでパチンコで稼いだ金で撮った。
    「あたし達ってパチンコ玉みたいだね」というセリフが友達の脚本の中にあって、気に入っていた。
    いつかパチンコ玉みたいな男と女の映画を撮ってみたいという気持ちがあったからだろう「PATINKO」というタイトルにした。
    「山崎、影だ影を撮れ」とわけのわからないことを言って、誰もどんな映画を撮っているのか、知りもしないでよく協力してくれたものだと思う。
    おかげで2年連続でぴあに入賞した。
    30年前のこの古い映画に今の人はどういうストーリーを読み取るのだろうか。



    私がこの映画に込めた影のストーリーはありふれた男と女の3角関係の話だ。

    ある男が友達の女を寝取った。
    衝突と怒り、だから、それがどうしたというのだと男は言う。
    気取るんじゃねえ、小林秀雄じゃあるめいし中原中也の女を取って自慢するんじゃないと男は反発する。
    そして、寝取られた男は自らがシンパシーを寄せる団体に身を投じ横浜の地で客死する。
    女は結局、彼を追って東京に行く。彼女が東京で死んだという風評が立つ。
    友達は死に女に去られた男はポツンと打ち捨てられたように札幌にいて家庭教師とかやっている。
    そして札幌に帰ってきた女と思いがけない再会をする。
    彼は相変わらず同じように同じ風にアパートにいたというのに滑稽な再会。
    パチンコ玉ようにあちこち弾け出会い、別れる男と女。
    彼は友達も彼女のことも好きだった。
    彼と彼女が自分にないものを持っていると感じていたから。
    彼の友達が時代の空気の中で馬鹿げた死を遂げたことに苛立ち、自らを責め、
    もう一度、その時代に立ち向かってみようと決心する男。

    尊王攘夷の志士、226事件の青年将校、日本赤軍の学生兵士、オウム真理教の信徒、主義主張は全く違っても時代の空気の中でシンボル化され、そこに身を投じる人間達、そこに自己の唯一の救いがあるかのように。
    そうしてクローズアップされた人々の影で誰に知られることもなく道半ばで、バカな死を遂げて行った無数の人々。
    例えば、今の時代であれば原発廃止の徒かもしれない。
    原発のデモに参加するのでは飽き足らず、フクシマ50に続けとばかりにドンキホーテのように原発作業者に身を投じる男がいるかもしれない。
    放射能にまみれた瓦礫の処理を黙々とこなす男。
    誰からも認められず、誰に誉められるわけでもなく、いつしか労働するのが億劫になる身体を引きずり、
    酒に酔い、雪の舞う深夜、突然前のめり倒れ、心筋梗塞で死ぬ馬鹿な男。
    放射能とは直接の因果関係なしと新聞の片隅にのる男。
    そういうストーリーだって考えられるのではないだろうか。
    既成の宗教や思想ではなく、別の何かで救われたかった男の話。

    私はこの映画を撮ることで、時代のシンボルに殉じるドンキホーテになることもなく、今を生きながらえている。

    それが良いことか悪いことかはわからない。
    ただ、私にとってあの時この映画を撮るにこと必要なことだったと今でも思う。
    そういった意味でも山崎やクミちゃん、手伝ってくれた仲間達、そしてこの映画を見て評価してくださった観客達に感謝している。

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    2012.07.19 | コメント(2) | トラックバック(0) | 映画

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