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    早見あかりとももいろクローバーZ (6)

    <第6章 自由になれるさ(I Shall Be Released)>

     すべては変えられるって言うけど(They say ev'rything can be replaced)
     すべてがこんなに遠いのはなぜだろうね(Yet ev'ry distance is not near)
     だから僕はすべての顔を覚えておきたいのさ(So I remember ev'ry face)
     いままで出会ったすべての人の顔をね(Of ev'ry man who put me here)
     ほら君にも見えるだろう(I see my light come shining)
     西から昇る太陽が僕らの顔を照らすのが(From the west unto the east)
     そのときに僕らはきっと(Any day now, any day now)
     自由になれるさ(I shall be released)

     早見あかりとももいろクローバーについてこれまで5章にわけて述べてきた。

     第1章 髪を切った頃
      早見が生まれてから中学2年の夏(2008年13才)までの経緯、スターダストに入ってももクロに出会うまでの話
    第2章 自分が自分であるためには一人以上の他者が必要である
      中学2年生の夏(13才)から中学3年生の夏(2009年14才)までの経緯、ももクロに加入して車で全国を回りインディーズデビューするまでの話
    第3章 ピリオドの向こう側へ
      中学3年生の夏(14才)から高校1年生の夏(2010年15才)までの経緯、有安加入からメジャーデビューするまでの話
    第4章 笑顔が世界を変える、あなたが未来を決める、もう止まらない!
      高校1年の夏(15才)から翌年の1月(2011年)までの経緯、ももクロ脱退の決断から脱退発表までの話
    第5章 「夢」は目標であり通過点、「志」は自分を越えて永遠に引き継がれるもの
      高校1年の冬(2011年)から19才(2014年)までの経緯、ももクロが早見と分かれて夢を実現し、夢を志へと深化させる話

     私は2014年の3月まで、ももクロに対してゴレンジャーを模したアイドルグループという認識しかなかった。「ウレロ☆」というテレビ東京のコメディ番組のシリーズを見るまでは早見あかりのことも知らなかった。ただ、国立競技場を2日間も満杯にする熱狂はどこから生まれてくるのか気になっていた。特別、歌唱力があるようには思えない、ダンスもそろっているようには思えない、むしろそろえるのを拒否するように激しく踊るメンバーもいる。全力が売りと言っても息切れして音程を外してまで歌い踊る必要はないのではないか。Perfumeはステージの完成度のために生歌を捨てた。それくらいの完成度へのこだわりがあってもいいんじゃないかと思っていた。ももクロについて最初から追って見てみようと「ももクロChan」というももクロの冠番組のDVDを購入して見始めた。4巻目で早見あかりが脱退をメンバーに報告する場面を見て圧倒された。早見がももクロからの脱退を告げ、メンバーがひらすら泣いているだけの映像なのだが、早見の決意とメンバーに対する思い、メンバーの早見に対する思いが切迫感を持って伝わってきた。ここまでアイドルの生の感情を見せようとするのかと思った。早見あかりという15歳の女の子の気持ちが自分にわかるとは思っていない。それでも映像には有無を言わせぬリアルがあった。息子がちょうど15歳だったこともあり早見あかりとももクロについてもっと知りたいと思い雑誌、DVDを購入し動画を漁って調べブログの記事にしてアップした。

    <<1章補足>>
     1章は早見がももクロに入る前までのことを述べている。早見の進路に影響を与えた川上マネージャーと早見と百田の出会いに焦点をあてた構成にしている。

    早見「中学で、ももクロに入った時期とかは、ホントに荒れてたんです。外面が良すぎて、家ではとんでもない子だった。お母さんにどれだけ暴言を吐いてきたかわからないし、でもそういう時期があったから、こうして芸能生活を続けることができてて、お母さんは全部受け止めてくれたんで感謝してます。でも、ほんとに、母子家庭で育って、そう、それで楽しく暮らしてこれたのはお母さんのおかげなので。高校を卒業して、なんでも一人でやるようになった時に初めて親のありがたみに気づいた。だから自分で何か買いたいというよりはお母さんに何かしてあげたいと思うことの方がすごく強い」

     父親譲りの顔と広い肩幅を持った早見は母と妹の3人家族のなかで育ち、小学校卒業間近にスカウトされスターダストに入る。家庭の中では長女でもあり、父親役をやらざるを得なかった面もあるのだろう。家庭で荒れていたという素振りを表に一切出さなかった。

    早見「『早生まれなのにしっかりしてるね』って幼稚園の頃から、ずっと言われていて。うちはお母さんが抜けキャラだから、お母さんのためにも私がしっかりしなきゃって気張ってきたんですね。(中略)小さい頃から力んで力んで生きてきたんだなって思います。人に頼るなんてありえないって感じだったんですよ。人は誰がいつ裏切るかわかんないし、ぐらいに思ってた。」

     早見の進路に影響を与えたスターダストの川上マネージャーとの出会いは2007年12月、芸能3部という部署に集められた女の子達の宣材撮りがあった時だ。川上の上司である藤下リョージがいい子がいると早見のことを後に私立恵比寿中学というグループを担当する藤井マネージャーに連絡した。彼が現場にきてこの子いいと思ったが川上が先に早見の担当マネージャーになっていた。川上は沢尻エリカの担当マネージャーだったが「別に」の騒動があって暇だったからと弁明しているが、早見に光るものを感じたのだろう。また、早見の親友となる百田夏菜子との出会いについてもこの章で述べている。

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    <<2章補足>>
     2章は早見がももクロに入ってから最初の全国ツアー完了までのことを述べている。この頃からすでに自分はアイドルに向かないと早見は漏らしていた。
     早見がクールな表情に自分の感情を隠したように百田は笑顔に感情を隠した。正反対のようにみえて、人に自分の弱みを見せず負けず嫌いで意地っ張りの二人の核にあるものは似ていた。百田がいたから早見はももクロに入ったのかもしれない。ただアイドルになっても早見は百田のように握手会で人気を博するようなことはなかった。

    「完璧主義者の面倒くさがりという超面倒くさい性格してるから、バリアを張るんですよ、踏み込まないでってオーラを、すごく出すんだと思います。」

     『早見あかりとして生きてて、そんなに”ワー”みたいな感じの感情が、そこまで、多分ないんじゃないかな』と語っているように、うまく笑顔を作れない早見はももクロに加入してからアイドルとして笑えないで悩んだ。

    早見「新津保さんに写真を撮ってもらうようになったことも、早見あかりってなんだろうって考えるきっかけになりました。初めて撮ってもらったのは中学2年生の頃で、その時はももクロの活動を始めていて。ももクロの写真を撮る時は『アイドルの顔をしなきゃいけない』っていうものがあって、『ちゃんと笑わなきゃいけない、アイドルとしての自分を作らなきゃいけない』。だから、『笑顔になれない時も笑わなきゃいけない』。でも新津保さんとの初めてのお仕事で、その作り笑顔をした時に、『笑わなくてもいいよ』って言われたんですよ。『無理に笑わなくてもいいよ、そのまま自然体でいいよ』って。新津保さんにそう言われたことがきっかけで、笑いたい時に笑うっていう、そういう写真の撮られた方もあるんだって気付きました。」

     車での全国ツアーが始まった。高い声が出ず、周りのメンバーのキーが高すぎて薄いウイスパーボイスで付いていくのが精一杯でソロパートも削られる状態だった。早見はスタッフの勧めでラップに活路を求めた。とにかくラップを聴きまくって、英語のつなぎ方の特徴とかもカタカナに起こして何回も繰り返し練習した。練習しすぎて、母に「うるさい!」って怒られながら「やっと自分の声が出せる!」と必死だった。そこから「ツヨクツヨク」「words of mind」の早見のパートが生まれた。ラップを歌うことで初めて早見はももクロに自分の居場所を見つけた。
     雨の吹き込むヤマダ電機の軒先で踊り、ライブ中に突然音が止まっても歌い、照明がなく車のヘッドライトでライブをやり、車の中で身を寄せ合い、疲れ切って眠り、時々車中で勉強をし、笑い、銭湯に行き、ふざけ合い、いちゃつき、夜に伸びるヘッドライトを飽きることもなく見つめ、うっすらと開いた眼に朝陽を感じながら早見はももクロの一員としてツアーを続けた。

    ワゴン車


    <<3章補足>>
     3章はももクロの最後のメンバー有安が加入しメンバーが全員揃ったところから始まる。秋葉原のUDXシアターを拠点にしてライブと握手会を行い、ももクロを脱退するまでサブリーダーとして早見はももクロを支えた。

    早見「基本的に考えることが好きだから、握手会だけだとマンネリ化してきたからっていう企画会議を、いつも帰りの車の中でマネージャーとしてたんですよ。昔からやりたくないことを言っちゃうの、また、言っちまった、やっちまったみたいな、そういうところでの表現力ないのに思いついちゃうの、メンバーにも怒られてたけど」

     早見がくだらないと語るファンとの糸電話企画、塗り絵などファンを飽きさせない企画を作り続けた。
    『ブロマイド争奪!ジャンケン大会 ~勝ったら天国~』
    『ももくろ手形番長~ありがた迷惑~』
    『ドキドキ?お楽しみチェキ会』
    『初めての3ショット~制服編~』
    『154cm以下のチェキ撮影会」
    『握手会・ももクロちゃん危機一髪』
    『となり、すわっていい?byあーりん』
    ~席替えってなんであんなに ドキドキするんだろう~
    『ももいろクローバー ~夢の世界へ~』
    『校則違反09~ちょっと大人になっちゃったんじゃないチェキな!!』
     こうした企画は遊びに参加する気分を作り遊園地の乗り物チケットを買うようにCD予約券を買いファンは嬉々として列に並んだ。1日のイベントで10枚以上のCD購入は普通で、コアなファンであればツアー中に100枚以上CDを買って当たり前の世界を作り出した。100枚といっても2か月のツアーで100枚なので一か月で5万円(50枚)の支出、サラリーマンが出せない額ではない。そして200人程度のコアなファンがいればテレビに出たこともないアイドルがオリコンデイリー1位になれることを、『行くぜっ!怪盗少女』で証明してしまった。(初日15,556枚、週間22,537枚で3位)川上あきらもオリコンランキングは知名度を上げる手段だと割り切っていていた。人間には手が2本しかない以上握手会で売上を増やすには6人では限界がみえている。川上マネージャーのすごいところは単に売上を追うのではなくタレントの成長につながる仕事をやりながら実績はきちんと残してきたことだ。

     5DAYSというイベントの中で「タイムマシンで未来へ行けるとしたら何年後で何を見たい?」という質問に彼女達はこう答えている。

    早見「何年後になるか分からないけど、メンバーそれぞれが個人ではモデル・役者・アーティストとして活動し、6人揃ったらももいろクローバーとなる、今のSMAPのような活躍をしている自分達を見たい。」
    百田「ももいろクローバーの公式目標である2010年の紅白出場を見たい」

     リーダーである百田はももクロの目標を、サブリーダーである早見はももクロのビジョンをライブ動員が200人にも満たなかった頃にファンに向けて答えている。紅白出場という目標を3年後に達成し、早見のビジョンはももいろクローバーZに継承され音楽だけではなく映画、演劇へと活動の幅を広げ実現に向けて今もスキルを積み実現にしようとしている。この頃は目の前の壁をクリアするのに必死でメジャーデビューまでゆっくり考える余裕がなかった。ただ、着実にももクロは走りながら成長を続けていた。何事にもポジティブで太陽のような存在である百田とネガティブで現実的に物事を考え実現していく優等生タイプの早見はお互いを必要としていた。

    百田「普通に、このキャラで、ハーイやろうみたいなノリでいいじゃんみたいな感じになってきて、普通にまとめればいいんだなって感じで、あかりんサブだし、あかりんしっかりしてるから、あたしがふざけた時はまとめてくれるし、なんか、いい感じのコンビでね、色と一緒、あたしが赤でプラス、あかりんが青でマイナス」
    早見「普通に楽しんで、気楽に夏菜子は、夏菜子だからね、夏菜子のままでいった方がいいと思う」

     2009年末の聖書を引用した二人の会話にこの頃のももクロの希望が凝縮されている。

    百田「神様はね、越えられない壁は作らないんだよ。ねー!」
    早見「越えられる子にしか壁は与えないんだよね。だから行けます!」

     2010年にメジャーデビューを控え、悪い予感のかけらもないようなももクロの未来を二人は信じていた。翌年自分達のブログで百田が早見に「この手離さないで」という茶番をしかけ、やがてそれが現実になるとは思ってもいなかった。

    早見2010627-1


    <<4章補足>>
     4章は早見にとっては激動の夏を迎え、ももクロからの脱退を決意し、メンバーやファンに脱退を報告するまでを述べている。
     2010年夏、立て続けに3本の映画出演した早見はアイドルの進路より女優という進路がしっくりくるように思えた。首の骨格に起因する早見固有の身体的な問題で2年振りに腰をやられた。痛みをこらえながらコルセットをしてダンスを続けていくことの不安に襲われた。インディーズという地区大会レベルのライブからメジャーデビュー後の全国大会レベルのアイドルグループとの競演に実力差を感じた。歌唱力やダンスの下地があるものから選抜され鍛えられてきたグループにMC、歌唱力、ダンス全てにおいてももクロは劣っているように思えた。早見が描いたももクロの未来図からいつのまにか自分の姿が消えていた。これまで必死にももクロを支え続けてきた自負がある一方、自分の限界と向き合った時、ラップしかできない自分が、笑顔を作れない自分が、軽やかに踊るメンバーの横でドテドテ踊り続ける自分の姿が、ももクロが次のステップには必要ないことをマネージャー気質の早見自身が告げていた。12月にはももクロ初のソロコンサートを控えていた。そして、早見はももクロ脱退を決意する。

    川上「あの子達をずっと見ているとわかるんですけど、あるところから本当に自我が目覚めるんです。ただ、ももクロの場合、他のタレントさんたちよりも遅かったんですよ、それが出てくるのが。だから、本当のタレントとしての面白味はそれからでしたね。脱退した早見は、その芽生えが早かった分、ああいう形になったんだと思います。」

     10月に早見はももクロからの離脱を川上マネージャーには告げた。自分の都合による脱退はメンバーや応援してくれてきたファンに対する裏切りであることはわかっている。自分の担当だったMCをライブをやりながら佐々木に引き継ぎツアーを続けた。12月の日本青年館の単独コンサートに向けて誰にも告白することもなくメンバーと一緒に活動を続けた。握手会のイベントで自分の列が途絶え手持ち無沙汰になった時、ここから自分がいなくなっても何事もなくライブが行われ、握手会が行われるだろうと思うと早見の目から涙が流れた。
     メンバーも早見の感情の起伏が大きくなったことに気づいていた。髪を3回も切ったり、笑ったと思っていたら急に不機嫌になったり、気付けば涙を抑えたりしている早見に何も言い出せなかった。脱退する決意を固めても青年館での初コンサートを終えるまではももクロのメンバーの集中をとぎらせたくなかったし考えたくもなかった。代々木の路上ライブをやっていた頃、まだももクロに入っていなかった頃、百田と一緒に見つけいつかここでライブしたいねと言っていた代々木野音でツアーファイナルを迎えた。
      「ももいろクリスマス in 日本青年館~脱皮:DAPPI~」を無事にやり遂げ2011年を迎えた。2011年が明け、早見の家に百田が泊まりに来ることになった。

    百田「昨日はですねー、お仕事終わるの遅いから仮眠室に泊まりねって
     スタッフさんに言れてたんですが、あかりんがぢゃあうちおいでよって!(≧∀≦)♪
     お言葉に甘えて泊まりにいかせていただきましたヽ(≧▽≦)/うひょ♪
     みんなでおでん食べて~たくさん話して楽しかったです!!
     寝るときはあかりん姉妹の間に寝させてもらったぁ!!(^O^)
     まあ川の字の真ん中は一番小さい子が…ってやかましいわーい!!!!!!笑
     とにかく本当にっお世話になりましたっっ!!
     なんかみんなにお世話になりっぱなしで…っ
     こんどまた時間のある時にうちにも遊びにきてねっ( ´∀`)
     静岡いいとこだよ↑↑(@^O^@)カモーン☆」 (2011/1/6)

     百田は自分の中の暗い話を人に言いたくないと思っているように早見もまた言いたくないものがあるとは思っていた。早見と妹の間で川の字になって寝ながら他愛もないことをずっとしゃべっていたに違いない。早見が辞めようと思っていることをうすうす知りながら、早見も百田もそこには何もふれずに話し続けた。早見は脱退を告げることでメンバーとの関係性が壊れることが恐かった。脱退はグループのメンバーに対する裏切りである罪悪感が早見にはあった。百田との友情が壊れてしまうのが恐くて百田を誘っておきながら早見は何も言えなかった。その日から1週間も過ぎた頃、テレ朝の会議室にカメラを据えた状態でメンバーが集められた。メンバーは何が始まるのか戸惑っていた。早見が脱退報告を行った。メンバーはただ涙を流すだけでただ時間が流れていった。
    脱退報告の後、川上は二人を送る筈の車の中に百田と早見を車に残して、二人だけの時間を作った。報告の席で一言も会話することもなかった二人はしばらく気まずい雰囲気の中にいた。「もう、サイアク!」という百田の言葉をきっかけにそれまで抑えていた思いを百田はまくしたてた。新幹線に乗る時間を一本遅らせる程に話し込み、最後には二人共ケタケタ笑っていた。

    早見とももクロ

     早見の脱退発表を知ってインストアライブに南海キャンディーズの山里がかけつけた。1ファンとして、ももクロを応援してくれた山里に早見は深々と頭を下げて、これまで何度もファンの一人一人に言ったであろう言葉をかけた。。

    早見「すいませんでした。せっかくの応援を無駄にしてしまいました。」

     ライブの後、握手会に参加した山里にもう一度早見は言葉を返す。

    早見「さっきは、あー言ったけど、あたし、頑張るしかないんですものね、だから、今までの応援が無駄じゃなかったと思えるくらい、頑張って、ももクロのお蔭で成長できたって、頑張るしかないんですもん。ありがとうございました」



    <<5章補足>>
     5章は早見の脱退から、ももクロが紅白出場の夢を果たし、夢を志へと深化させる話だ。この章ではももクロの1ファンとしての早見の視点から、ももクロのメンバーの成長を中心に述べている。

     早見がももクロを脱退した中野サンプラザでのライブから1年経った日に脱退後の思いをアップしている。

    早見「桜がきれいな季節になりました。
     そして、わたしがももいろクローバーをやめてから1年が経ちました。
     やっと1年なのか、まだ1年なのか、感じ方は人それぞれだと思います。
     わたし的にはまだ1年なんだって感じです。
     みんなと泣いて泣いて別の道に進んだあの日から
     とにかく必死に毎日がんばってきました。
     ももいろクローバZの5人もそうだと思います。
     最近ではみんなの姿をテレビでよく見かけるようになりました。
     それは彼女達5人が必死に頑張った証拠だとわたしは思います。
     そしていろいろな人から、今Zがテレビに出てるのってどう思うの?
     と聞かれることが増えました。
     わたしはこう答えてます。
     ほんとーおもしろいよね、あの子たち!
     あかりが頑張ってた時テレビに出れなかったのに
     今あんなに大きくなってすごいよねー!まじすごいと思う!
     でもさー、テレビにいっぱい出てみたかったけど、ずっといれたかっていうと
     そうじゃないな
     この言葉をみてがっかりした人もいると思います。
     わたしにももクロに戻ってほしいと言う人
     ブログのコメントにも戻ってくれと何回書かれたことか…
     だけどわたしはもう ももいろクローバーではありません
     早見あかりとしてひとりで頑張っています。
     もちろん5人は永遠の仲間
     だけどもう違う道に進んでいるんです
     わたしたちは夢に向かって違う道で頑張っています
     もうアイドルのあかりんではなくて
     ひとりの女優、モデル 早見あかりとして見てほしいです。
     なので戻ってきてとはもう言われたくありません
     言われないように言わせないような頑張りをみせたいです。
     そして、今ももクロにわたしがいたことを知らない人がいっぱいいるように
     わたしがももいろクローバーだったと知らずに
     早見あかりを好きになってくれる人が増えるように頑張りたいです。
     脱退から1年経った今はじめてちゃんと自分の気持ちを話した気がします。
     これが早見あかりの本当の気持ちです。
     このブログを見て嫌な気持ちになってしまった方がいたら、すみません。
     これからも頑張ります。
     よろしくお願いします。」 (2012/4/10)

     早見はももクロを脱退後、都立高校に通いながら映画にも出演し、テレビでは「ウレロ☆未確認少女」にレギュラー出演した。特にウレロ☆シリーズは評判がよく毎年シーズンを重ね、東の芸人で一番油がのっている劇団ひとり、バカリズム、東京03という共演者にも恵まれ舞台化までやれたことで早見のスキルアップとファンの増加につながった。
    早見はももクロのポイントになるライブに必ず見に行ったりしながら、人には見えない角度でももクロのメンバーとはつながっていた。特に静岡から新幹線で東京の高校に通う百田は仕事が遅くなり帰れなくなると度々早見の家に泊まったりしている。

    早見百田


    早見「裏切る人の数だけ信頼できる人もいるんですよ。私ね、高校のときに、高1から仲良くしてた子に高3で裏切られたんです。それで人間不信になっちゃって。もう誰とも遊ばなくなっちゃった。でも人と関わらないと、何も吸収できないんですよね。私自身、言い方は悪いんですけど、自分が周りの友達より上だと思ってた時もあったんですよ。私の周りにたくさんの大人がいて、小さい頃から大人の世界で働いていて、だから同世代の子より私の方が多くの事を知ってるって。でもね、それは普通の人が普通に経験することをすっ飛ばしていることでもあった。知ってることの種類は多いかもしれないけど。知らないこともすごい多いって気づいたんですよ。それで自分が張っていたバリアみたいなものを取り払ってみたら、吸収できるものがすごく増えた。人が好きになりました。十代の終わりにそのことに気が付けてよかったです。」

     どこかで同世代の子より上だと思っていた早見のこころが友達の裏切りを生んだのかもしれない。ただ、そこに気づくには時間と環境の変化が必要だった。
     「大学進学を目指し、特に保育系の大学に進学したい」と早見は常々言っていた。それが夏休み明けに突然進学しないと宣言した。学校の進路担当の先生、家族、事務所のマネージャーもびっくりした。大人をびっくりさせるのが私の得意技かもと笑いながら早見は語った。

    早見「私思ったんです。この仕事がなくなったとき、自分に何が残るんだろう、と。何も残らないんですよ。実際、芸能界でがんばってきた、という事実は残るけど、学歴もないし、同じ歳の友達が普通に歩んできているような経験もしてないし、ホント、なんにも残らない。だったら、この世界でがんばっていかなくちゃいけないじゃないですか、高校さえちゃんと卒業しておけば、大人になってからでも大学って行けるじゃないですか、あとで本当にこれを勉強したいんだ、というものが出てきたときに、改めて大学に行くことを考えればいいだけで、今は18歳を迎える今年は、とにかく仕事で勝負したいって思ったから、進学するのをやめたんです!」

     ももクロが紅白に初出場した翌年、「進学するのを辞めました」と早見は自身のブログで宣言した。「2013年のわたしを見ていて下さい。死ぬ気で頑張ってみます。」と意気込みを語る。川上の上司である藤下リョウジが「来年は あかりの女優の部分に力を入れたいです。が、最後は 芝居のセンスと運しだい」とツイートしている。早見に対する最大限のエールだろう。高校を卒業した早見は初の主演映画「百瀬、こっちを向いて。」のクランクインを迎える前に、早見は役作りのために初めて髪を切った。早見がももクロ脱退に気持ちが揺れた頃に髪を切ってから2年後のことだ。



    早見「もちろん、約束は忘れてないし、それは今の私にとっての夢なんですけど、ももクロとの約束だけが私の将来の全てではないから。仲間との大事な約束は絶対に叶えたいけど、そこがゴールではないんですよ。ちゃんと自分の活動を頑張ったら、いつか紅白に辿りつけるかもしれない。でも、それをゴールにするんじゃなくてステップにできるように頑張って行かなきゃダメだなって」

     早見は2013年華々しくはなかったが主演映画の撮影、テレビ動画(「早見あかりのわかーんない」「さよならキノコ」)、テレビドラマへのために金髪に染め、ウレロの舞台出演、テレビCM(野菜生活等)と仕事は徐々に増えていった。仕事の増加と反比例するようにブログの更新が滞った。

    早見CM


    早見「ブログを書かない理由は、プライベートをそこまで明かしたくないという理由と無理に書いたら自分が強制的にやらされてる感が出るからやりたいときにやるのが一番と思っているからやらない。(ブログを書く理由を問われて)違うんだよ!お母さんがうっさいんだよ。ブログをお前閉鎖しろ、閉鎖しろって、書かないんだったら閉鎖しろって。書け書けって言う人が後ろにいるから。家でずっと言われ続けるんですよ。だって、川上さん何度言われましたか、あの子のブログを閉鎖しろって、何回も言われてるじゃないですか。お母さんが一番視聴者側として『あなたを応援してる人がいるからちゃんと書きなさい』とそれはわかんるんですよ。それが義務になるととりあえず『ありがとう』と言っとけという風になるのも嫌なんですよ」
    川上「この人は一番根本の部分では真面目なんですよ。皆が楽しみにしてる部分に関しては、口でこうしてブーブー言うんですが、結局やるんですよ。でもそのプレッシャーに自分でつぶされちゃう」


     2014年3月ももクロが国立競技場でライブを行う5日前、18歳の最後の月に早見は半年近く更新がなかった自身のブログを突然閉鎖した。9月以降ブログの更新が途絶えた。

    早見「2014年3月10日付をもちまして、終了させていただきます。
     文章で何かを伝えることが苦手で、なかなか更新することが出来ませんでしたが、
     それでもわたしのブログを待っていてくれた方、コメントを下さった方には感謝の気持ちでいっぱいです。
     最後のブログになるので、正直な気持ちを話したいと思います。
     わたしは器用に色々な事をこなすことが得意ではありません。
     これまでもブログの更新をなかなかすることが出来ませんでしたが…
     これからのことを考えた時、女優の仕事をやっていくと決めた上で必然的に役にのめり込むことが多くなっていくと思いました。
     そうした時に、ブログの更新もきちんと出来るのか?
     考えたところ、きっと疎かになってしまうのではないか、そう思い今回ブログを閉鎖することを決めました。
     皆様からの応援コメントはとても励みになりましたし、演技への厳しい意見なども勉強になりました。
     ありがとうございました。
     今後はブログという形ではなく、テレビやスクリーンなどでわたしの元気な姿をたくさんお見せすることが出来る様に、お仕事を頑張りたいと思っています。
     これからも応援宜しくお願い致します。」(2014/3/10)

    百瀬


     ブログの閉鎖により、この挨拶も、進学をやめる宣言も、脱退を振り返ったももクロへの気持ちの吐露も、投稿されたファンのコメントも2011年2月以降の記事が全て削除された。早見の言葉の断片はファンの記憶や他のブログにのみ残った。早見は家族のことを含めて自分のことを素直に言うにはまだこだわりがあった。早見は作品以外でのファンとの交信を絶ち、早見にとってもももクロにとっても激動の年が始まる。

    百田「自己解決するんですよ、私。なにがあっても、だいたい一人でいる時に解決しちゃうっていうか。『あっ、ダメだな今日』っていう時は、帰りの新幹線の中で自己解決するんです。たまに解決できなくて爆発しちゃうことがあるけど、だいたいは新幹線に乗っているあいだに解決する。『ダメなところを人に見せたところで問題がなくなるわけじゃないから』っていう感じなのかなぁ…。でも新幹線での1時間30分は私にとってはすごい重要な時間なんですよ。乗った処から着くまでの間にすっごい考えて、着いて家族に会う時はにはもう普通の私に戻っている。逆に家族といる時はそういうことを考えなくてもいいっていうのはありますね。うん逆に考えない。家に着いたらそこまでなんですよ。もうそこまでで悩みは終了。めったに泣くことはないけれど、たとえ新幹線の中で何回か泣いたとしても、家に着くまでには確実に目が赤い状態が全て治ってから行きます。そういう自分の中のリズムが出来ているんですよ」
     
     百田は静岡から新幹線通学し高校を卒業してからも静岡から通うことを止めなかった。自分が悩んだり苦しんでいるところを誰にも見せたくない百田には1時間30分の新幹線という装置が必要だった。百田と同じように自分の弱さを知っているだけに他人と間にバリアをはってきた早見にとって百田の新幹線のような装置が母親との関係だったのかもしれない。自分の悪態を受け止めてくれる母親の存在が自分を崩壊から守ってくれる防波堤だった。百田は「大丈夫」じゃない時でも無意識に「大丈夫、大丈夫」と答えてしまい自分で自分を追いつめていた。高校を卒業して昔からの友達の「どうして夏菜子はどこでも完璧でいようとするの」という言葉に百田はハッとしたという。「いつも笑っていて、夏菜子はいったい、どこで自分の弱音を吐くの?ちょっと自分の弱い処を見せてみたら、きっと周りの誰かが助けてくれるんじゃないの」という言葉に勇気づけられて少しだけ周りの大人たちにも弱音を吐けるようになった。

    早見「相手がこっちを探り探りきてるなって思うと私も探り探りいっちゃう。でも一気に殻を破ってくれたら自分も心をパッて開きます。土足で乗り越えてくるくらいに」

     ただ、一気に早見の殻を破ってくれるのはももクロのメンバーのように少数の人間だけだった。大多数の大人たちに心を開くまでには時間がかかった。自分を守るために無意識にはっていたバリアをとるのが最初恐かったのだろう。一つ一つの仕事をこなし、信頼してもいいんだと思える大人たちに出会っていく内に少しずつ心を開けるようになった。

     夏を予感させる初夏の5月、早見の主演映画「百瀬、こっちを向いて。」の初日舞台挨拶を見に新宿ピカデリーに私は足を運んだ。初めて見る早見は向井理等の男性陣に較べると小さく華奢に感じた。ももクロの中で一人突出して大きかった早見のイメージの違いに最初は戸惑った。ただ、映画は思っていたよりよく佳作と言っていい映画だ。

    早見「初日が近づくにつれ、プレッシャーがのしかかってしまい、みなさんに届けられるのは嬉しいんですけど、まだ渡したくないと思う気持ちも正直ありました。(声をつまらせる)映画を観た方にいろいろなことを感じ取って欲しい。そしてここにいるみなさんの力でこの映画を広めていただいて、沢山の人に触れて欲しい。みなさんのおかげでこのスタート地点に立てた。」

     早見の強い緊張とこの作品にかける気持ちがこみ上げ涙に変わり観客に伝わった。周りへの感謝を述べた早見の短い舞台挨拶を終えた。

    玉井「うるさーい、このポンコツたち、朝のゲームだ。始めるぞ!
    題して、第一回、辞めたあの子も朝ドラ出演記念、こりゃー、朝ドラ当たり年、
    こりゃー、NHKさまさまだなー、素敵なじぇじぇじぇゲーム!」

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     NHKのあさドラ「マッサン」に早見の出演が決まった直後にももクロのライブで早見の朝ドラ出演を祝った。ももクロのMCの中には早見が出演しているテレビのギャグが時々散りばめられている。自分達の番組で早見の出ている他局の番組を宣伝することすらあった。早見の名前こそ出さないが常にお互いをチェックしているのだ。
    毎年のようにオーディションに応募して「あまちゃん」の最終選考に残っても採用に至らなかった早見がNHKの朝ドラ「マッサン」の出演が決まった。今回はNHKからのオファーだった。早見が朝ドラ出演を母親に告げると買物袋を下げ、立ったままの母の眼から涙があふれ出し止まらなかった。

    早見「素直に大好きって言えるようになったのは最近です。あたし、あたしの仕事を頑張るモチベーションはお母さんに家を買ってあげようということです。そう、家をあげたい、です。チョウいい子ですよね(笑)。あたしが表にでることを喜ぶのは私以上に母親なので、喜んでくれる人が一番、近くにいるので頑張んなきゃっていう気持ちはすごくなります。」

     ももクロ時代の名古屋遠征で「お母さんとケンカして『あんたなんかシャチホコになって、帰って来なくていい』って言われた」とライブの自虐ネタとして近況を報告していた時期もあった。お母さんに家を買ってあげたいという夢を語り、「チョウいい子ですよね」と言って、こんなあたしがと自己を茶化し笑いが止まらなかった早見の夢。

    早見「最近ふわふわしてるねって、親しい人には『昔が一生懸命すぎたんだよ』って言われるけど。やっぱりももクロのときは『私がしっかりしなきゃ』って頑張ってたし、明日からは二十歳ですけど、絶対周りの10代より波乱万丈な人生だと思います。大小さまざまなピンチがあった。プライベートも仕事もいろいろありすぎた。
     時間が経つのを待つしかなかったかもしれない。時間が経てば、この女優という仕事が一番やりたい仕事なんだと思えるから。じゃ、もう一回頑張ろう、って戻ってこれる。後誰かに助けてもらってもいいんだと思うようになったことも大きいかも。」

     人に助けてもらってもいいんだと思えるようになった頃からなのか、「アゲイン」、「すべてはFになる」、「セカンドラブ」等のテレビドラマに立て続けに出演し、鶴瓶のA-studioにもMCとしてレギュラーとなった。笑顔を作ることが自然にできるようになったからかもしれない。自分が張ったバリアを取り去るのは本当に難しいと思う。それだけ早見自身が強くなっていたのだろう。

    早見「お母さんって大変なんだなと一人暮らしして分かりましたよ。思えば私、そういう頑張りすぎるストレスを全部お母さんにぶつけていたんです。多分お母さんが辛かったと思う。だけど私はその時の記憶が本当に無くって、精神的に一杯一杯だったから。高校を卒業して自分で何もかもやるようになって、生活するのってこんなに大変なんだって知った時に、心から素直に『お母さん好き』と言えるようになった。」

     中学の頃から続いていた母との格闘も2014年の夏に実家を離れ一人暮らしを始めたことを機に大きく変わり始めた。

    早見「大人に、なるーっていうか近づいていくと、すごさがわかるようになってきた。だから、感謝してます。なんか、親なんですけど、ほんとに最近実家に帰れないことが多くて、一人暮らしを始めて、最初の一か月とかは、もう3日に一回とか帰ってたんですよ。もう意地でも帰るというか、でも最近一か月に一回とかで、でも帰ると、それが深夜に着いたとしても夜中の3時までお母さんと話してたりとか、なんか話すことがたまりすぎて、何話したらいいんだろうみたいな、全部話すんでお互いに、友達みたいな感じです。親友、一番の、ほんとに色々迷惑もかけましたけど、二十歳を前にするとなんか思いますね。」

     二十歳の誕生日に早見の初写真集「Twenteen」をだした。そこには早見あかりの言葉でこれまで早見あかりとして生きてきた軌跡について述べている。写真集の最後に母親に宛てた素直な感謝の気持ちが込められた手紙が収められている。なお、ここに掲載した早見の言葉はこの写真集からではなく一緒に発売したDVDとQuickJapanの記事をベースに引用した。DVDの最後にこれから自分はどうありたいかを述べている。

    早見「子供の気持ちを忘れずに、今を、とにかく楽しみたい、楽しくなきゃ嫌だというスタンスはずっと変わらないでいたいって思ってます。仕事に対してもプライベートでも、もちろんいろんなお仕事をさせてもらいたいと思っているし、頑張る気持ちは持ってて、その過程でつまらないとか楽しくないとか思ったら、自分の中で仕事をやっている意味がなくなってしまうので、ずっと楽しいと思いながら大きくなっていければいいなと思います。こんなにホケーとして悩んでない時は今までなかったと思います。もちろん悩みがないわけではないですけど、レベルが違うという。落ち込み具合みたいのが、年々本当に抜けてってるというか、笑う量が増えてってるような気がする。何に対しても。楽しみたいです。つまんない大人にはなりたくない。折角やりたいことを仕事にできるという数少ないチャンスをもらって、やっぱりやりたくないと思ってやっている人が多い気がするんですよ、このご時世、でも、その中で本当にやりたいことを選んで仕事にできて、それで生活をできてて、だったら楽しまなきゃ損ですよね。」

     早見が大きく成長した2014年の夏にももクロもまた大きく成長を果たした。川上が忙しいスケジュールをまるまる2か月近く映画の撮影にあて、「幕が上がる」という映画にももクロは挑戦した。弱小高校演劇部の部員であるももクロのメンバーが女優を辞めた先生と出会い成長し全国大会を目指す映画だ。
    早見は試写でみて「ももクロにはぴったりな作品だと思った。青春」と述べた。百田が初めての芝居の相当プレッシャーを感じていたと聞いてこう感想を述べている。

    早見「必死だったんだ。だって良かったもん、夏菜子。れにとかも、自分に近い役で普段のれにらしさがあったし、杏果の謎のある感じも本人にリンクしてるなって思った。でも夏菜子は全然自分に近くない役をやってる。こんなこともできんだって思った。親友だから言いますけど、あのおバカが(笑)。あのおバカな子がこんな素敵な演技をするんだって思いました」

     
     二十歳になってやりたいことはと聞かれて「お母さんと飲みに行きたい。あと大衆居酒屋みたいなところに一人で行って、おじちゃんと仲良くなる」と答えている。これまでは常に大人に囲まれる形でしか移動できなかった時代から、二十歳となった早見は近所に行きつけの酒場に一人立ち寄ることもあるだろう。時には仕事に行き詰まりこともあるだろう、そういう時にはピアノマンにももクロの歌でもリクエストするのだろうか。

     ピアノマン(Piano man)

     時計の針がちょうど9時を指した土曜日(It's nine o'clock on a Saturday)
     馴染みの顔が続々と集まりだす(The regular crowd shuffles in)
     私の隣にはいつも1人で来てる爺さん(There's an old man sitting next to me)
     いつだって まずジントニックだ(Makin' love to his tonic and gin)
     「おーい、あの曲弾けるかい?」(He says, "Son, can you play me a melody?)
     それでこの憂鬱な気分がどうにかなるかは分からない(I'm not really sure how it goes)
     だけど最高だったあの青春の記憶が蘇るんだ(But it's sad and it's sweet and I knew it complete)
     私がまだ流行りの服を身にまとってた頃の曲さ(When I wore a younger man's clothes)
     だから歌ってくれないか、ピアノマン(Sing us a song, you're the piano man)
     今夜の私達の為に(Sing us a song tonight)
     ここにいる皆が君の紡ぐメロディに酔いしれたい気分なんだ(Well, we're all in the mood for a melody)
     君の歌声は私達の明日への力なのさ(And you've got us feelin' alright)


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    2015.05.10 | コメント(4) | トラックバック(0) | ももクロ

    早見あかりとももいろクローバーZ(5)

    <題5章 「夢」は目標であり通過点、「志」は自分を越えて永遠に引き継がれるもの>

     エッジのきいた眉、強い意志を秘めた瞳、透き通った鼻すじ、はにかんだ唇、早見あかりはももいろクローバーというアイドルグループにいた頃、青の子と呼ばれていた。
     2011年4月10日のライブをもって、ももいろクローバーを脱退することになった。

    ポスター


    早見「本当にいい仲間を持ったなって思います。すごく身勝手なことだと思うけど、理解してくれて、あたしの性格も理解してくれるから、一度言ったことは曲げないということもわかってるし、だったら応援しようと思ってくれるみんなだからよかった。最初はどうなるかと思いました。ホントに、なんか、ふざけんなよって怒ってくれればいいけど、何もいうこともなく、ただ目の前で泣いてて、その涙を作っている原因は自分でどうしようって思いました。紅白に出てほしい。みんな本気で目指してるし、もっともっと大きな舞台で踊って、みんなで勝ち取ってほしいなって思います。あたしは離れちゃうけど、みんなが目指す目標は変わらないと思うし、私は私で頑張るし、ももクロはももクロで5人で頑張ってほしいなって思います。ファン、多分誰よりもももクロのことがわかっているももクロのファンかな。大好きです、ももクロ。2部は私がももクロにいたってことを忘れないでもらいたいから6人でやる最後のステージだし、メンバーとか、スタッフさんとか、ファンの皆さんとか、心に残るステージにしたいです」

     早見の脱退報告後、ZEEP全国ツアー「★ミライボウルがやってきた」が始まった。ライブ会場を満席にはできなかったが大都市圏のライブハウスの熱量が口コミで広がり確実にライブの客は増えていった。

    川上「もう早見の考えは変わらない。覚悟はできている。そう理解したところから僕の考えも一気に変わりました。その時点から、残った5人の画しか考えないようにしたのです。辞めていく早見には可哀想かもしれませんが、残された5人の方が、ももクロのマネージャーである僕が一番に行うマネジメントだと思いました。とはいえ、最後に早見の気が変わって『またやる』って言ったら、それでもいいかなとも考えていたのですが」

     メンバーは早見が抜けた後のフォーメーションの対応に追われていた。それでも「みんなが6人だったももいろクローバーを忘れないほしい」と思う気持ちでひとつになっていた。4月10日に早見がいなくなる訳がないとでもいうように早見と一緒にはしゃぎライブを転戦しスケジュールをこなしていた。

    玉井「映像とか撮ってって、一回、5人の取材とか設けて、なんか待ち合わせの時に5人が集合したのに車がスタートしなかったんですよ、『あれ!』ってマネージャーさんに『なんで動かないですかって』って言ったら、『今日はあかりちゃん、まだ来てないんだ』って言われて、あたしたちは5人だって思ってたから、『あかりちゃんが来てないから動けないんだよ』って、やっぱり4月10日過ぎたらこうなっちゃうのかなって、そん時はすごく感じました」

     玉井の目にはいつのまにか涙があふれていて、いくら手で拭っても涙を止めることができなかった。何故こんなに涙がでるのか玉井にもわからなかった。
     これまで早見が描いてきたももクロメンバーとしてのビジョンをどう引き継ぎ発展していくべきか、玉井だけではなく残されたメンバー一人一人の課題だった。

    佐々木(演出)「俺も久々に日本青年館に来て懐かしかったもんなー、あいつら入ってくるなりキャッキャッやって、うれしいんだろうね、初めてのコンサートをここでやるからって、思い出しましたよ、早見あかりもいてー、Zになる前」
    川上「あの時、国立で、やるなんて思ってもいなかったすよね。国立だーって意識はなかったですね、あん時は。そこまでは全然考えられなかったですね、国立を意識したのはミライボールの頃で、ちょうど、その頃に嵐さんのライブDVDを行き帰りの頃によく見ていたんですよ、車ん中で、超ブームになったんですよ、嵐さんの台詞を真似したりしてるんですよね、玉ちゃんとか、そういうのを立川の屋上でやってたりしてたんですよね勝手に国立競技場をイメージしてやってて、それを国立川って言ってて、国立をオマージュして国立ごっこをやってて、いつかやりたいねって、でも、そんな言えないですよね、だから言わなくなって、それで初めて、紅白に立てた時の次の日に言ったんですけどね」

     玉井が持ってきた国立競技場で行われた嵐のライブDVD、移動中のワゴン車の中で繰り返し見て、憧れた。ステージから伸びた花道を「国立競技場でライブをやりたい」からと「国立川(こくりつかわ)」と呼んだ。
     紅白に出場するのが夢だったが、どういうパフォーマンスをやるという具体的なプランはなかった。それが嵐の国立競技場のコピーではあったにせよ、彼女達なりにももクロのステージを考え始めたのが国立川だった。早見がいる間に早見が脱退した後のライブを作り上げる。そして、“私たちなりの国立競技場”として、フロム中武の屋上に花道やサブステージを設けてライブを行った。高城が一人先発し嵐をオマージュした煽りからスタートした。

    高城「みんなぁー!幸せになる準備はできてるかー!?」
    高城「幸せになる準備はできてるかー?!」
     客「うおー!!!」
    高城「わたしは、幸せだーっ!!!!!!」

    国立川

     百田が今日のステージ「国立川」の由来を説明し、国立競技場だからお客さん7万人いるくらいのつもりでやろうと思いますと300人程の観客の前で宣言する。衣装は、日本青年館で使用された詰め襟の衣装。曲中にステージから走り出てサブステージで歌ったり、早見がラップをサブステージで刻み、有安が台車に乗り「words of the mind 」でグローブをはめ、百田がステージから花道を走り「行くぜっ!怪盗少女」で前転の連続技で戻る、会場の構成をうまく使い、いつものステージよりサブステージや花道での演出の方が多かった。このイベントの演出とセットリストにメンバーは挑み、ステージを作るために川上が会社の若手をかき集めて屋上まで部材を運び上げ、へとへとになりながらステージを作り上げた。1部と2部でも配置を変えながら試行錯誤でステージを作り上げていった。

    佐々木彩夏「私たちが移動中の車とかで、たまたま見ていた嵐さんのDVDとかを見て、すごいお客さんの数だったり、今までにないパフォーマンスのあり方とか、あんなたくさんのお客さんを一つにできるんだってすごい憧れて、だから私たちも国立でやりたいなって、そん時は思って、でも、私たちなりに私たちの国立を立川の屋上のライブで国立川って名前で、そこで、花道を始めて作ってみたり、リヤカーでみんなの周りを廻ってみたり、あたしたちなりの国立を立川で作ったんですけど」

     放送作家のオークラがももクロのファンになったのはテレビ東京のゴットタンという番組の企画を考えるためにアイドルのPVを見て、ももクロを発見した時だ。ももクロの怪盗少女になんだこれはと思い、ココ☆ナツの「コーッ、コ、コッ、コッ、コー」と歌いクルクル回る中に入ったら恥ずかしいな、でもちょっと入りたいなと思っているうちにオークラはももクロの虜になってしまった。その時オークラが考えた企画が照れカワ芸人という企画で、後にももクロが出演して玉井がおぎやはぎを平手打ちし話題になった。2010年頃は、まだももクロを知っている人は誰もいない状態で、オークラの親友のバナナマンとネタ合わせでももクロの曲ばかりかけている内に設楽をファンにまきこんだりもした。とんねるずの食わず嫌い王決定戦のディレクターをやっていた佐々木敦則がももクロの演出をやってると聞きつけ「ももクロやってんですか」って聞くと「お前なんで知ってんの?」と言われ、その時、早見が辞めた後の七番勝負をやる企画があったので「七番勝負の構成手伝ってくんねいか」と言われ参加することになった。

    佐々木(演出)「あれはだから早見が辞めたのが2011年の4月10日で、4月11日から7日間連続のトークライブやったんですよ。でっ、今までずっとMCで回してた早見がいなくなって、誰も回すことがなくなった5人をどうやって、ファンの人たちの前でトークライブ成立させるかって、非常に痺れたライブで」
    オークラ「それで手伝うようになって、そしたら、いきなりももクロの稽古場に呼ばれて、その時中野サンプラザのライブ前で、行ったら夏菜子ちゃんしかいなくて、夏菜子ちゃんがソロ曲の練習してた。そこに俺座って観てたら、佐々木さん全然紹介もしてくんないし、突然来た変なおっさんって感じで、俺、席に座って観てたんだけど、目の前で踊ってるわけよ。ゆみ先生とかが教えてるんだけど、『ちょっとみんな俯瞰で見たいなって』って言って、ゆみ先生とか他のスタッフが全員俺の後ろに下がっちゃって、そしたら夏菜子ちゃんが俺の目の前で踊り始めて、恥ずかしくって、向こうもこいつ誰だみたいな。それが最初の出会いです」
     オークラは後に早見が出演する「ウレロ☆未確認少女」の脚本を書き、ももクロのライブで松崎しげるが出てきて「愛のメモリー」歌うサプライズの替え歌を作ることになるとはこの頃は思ってもいなかった。
     早見の最後のライブ(中野サンプラザ)直前に早見と百田が脱退直前の気持ちを吐露した。早見は自分が一番心配なのはリーダーの百田だという。

    早見「本当に心配なんです。トークとかそういう意味じゃなくて、夏菜子、こういう風に天真爛漫に見えるけど、実際、弱い部分もたくさんあるから、そういうところ知ってるから、メッチャ心配。つぶれちゃうんじゃないかって、だからスマートフォン買って夏菜子のこと支えるって決めたんだ。いつでも夏菜子の愚痴を聞いてあげるの」
    川上「でも、昨日、今日とゲネプロ組んでやらしてもらったけど、その時の夏菜子の目はすごくよかったね。それは詩織とか他のメンバーも思ってると思うけど。まあそれを見てて、後の5人も安心できるなーって思いましたけどね」
    早見「中野の話からそれちゃうんですけど、紅白!出てね。あたしは審査員席から見てるから。でもそんなこと言ってもかなわないんじゃないかと思ってる方もいらっしゃるとは思うんですけど、夢は大きくだよ!だって、ももクロは路上ライブから始まったんだよ、ビラ配ってたんだよ。そんなとこから始まって、こんな中野サンプラザみたいな大きなところでやれるようになったんだから」
    川上「いいな、最後にちょっといい話、あかりが紅白に出て審査員で、ももクロを見てるっていう画ね」
    百田「で、赤を上げさせるっていう、でもね、すごい思うの6人で立ちたいって言っててさー、それができなくなったみたいになってたじゃん」
    早見「考え方を変えたらできるんだよ」
    百田「できないことってないんだよ。だってできないって言っても『できる』って言われるんだもん」
    早見「とりあえず夢は大きく持とう。また会えるよ」

    6人の手

     2011年3月11日14時46分、仙台市の東方沖70kmを震源とするマグニチュード9.0の地震が発生した。東日本の太平洋沿岸を津波が直撃し2万人近い命を飲み込んだ。福島では原発がメルトダウンを起こし、次々に起こる水素爆発と事故対策に驚き、皆固唾をのんで推移を見守った。東京も余震に何度も震え、計画停電の余波が東京の闇を深くした。自粛ムードの中、ももクロのイベントもあいついで中止になり、早見が出演した映画「市民ポリス」の舞台挨拶も全て中止となった。4月10日のライブも開催が危ぶまれたが東日本大震災の復興を応援するためという主催者側の熱意により「中野サンプラザ大会 ももクロ春の一大事~眩しさの中に君がいた~」は開催された。開演前には、東日本大震災の復興を願うファンによって巨大なクローバーの幕に寄せ書きされ、ステージに掲げられた。

    寄書


     ついに昨日の雷雨に耐えず およそ相当施肥をも加へ
     やがての明るい目標を作らうとした程度の稲は次から次と倒れてしまひ
     こゝには雨のしぶきのなかに
     とむらふやうなつめたい霧が倒れた稲を被ってゐた
     しかもわたくしは予期してゐたので
     やがての直りを云はうとして きみの形を求めたけれども
     きみはわたくしの姿をさけ 雨はいよいよ降りつのり
     遂にはこゝも水でいっぱい
     晴れさうなけはひもなかったので
     わたくしは たうたう気狂ひのやうに
     あの雨のなかへ飛び出し測候所へも電話をかけ
     続けて雨のたよりをきゝ村から村をたづねてあるき
     声さへ枯れて凄まじい稲光のなかを夜更けて家に帰って来た
     さうして遂に睡らなかった
     さうしてどうだ
     今朝 黄金の薔薇 東はひらけ雲ののろしは つぎつぎのぼり
     高圧線もごろごろ鳴れば 澱んだ霧もはるかに翔けて
     見給へ たうたう稲は起きた
     まったくのいきもののやうに
     まったくの精巧な機械のやうに
     稲がそろって起きてゐて
     そのうつくしい日だまりの上を赤とんぼもすうすう飛ぶ 
     あゝわれわれはこどものやうに踊っても踊っても尚足りない
     もうこの次に倒れても稲は断じてまた起きる』
    (宮沢賢治 「和風は河谷いっぱいに吹く」草稿3)

     私は宮沢賢治のこの草稿が好きだ。「春と修羅」に納められた完成稿は緻密な描写が美しい名文だ。でも東北岩手の寒村で開花期の稲が風雨に襲われ倒れゆく稲田の前でオロオロと歩き、明けて黄金色に染まる稲が起き上がる様を稲は断じてまた起きると、昂揚した若さを露呈する宮沢賢治が私は好きだ。ももクロのメンバーに負荷をかけ超えるべき壁を作り続けた川上を筆頭としたスタッフが何度倒れても邪気もなく笑顔で立ち上げり続けるメンバーに驚かされ、宮沢賢治が大自然に心震わせるようにももクロに何度涙してきたことだろう。震災という負のエネルギーが充満する社会の片隅で、ももクロはももいろクローバーZとして再生した。

     早見が抜けた後の「Zでいくって決めたんだZ!!」のツアーは苛烈さを深めていく。1日20曲2回公演を毎週行い、最終日7月3日のツアーファイナルは1日3回公演全65曲幕間の入れて8時間に及ぶライブを行った。ももクロのダンスは3曲も歌えば全身汗だらけになる程の激しさだ。早見もロックバンド(かまってちゃん)との対バンで7曲ぶっ続けでやったことがあるが、最後は酸欠になりながら息ができず、それでも身体は踊れるんだなと思ったという。ライブを中継したニコニコ動画のコメント欄に「もういい、やめろ、いいから休め」と悲鳴のようなメッセージがアップされていた。早見が踊ったのはそれでも13曲にしかすぎない。地方都市で2時間2回公演を行った後、有安は「死ぬかと思った。…生きてるのかわからなくなっちゃう」と言っている。2時間の間にMC以外の休みがなくぶっ通しで、それも全力で踊り続けるのだ。

    川上「3回やったのは、『これがももいろクローバーZ』だというものを見せたかったからです。メンバーが5人になって初めてのツアーでしたから、とにかくギリギリのラインの生きざまを見せたかった。1回2時間で計6時間、しかもセットリストが全て違うという過酷なライブでしたが、彼女たちのの熱量を一番そばで見ていたから、できると思ってました。もちろん手を抜こうものならケツを叩くつもりでしたが、見事にやり抜いてくれました。
     誰でもそうですが、人間ってマージンを取って生活しているものじゃないですか。家に帰れなくなるくらい、働いてやろうとは思わないでしょうし。でも当時のももクロたちが、小器用に手先だけでうまくやれるとは思わなかった。ギリギリまで頑張って初めて人の心を打つものができる。そう考えたわけです」

     演出側もムチャなことはわかっていた。演出の佐々木敦則からライブを始める前にもし誰かが倒れた時はどう進めるか、メンバーが倒れる前提でメンバーと打ち合わせを行った。このライブ用にマッサージルームとプロのマッサージ師が用意され、公演と公演の合間にメンバーがマッサージを受ける準備をしていた。

    山里(南海キャンデーズ)「マッサージ師の人がマッサージしながら泣いちゃったんだ。なんでだと思う。こんなに女の子達が頑張ってて、触ったらわかるから、どれだけ疲労度があって、どれだけしんどいか、どれだけ動くのがしんどいかってのは、触った瞬間わかるんだって、マッサージの人って、涙が出るんだって、この子達こんな状態で後2時間もやんのかって、でもその時に一言も痛いとかしんどいと言わない、楽しいとしか言わない。ライブ、ZEEPがあんなに一杯になって、その前にZEEPでやった時は客先埋まんなかったんだから、それがこの半年で客席が埋まるようになってライブが盛り上がるようになったことで、自分達の体力の限界まで挑戦してやるっていう意気込みで…3回公演が終わった後、大人が背中を支えていないと全員立てないのよ。全員フラッフラで、有安なんてうつろなな状態で、担がれて医務室みたいなところに入っていってすごかった」

     メンバーはマッサージを受けながら眼だけはギラギラ輝いていた。早見は2回目の途中から舞台裏にかけつけた。百田にとって不安だったのは自分達が倒れることではない。ファンに全力の姿を見せたい、自分達のライブを楽しんでもらいたい、それなのにカラダがついてこれなかったらという不安だった。百田は早見の脱退以後、泣かないと決めていた筈なのに早見の激励を受けた瞬間、舞台裏で泣き涙があふれた。

    円陣

    早見「Zepp Tokyoの3部を観に行ったんですけど、あたしもいつのまにか開始前の円陣に加わってたんですよね。ももいろクローバーZは本当にカッコいいって思います。脱退してから4か月が過ぎたからか、素直にファンの目になれましたね。自分では2時間ガッツリライブをやれと言われたらやるんだろうけど、無理だと思います」

     2部のアンコールで百田17歳の誕生日サプライズで客席が赤いペンライトで赤く染まっていた。メンバーからステージに押し出され百田は「これはイカン!反則だよ、反則!」とファンが歌うハッピーバースデーを聞きながら泣いた。
    百田と玉井は、何度も「倒れたら倒れただ」と言い合って3回目のステージに向かった。
    アンコールのラスト曲、「ツヨクツヨク」では高城が泣き出した。最後の挨拶は皆涙声だった。

    百田「私も正直、3回公演なんて、本当にできるのかなーって思ったし、途中でこれやばいんじゃないかって思ったりもした時に、ファンの方が声援をくれたりとか、すごい応援してくれて、その度に頑張ろうって思えて、なんか今日3回公演やってファンの方とかスタッフさんとか皆さんがいたら、本当にももクロはどこまででもいけるんじゃないかなって、すごい思いました」

     舞台裏はコールドスプレーの匂いが鼻につき、廊下に汗がしたたり落ちていた。そして、客席からダブルアンコールの声が沸き上がった。挨拶だけでもと言いながら、何が歌えるか、その場で決めて、うれしそうにメンバーは誰ともなく舞台にむかった。

    百田「お前らも好きだなー! 最後まで付いてこいよー!」

     ダブルアンコールに「あの空にむかって」を歌って3部をしめた。舞台をはけると百田も足にきて、つった足を拳でしごいていた。有安は無意識に倒れ込んでいた。それでも、百田は笑顔で関係者にあいさつし、有安はボロボロなのに立ち上がってあいさつに加わった。玉井は汗を絞りきったせいか、ケータリングのカレーがおいしいおいしいと食べ家に持ち帰った。
    何故、アイドルがこんな肉体の限界に挑戦し続けるのだろうか。ライブをやる前に「私は絶対できると思う」と強気の発言をしていた高城は「ファンの人に『ももクロは2時間公演を3回もやったんだ』よって自慢させてあげたい」と言っていた。ライブ後のブログで自分達の挑戦の意味を語っている。

    高城「始まる前は本当に怖くて怖くて
     仕方なくてひたすら自分を信じることしかなかった!
     でも本当にみんなの力ってすごいなって思った!
     みんなの目が声がエネルギーだった
     どんなときでもそばにいてくれたから安心できたし頑張れた
     ありがとう!
     ただわたしがずっと疑問に思ってたことがあってそれは
     『どうして、こんなに私達の限界に挑戦してるんだろう?』
     でも今日わかった
     意味があるからだよね!
     意味がないことなんてこの世に存在しないんだよ
     そして限界なんてないんだよ
     心で負けない!これ大事
     どんなことに対しても言えることだよね!
     きっと自分にとってすごく自信にも繋がった!
     次へと繋がる!」(2011-7-3)

     早見が抜けた後フォーメーションを6人から5人変えて歌える歌を増やしてきた。早見の担当だったMCは佐々木に引き継ぎライブを回してきた。脱退直後の七番勝負では思うようにトークを回せずに佐々木は泣いた。メンバーを早見が抜けた穴を埋めるべくこのツアーをやりながら自分に何ができるのかをずっと考え続けていた。

    早見「玉井は自由人で、何を考えているか、あたしにもわからない。Zepp Tokyoでも、ライブ中にずっと私の方を見ていた。川上さんの話では、最近、夏菜子に叱られると、すぐに横になって、眠くなると黙ってしまうんだって」

     玉井は早見の脱退後めったに泣かなくなった。彼女にとって早見の抜けた空間を埋め切れていなかった。

    玉井「夏菜子があかりんについて、雑誌で『自分にとって大きな存在』と答えていたのを思い出して『あかりんがいないと夏菜子はどうなるんだろう』って、私にできることって何だろうと考えて、小さなことから始めたんです。例えばMCのとき、夏菜子はセンターなのに前に出ないことがある。そんなときはあかりんが背中をポンと押すんです。私はいつも、夏菜子をあかりんとはさんで立っていたから、それをずっと見ていて。だから、あかりんが抜けた後は、私が背中を押すところから始めようと…(涙ぐむ)」

    早見の抜けた後サブリーダーの位置に誰もつかなかった。玉井は百田を支えるという地点からサブリーダーを引き継ごうとしたのかもしれない。玉井はライブやイベントの場の空気を読んで補助する役割を率先して担っていった。8月20日よみうりランド で開催された極楽門ライブの前に玉井は髪を切った。

    玉井髪を切る

    玉井「もう、あかりんになっちゃったよ、前の」

     早見は脱退後モデル、映画の端役での出演、ヒャダインのPVの出演はあったが本格的な仕事は、まだなかった。この頃、テレビ東京で劇団ひとり、バカリズム、東京03の予定が空き以前からやりたかったシチュエーションコメディができるチャンスに佐久間プロデユーサーと脚本のオークラが企画を練っていた。

    ヒャダインと

    佐久間P「キャストの決定と同時進行でストーリーを詰めていくうち『これ二十歳前後の女の子がいたほうが話膨らむな』と思い始めて、誰か探してもいまいちピンとこない。そんな時、あかりちゃんを思い出しました」
    オークラ「早見さんも候補には入ってたんですけど、ただ16才というのがあって」
    佐久間P「毎週本番をしなきゃいけないし、芸人たちのスケジュールが合うの平日だし。あと、早見さんは若いから、あんな百戦錬磨の芸人どもの中に放り込まれてもできないんじゃないかなと思ったので、もうちょっと年齢が上の方に変えようかと。けど、早見さんが出てる『市民ポリス69』とか見たら『できるんじゃないかな』っていう気持ちもあったんです。そしたらマネージャーさんから『本人が話を触りだけ聞いて、どうてもやりたいって言ってる。やる気がすごくあるので、チャンスがもらえたら嬉しいです』ってお話いただいて。じゃあもう。」

     2011年10月7日から始まった「ウレロ☆未確認少女」はオークラが書いたこのセリフから始まった。

    川島(劇団ひとり)「ここに辿りつくまでに、どれだけの労力と時間を費やしてきただろうか。しかし、その苦労も無駄にはならなかった。何故なら、このアイドル戦国時代にトップを取る最高のメンバーを選び出したからだ。この6人の少女、未確認少女隊UFIだ。いよいよ明日、彼女達が@川島プロダクションの命運をかけ芸能界にデビューする。みんな悔いはないな」
    枡野(バカリズム)「僕はこれまでのプロデューサー人生の中で最高の6人を選び抜いた自信があります。誰一人が欠けても駄目です。彼女達こそ、まさしく最高の6人です」

     ここからメンバーチェンジのドタバタがあって笑わせるのだが、ももクロに擬せられるUFIの6人目の顔を隠した謎のメンバーを早見がやることになる。ももクロへのオマージュに満ちた芝居でありながら、東の芸人で一番油がのっている劇団ひとり、バカリズム、東京03のシチュエーションコメディは面白いと評判を呼んだ。特に紅一点の早見あかりにファンの熱い声援がとんだ。

    早見「ももクロって基本的に丸裸な感じじゃないですか、感情むき出しで。普通のアイドルってアイドル像があるじゃないですか、でもそれがももクロにはない気がしてるんです。だから「ウレロ☆」の台本を最初に読んだ時、本当にももクロのことを好きな人が作っている!すごく思って感動したんです。だから、ももクロのことが好きだからZを応援するし、別れちゃったけど、あかりんも応援してくれている人たちが作ってくれた番組なんです」

    オークラ(脚本)「最初に早見さんが本読みに来られなくて、その後に初めて本読みするっていうときに、大丈夫かなってドキドキしてたら、あまりにもできるんで、もう度肝抜かれて。」
    佐久間P「そうそうそう、ビックリしちゃった。だって、芸人チームは1回別日でやってるんですよ。後日立ち稽古を初めてやってみるときに早見さんが合流して、軽く本読みやったら「あれ」って。立ち稽古もやり始めたら、呼吸とか間がすごくいいので、バカリズムが「あれ」って顔になったから、「これはイケるな」って思いました。
    川島(劇団ひとり)「16才とは思えない堂々たる立ち振る舞いだよね。あと数年後には共演できないようなレベルに達する人なんだろうなぁと思ってしまうくらい、存在感がすごいですから。」
    升野(バカリズム)「ほんとに勘のいいというか、すごい子だなと思うんですよ。僕、結構細かいことを仕込んだりするんですけど、全然恥ずかしがらずにやってくれて、度胸もあるなと。ただすごく感じるのが、この番組のスタッフ全員が早見あかりのファンすぎるんじゃないかと。」
    飯塚(東京03)「俺ツッコミ役だけど、いやもう天才だと思いますよ。練習量だって、僕らは朝からやってて、彼女は後から来てるのに遅れもとってないし。16才で40才くらいのおじさんの間に入ってできるってこと自体がすごい。」
    角田(東京03)「ビンタとかするときって躊躇しちゃうじゃないですか。一切ないんですよ。髪の毛掴むシーンも、引っこ抜かれる勢いでしたから、あー思い切りのいい子だなと。その辺のプロ意識がすごい。」

    ビンタ

    早見「ドラマじゃないし、芸人さんたちの空気の中に入っていくのは最初大変だったんですけど、せっかく紅一点として選んでいただいたのに、ここで遠慮してたら意味ないよな、と思って、自分の中ではかなり振り切ってやってたんですよ。そうしたらスタッフさんも大丈夫だと判断して下さったのか、急に台詞の量が増えたんです(笑)。覚えることも増えて大変だったし、プレッシャーも感じましたけど、オチの部分を任せてもらえるようになったのはうれしかったですね。」
    佐久間P「UFI(ももクロ)とあかりちゃんの組み合わせは最初から狙っていたかといえば、違うんですよ。脚本を煮詰める内に顔を出さないUFIと事務所の連中を繋げる誰かが必要じゃねーかとなり、あかりがミスXとしてUFIに加入するくだりが生まれました。だからあかりちゃんがUFI(ももクロ)を思うシーンは、思わずジーンとしちゃうんです。一人の視聴者の気持ちで」

     「ウレロ☆未確認少女」はシーズン1で終わらなかった。面白いと評判を呼びDVDの売行きの良く翌年へと企画がつながった。
     ももクロは信じられない速度でライブでの動員力を増大していった。日本青年館(1300)、中野サンプラザ(4000)、極楽門(6000)、スーパーアリーナ(1万)、たった1年で10倍近く動員力を伸ばした。2011年末の「NHK紅白歌合戦」出場を目指すももクロが、会場に集まった“選ばれしモノノフ”たちとともに、誓いの“血判状”を作るボイン会というイベントを行った。5人はそれぞれの直筆署名が入った色紙に、その場で朱肉を使って“拇印”を押し、ファンに手渡した。「ももクロZ@横浜BLITZ ~選ばれしモノノフの集い」のイベントからももクロのファンはモノノフと呼ばれるようになった。モノノフになる条件はただ一つ、ももいろクローバーの幸福と成功を心から願う人だ。
     しかし、紅白歌合戦の候補に上がったがこの年も出場を果たせなかった。デビューしてから大晦日のスケジュールは毎年あけてるんだぞと言っていたメンバーも、今回は手応えがあっただけに悔しかった。

    百田「頑張れば必ず夢は叶うって言葉。
     本当なのか嘘なのか分からないけど
     その答えは頑張ってみないと分からないし、
     努力しないで夢を叶えた人はいないと思うから!
     みなさんにももクロを応援してて良かったって思ってもらえるように!
     もっとたくさんの方に幸せが届けられるように!
     …これからも全力疾走したいと思います
     絶対諦めないweare!ももいろクローバー♪」

     年が明けて、ももクロは2度目の七番勝負に挑んだ。

    玉井「ロックも演歌もパンクもメタルも混じったのがアイドルだし、その全てを超えたものがももクロだと思うので」

     全てを超えたものがももクロだと玉井は言う。ももクロが目指すものとはなんなのか。

    川上「七番勝負の元ネタは、やはり僕が好きなプロレスです。ジャンボ鶴田の『試練の十番勝負』や田上明の『炎の七番勝負』、小橋健太の『試練の七番勝負』など、期待されている若手レスラーがタイプの違う先輩レスラーに挑んでいく。反則ばかりする悪役レスラーと戦ったかと思うと、職人技がすごいテクニシャンと戦ったりするのです。そこには『見世物』としての目線と『教育』、『育成』の目線、両方があります。これはももクロの七番勝負も同じです。エンタティメントの面白さと同時に、それぞれのエキスパートたちが語る彼女達の知らない世界が、ももクロの今後の活動に役に立つに違いない。今の時代にかけていると思われるテーマを出して、本人たちがどれだけ真剣に考えられるのか。『言われることをやるアイドル』ではなく『自分で考えるアイドル』、それが僕が考える芸能人像でもあるんです」

     七番勝負の中で川上が特に印象に残っていると言った戦場カメラマンの渡辺陽一の回は、私もビデオで見て感動した。最初は渡辺の独特のゆったりした口調でのどかにトークが進んでいたが、一枚の戦場のアイドルの写真を見せ渡部陽一が語り出した時、空気が一変した。

    渡部陽一「戦場のアイドルの人達です。世界中の戦場や不安定な国の何かには必ずアイドルの方、シンガーの方、ダンサーの方々がたくさんいるんです。厳しい生活の中で歌い踊ることで苦しんでいる人達の力が湧いてくる。笑顔が戻ってくる。そんな希望を戦場でくれる人達が戦場のアイドルなんです。アフガニスタンで出会った一人の女性シンガー、絶大的な人気を誇り、まさにアイドルとしてたくさんの子供達から希望と笑顔を取り戻してくれていた、そんなライブコンサート会場です。このときには兵隊さんだけではなくて、戦場で家族をなくしてしまった人や家を失くした子供達がここに集まってアイドルの歌を聴いたんです。みんな立ち上がって手を叩いて歌い、泣いてる子供たちまでいたんです。生きる力が歌からみなぎってきたんですね。世界中にアイドルがいます。そして世界の人達がアイドルを必要としています。だから、国境を越えてももクロの皆さんも世界中のたくさんの子供達に力を届けて上げたいと思っています。」

    戦場のアイドル

    玉井「私たちにも世界の皆さんに元気を届ける事ができると思いますか?」
    渡部陽一「思います!言葉は関係ないです!歌、踊り、笑顔、スピード、それを見ていれば、どの国の人もももクロを感じてくれます!」
    有安「普段、私達が普通に暮らしてたら、なんだろうな、いまこうやって、みんなの前で話してることも全然当たり前じゃないし、なかなか当たり前の幸せに気付けないと思うんですよ。それは昨年本当にあった。ちょうどもうすぐ1年になる震災の時にすごく感じたことなんですけど、震災があった東北に行かせてもらって、その時に涙を流して喜んでくださるファンの方々もいて、私達を必要としてくれている人もいるんだってすごく思えて、いまもこうやって拍手もしてくれて、ずっと立って聞いてくれている人もいるし、だから、うまくしゃべれないだけど、日本だけじゃなくて、世界のいろんな国にいって、もちろん私達を知らない人がほとんどだと思うんですけど、言葉は通じなくても、笑顔は共通語だと思うので、これから、もっともっと成長して、いろんな国に行って笑顔とかを届けて、一人でもいいんで、いろんな子供達やみんなに笑顔を伝えて… 笑顔って、誰かが笑ったら連鎖していくと思うんです。だから私は笑顔の連鎖をどんどん日本からいろんな国に広げていけたらなって思います。」

    7番勝負

     百田は何か伝えたいのに言葉が出なかった。身もだえしながら言葉を絞り出そうとしても涙しかでなかった。

    高城「世界中のみんながアイドルだと思うんですよ。絶対どんな人でも勇気を与えられたり、笑顔をあげられたり支え合いの地球だと思うんですよ。だから日々のことも全力で頑張って、ちょっと大袈裟かもしれないけど、何をするにも命がけでやりたいと思いました」

     この七番勝負のビデオを見た時、高城が何を言っているのか私には最初理解できなかった。みんながアイドルってどういう意味だろう。こんなオッサンの自分がアイドルだというのだろうか。よくよく彼女の発言を聞いてみると、まるでアイドルという言葉が仏性であるかのようにアイドルという言葉を使っている。仏性とは大乗仏教の中核思想だ。釈迦だけが仏になれる特殊な能力を持っているのではない。誰もが釈迦のように仏になる能力を持って生れてくるのだと教える。高城もまた人を笑顔にするのがアイドルの特性だとすれば、それはどんな人でも潜在的にもっている。赤ん坊の笑顔が赤ん坊を抱く者を笑顔にするように誰もが人を笑顔にする力がある。人は誰もが人を幸せにする力を持って生れてきたのだ。自分達のようなポンコツでもファンの笑顔に助けられ笑顔になれるように、もしその力を忘れているなら自分達のライブを見て思い出してほしい。人は誰もが人を笑顔にする力があることを、人を幸せにする力があることを思い出してほしい。なんのために歌うのか、なんのために踊るのか、なんのために生きているのかという根源的な問いに身体をはって彼女達は考え続けていている。ももいろクローバーという「幸せを運ぶ」というグループ名の意味を何度も考え続け、そこに向かって努力しようとする。

    高城「奇跡なんてないんです。頑張ったり、続けることで手に入れるものだから。そしてそれは、自分が気づかないうちに積み上げたもんじゃないかなって思います。そして結局は原点に帰るんだなっーて。一周廻って、いろんなもの積み上げて、経験もいっぱいするけど、でもまた原点に戻る。でもよく見たら、前より少しだけ成長してる。それが私たちなんだなっーて」

    高城はリーダーを降ろされ、時に意に添わない扮装や役目をさせられて傷つき悩んだ。舞台前には緊張ですぐに泣きだしてしまうチキンな高城はファンの声援を支えにここまで強く成長した。早見の脱退による危機に、皆がそれぞれ変わらねばと思ったとき、百田は「人前でもう泣かない、弱い自分を見せない」と誓ったのに対し、高城はその真逆の道を選んだ。もう傷付くことを恐れない、むしろ進んで傷付こうとするかのように心を開き周りの人に対した。垣根を設けず知らない人でも名前を覚えて相手の懐に飛び込んでいく。そのかわり強がらない。自分の弱さすらもさらけ出すし、時には赤ん坊のようにぐずったりもする。

    高城

    高城「ライブ中はとにかく自分が楽しむこと、自分が好きになること。“自分を好きになる”のはいつも心掛けていることです。そうするとちょっとは心に余裕を持つことができる。ふだんの生活から意識していると、いざというとき…ライブとかね、そういう時に素直に自然に、自分から湧き出る何かがあると思うんです。だから表現というのは、ライブの数時間だけとかその場だけのものじゃない。私生活でも常に自分に対する意識をしっかり持つこと、それが一番大事だなって思っています。全てを受け入れる。悪い処を含めて、自分をちゃんと見る。人間だから、『ああほんとに自分は性格悪い!』とか思うときがあるけど、そういう部分を含めて、全部受け入れる。で、悪いと思ったところはちょっとずつでも改善できるように、まずは気づけることが大事なのかなと思う」

     夢は自分やグループの願望でしかない。達成してしまえば終わってしまう。それに対して志は、こうあらんとする覚悟であり意志だ。志に終わりはない。ももクロの夢は自分達の願望から他者と共有する志へと深化していた。

    高城「自分が幸せじゃないと人も幸せにできない。幸せって絶対に連鎖するから。」

     『装苑』主催のトークイベント(2012-02-11)に早見あかりと川上アキラが出席した。
     早見は肩に髪がかかるくらいの長さで、ちょっと緊張していたのか、表情は少し固かった。川上が時折挟む自虐ネタなどもあり、次第に和やかな雰囲気でトークイベントは進んだ。早見の声は力強く、低く芯のある声が耳にまっすぐ届いてくる。落ち着いた声から充実した日々を送っているのがよくわかる。
     早見は自身の理想像として、柴咲コウのような歌も女優もなんでもこなせる人物になりたいと語る。結婚しても働きたい、自立した女性を目指したい、もちろん男性には好かれたいが、女性からの支持を得たいと熱く語り、その観点から仕事ができるオーラを身体中から発している装苑編集長に憧れているという。
     早見の言葉の力強さ、編集長も言うように瞳の強さも印象的で、他人にしがみつかない前向きな姿勢が観客の共感を呼んだ。
     早見はテニスプレイヤー錦織圭の言葉を引き合いに出して、将来について今はまだまだ理想に近付けていない、夢を目標にできるようにひとつひとつがんばっていきたいと述べ16歳に見えない落ち着いた語り口だった。
    進路について聞かれ、「大学進学を目指し、特に保育系の大学に進学したい」と早見は述べた。「将来について川上さんに相談することもあるけど、何を言われても結局決めるのは自分」と言い切る。川上が頑固なんですよとフォローし、早見と初めて会ったとき、将来のビジョンについて話し合った。早見のビジョンは明確なのだが、具体的な内容については川上ですらちょっと恥ずかしくて言えないという。
     早見は今、学校が楽しく、毎日友達とくだらない時間を過ごすのが好きと屈託なく語り、その話し方は本当に幸せそうだ。
     早見の発する『友達』という言葉や音が綺麗にホールに響いた。

    早見「私はももクロの気持ちがいちばんわかるファンですから。昨年は横浜アリーナと西武ドーム。あとは『女まつり』もいきました。普通に感動しますよね。だって、どんどん(客席から見える)ももクロが小さくなっていくんですもん。西武ドームの客席で私が『あの空にむかって』を踊っているのを見て、川上さんがウルッてきたとききましたけど、私が踊れない曲も増えてきた。」

     ももいろクローバーの初期の曲に「オレンジノート」という歌がある。歌い出しでメンバーが2人一組でマイクを相手の口元にあてて歌う。早見あかりとペアだった高城れにが早見が抜けた後、センターに立ち、マイクを客席に差し向けるフォーメーションに変更した。ももクロと一緒に走り続けるファンと歌い出すために、無数の早見あかりに向けて。

    オレンジノート


     自分は笑顔でいるべきで、笑顔でいられないことが悔しいと百田はいう。
     高城は笑顔で感情を隠す百田をみて、もっと正直でいいのにと言う。

     2012年春、横浜アリーナ2Days360の円形ステージを制し、夏は西武ドーム3万7千人を動員した。爆発的なライブの動員とは別なベクトルでメンバーは成長していた。
     高城は横浜アリーナで川上から怒鳴りつけられた。会場の隅々まで神経が届いてないと客席の一番上まで連れていかれ自分の小ささ実感させられた。どうすれば全ての観客に満足してもらえるパフォーマンスができるか、どこに視線を送るべきか、俯瞰して自分を見ながらどう身体を動かすべきかを考えるようになった。ツアーの会場に真っ先に入って、会場と仲良くなりたいといってあちこちを見て回り大道具の人達と仲良くなるのが定番となった。
     有安は全国ツアーの折り返し地点の米子でどうしてもメンバーに入っていけない部分を指摘され、5人でホテルの一室で語り合った。ももクロの加入が一番遅かった有安はどこか一歩引いて楽屋でメンバーのことを見ていた自分に対するメンバーの気持ちをお互い感情をぶつけあい涙を流しながら話した。メンバーの思いを打たれ、有安が自分で閉ざしていた皮膚が一枚一枚剥がれるようにメンバーに溶け込めるようになった。
     西武ドームの後のフォーク村で佐々木は「秋桜」を歌い失敗する。ファンの歓声もペンライトも禁止されダンスを封印しての独唱に挑んだ。自分達の実力のなさを思い知った。その3か月後に1000人ほどの会場で同じようにダンスを封印した単独ライブをやりフォーク村でのリベンジを行った。佐々木は更にさだまさしのソロコンサートに出演して「秋桜」を歌うまでになった。
     川上は勢いだけできたももクロに本当の実力をつけさせるために次々とメンバーが超えるべき壁を作って更なる成長を促した。初期の頃からいる女性マネージャーの古屋がメンバーの成長の速度についていけず西武ドームで涙するほど彼女達の成長はすさまじかった。
     ももクロの認知度は急激に高まり紅白間違いないという下馬評にファンもメンバーも期待した。期待に応えたいという気持ちでメンバーは紅白の発表を待った。今年も駄目だったと川上に告げられた。言葉を失くし期待してくれてるファンにどう報告しようもなく落ち込んだ。NHKホールの控室にNHKのプロデューサーが来て紅白の出場が知らされる。サプライズを仕掛けた川上にメンバーは本気で怒り詰め寄るが仕掛けた筈の川上も泣いていた。
    ももクロの紅白出場が決まった夜、ラジオでファンに向けて紅白出場の報告を行った。

    百田「結成…したとき…から、今まで…紅白っていう、目標を、ずっと大きな夢として見てきて、で、紅白までの道のりで、いろんな目標…っていうのがもちろん…あって、それを、少しずつ少しずつ、みんなで…叶えていけてて、去年は、紅白……の出場が、叶わな…くって、やっぱり……そんなに…簡単に…夢って叶うものじゃないなっていうのが、実感したし、…去年の、紅白に出れないってわかったときの…ブログかなんかで、わたしは、がんばれば夢は…叶うって…いう言葉が、本当かどうかわからない……でも、それは、…がんばってみないとわからないよねみたいな…ことを…書いて、……やっぱ、…今年1年は、がんばってみないとほんとにわからないので、すごい…なんだろう、バカ正直に…メンバーとみんなで…がんばってきました。
     ももクロってけっこう、なんか、普通じゃない…し、新しいジャンル作りたいっていつも言ってるけど、それってすごい難しいことだと思うし、わたしたちは自分たちで、ももクロが常に最先端だっていうのを、それを信じて、自分たちが思ってることだけを…やって、がんばってきて、それが、そのときは、なんだろうなぁ、やっぱ、おかしなこととかも、やっぱ疑問に思うこととか、これって…なんのためにやってるんだろうとか、ていうのが…いっぱい…あったんだけど、それでも、やっぱももクロっていう新しいジャンルを作るために、自分たちが思ってる道だけを…信じて…歩いて…きました。そしたら、こうやって、ずっと夢見ていた紅白っていうところに、たどり着くことができて、そうだなー、本当に…びっくりしてるし、バカ正直に、一本道だけ見て…歩いてきて良かったなって、今は、すごく思ってます。
    うん、やっぱり、メンバーチェンジとか、たくさん、したけど、メンバーが替わる前から1つの夢が、ずっと今も変わってないのはほんとにももクロ、すごいなって思うし、こうやって紅白に出れるっていうのを…聞いて、なんだろう、もちろん、昔一緒にがんばってきた子とかも、ほんとに、喜んでくれてるんじゃないかなって、思います。
     紅白っていう、みんなの…夢だった…ステージに、堂々と、立てたら、いいなって、思います。あの………(涙が出て言葉にならない)そうですね、あのー、ほんとに、……ん~、こういう…話は得意じゃないし、普段、思ってても、みんなにちゃんと、ありがとうっていう、言える機会が、あんまりなかったり、するんですけど、ほんとにいつも心から感謝してます。あの、わけのわからないわたしたちに、いつも、ついてきてくれて、応援してくれて、ほんとに、ありがとうございます。
     みんなの…顔…今見たら多分、ほんとに、前が見えなくなるくらい…のものが溢れてくると思うんですけど、やっぱ、ちゃんと、また次は、どこかで会えるときに、しっかり、目の前で、報告できたら、いいなと、思います。」(2011-11-26)

    『束縛があるからこそ、私は飛べるのだ。
     悲しみがあるからこそ、私は高く舞い上がれるのだ。
     逆境があるからこそ、私は走れるのだ。
     涙があるからこそ、私は前に進めるのだ。』 (マハトマ・ガンジー)

     紅白出場の報告の翌々日に百田は早見向けにブログをアップする。

    早見百田

    百田「ねぇ、あかりん?
     私ね、強くなったよ!少しだけ‥
     まだまだだけど、背中押してもらわなくてもしっかり立ててるよ!
     たぶんね、今の私見たらびっくりするよ!しっかりしすぎて!笑
     ごめん調子のった‥笑
     それでも私の様子マネージャーさんから聞いたりとかした時
     たまに気にかけたメールくれるよね!
     それにはやっぱり助けられてます。ありがとう!!!
     次はあかりんの番!
     いつか絶対あの日の約束みんなで果たすんだぞーーーー!!!
     私達もそれまでもっともっと頑張るからさー!!!

     なーんて‥このブログ見てるのかなあの子‥笑」(2011-11-28)

     紅白出場へのリハーサルルームも借り準備は着々と進んだ。紅白の出場の当日早見がメンバーにプレッシャーをかけていた。

    早見「実は大晦日の朝、LINEでみんなにプレッシャーをかけたんですよ、『私が言わなくてもいいぐらいがんばってきたと思うけど、あえて言わせて、2012年、最後の締めくくりとして死ぬ気でがんばってこい!』って。
     そうしたら、『本当に不安もあるけど、楽しんでくるね』という人もいれば、あーりんは律儀に『良いお年を』って(笑)。でも一番衝撃的だったのは数えきれないほど
    『あかりん、あかりん、あかりん、…』って書いたあとに『行ってくるぜっ!』って。
    まあ、百田さんなんですけど(笑)。あんなに成長してるのに、本当に根の部分は変わっていないんですよ、みんな。」

     ももクロのメンバーは早見の名前が呼ばれる6人バージョンの怪盗少女を紅白で歌った。早見は紅白にももクロが出てきた瞬間に号泣して自分の名前が歌われるサプライズに気付かなかった。




    早見「まあ、びっくりするぐらい早い段階で5人が夢をかなえちゃったんですけど、私メンバーに言ったんですよ。『いつになるかわからないけど、追いかけるから、来年も再来年も頑張ってください』って伝えたら詩織が『ももクロはこれで終わりだと言わせないから!あかりんがくるまでいつまでも待ってるよ』って。負けていられないですよね。5人にできて、私にできないわけがないって思いたいし。
     私がいたころは、今よりずっと泥まみれになっていたんですけどね、ももクロって。ワゴン車に乗って、全国を回ったり。でもあの経験があったからこそ、今の私がいるんじゃなって思ってるし、うん、負けてられないな、5人に」

     ウレロシリーズはファンの支持もありシーズン1、シーズン2と回を重ねオンエアされ、舞台化もされたが本格的な女優としての仕事にはなかなか結びつかなかった。

    早見「中途半端な気持ちで大学に行っていいのかな、と思って。結局、自分に保険をかけているだけじゃないかって」

     早見は小さい頃からキャンパスライフに憧れ、大学に行くのが自分の当然の進路だと思っていたし、周りも思っていた。ももクロの活動で学校の成績は下がったが都立の普通高校に進学した。2013年の夏、休みが明けると大学進学を辞めると突然言い出した。家族、学校の先生、事務所のマネージャーも皆一様に驚いた。

    早見「私思ったんです。この仕事がなくなったとき、自分に何が残るんだろう、と。何も残らないんですよ。実際、芸能界でがんばってきた、という事実は残るけど、学歴もないし、同じ歳の友達が普通に歩んできているような経験もしてないし、ホント、なんにも残らない。だったら、この世界でがんばっていかなくちゃいけないじゃないですか、高校さえちゃんと卒業しておけば、大人になってからでも大学って行けるじゃないですか、あとで本当にこれを勉強したいんだ、というものが出てきたときに、改めて大学に行くことを考えればいいだけで、今は18歳を迎える今年は、とにかく仕事で勝負したいって思ったから、進学するのをやめたんです!」
    早見「ここまで自分を追いつめたこと、いままでの人生の中で初めてかもしれない。学校という縛りがなくなったのも初めてのことで、それって本当に未知の領域なんですよね。だから、どこまでできるのか、やっぱり無理なのかも、やってみないとわかんないし、その中で死ぬ気になったら、どこまで自分ができるかを知りたいし、そのためには、そこまで追い詰めなくちゃいけないですよね」

     早見は学校を卒業してすぐに初の主演映画「百瀬、こっちを向いて」のクランクインを迎えた。ウレロのあかり役を見た耶雲哉治監督に認められ「百瀬、こっちを向いて」という映画の主演に抜擢された。

    百瀬


    早見「期待よりも不安の方が大きいですよ。どうなるんだろう、というワクワク感もあるけど、それよりも不安の方が圧倒的に大きいです。これだけの覚悟を決めて、今年、コケちゃったら、この先やっていけなくなる気もするし…ただ、ももクロの時も「こんなの絶対できない」と思った状況で、いろんなことをやらされてきて、その結果、成長してきているので、その部分に関しては大きな自信になっています。」

     毎年のようにオーディションに応募して「あまちゃん」の最終選考に残っても採用に至らなかった早見がNHKの朝ドラ「マッサン」の出演が決まった。今回はNHKからのオファーだった。早見の反抗期は長く、いつも反抗的な言葉ばかり母親にかけてきた。早見が朝ドラ出演を母親に告げると買物籠を下げたまま母の眼から涙があふれ止まらなかった。

    「夢」は目標であり通過点、「志」は自分を越えて永遠に引き継がれるもの。

    早見「志もなくダラダラ生きている人が私苦手なんですけど、志のあるバカは好きなんです。
     夏菜子みたいな、子供っぽいしバカだけど、志はめちゃめちゃ高くて、あり得ないほど前向き。
     でもちょっと抜けてる。
     そのバランスが”らしく”ってすごく好きです」

     春3月、東京が夕景につつまれる頃、点灯を始めた街灯より早く国立競技場に五色の光点が息づき始めた。色が変わるペンライト(ペンラ)を掲げモノノフ(ファン)は好きなメンバーの色を点灯して応援する。ツアーやライブで発表した楽曲に新しいモノノフのコールが入り、ペンラがふられ楽曲が成長していく。有安の誕生日には緑のペンラの海にハッピーバースデーの歌声が流れる。玉井が勝負だと挑発すると黄色のペンラが武者震いし、高城が笑うと紫のペンラも笑う、佐々木が煽るとピンクのペンラが天に突き上げられる。百田が花道を走り抜けると沿道のペンラが次々と赤に染まる。スタンドの上から見ていると国立競技場のあちこちに散らばったメンバーがどこにいるかペンラの色でわかる。誰が統率しているわけでもない。5万のモノノフの感情のうねりがペンラの色と歓声によって国立を染めた。
     メンバー最後の挨拶で赤く染まった国立競技場、5万人のモノノフに向けて百田夏菜子は語りかけた。

    国立聖火台

    「私たちは天下をとりにきました。
     でも、それはアイドル界の天下でもなく
     芸能界の天下でもありません。
     『みんなに笑顔を届ける』という部分で天下を取りたい。
     そう、思います。
     これからもずっとずっと、みんなに嫌なことがあっても、
     私たちを観て、ずっと笑っててほしいです。」

     人は人を笑顔にする力をみんな持っているのだと高城は言う。
     怒鳴りつけた自分の声に反射する表情に動揺する人にも
     暴力的にすれ違う新幹線の圧に叩かれ自分が泣いていたことに気づいた人にも
     最近になって、やっとお母さんに「ありがとう」と素直に言えるようになった人にも
     人を幸せにすることができるのだ。

     人は皆人を幸せにする力を持って生れてくるものだから。

    2015.03.26 | コメント(0) | トラックバック(0) | ももクロ

    早見あかりとももいろクローバー(4)

    <題4章 笑顔が世界を変える、あなたが未来を決める、もう止まらない!>

     2010年の夏は早見にとって映画の夏だった。7月末に7月初旬に撮影した短編映画「飛べ!コバト」の上映があり、8月は6月に撮影した「シロメ全国行脚」の舞台挨拶、8月末に「市民ポリス」の撮影があった。
     短編映画「飛べ!コバト」はSKIPシティで開催される国際映画祭で、埼玉県の “彩の国 地域発信映画プロジェクト”の一部として上映された。埼玉は内陸にあって海のない県だ。夏は川で子供達が遊ぶ美しい長瀞渓谷の川沿いの町が舞台だ。学校の仲間が川岸の5mはある岩から平気で水面に飛びこんでいく。いくら仲間から煽られても飛び込めないコバトという少年がいた。中学生になった幼なじみの翠(みどり:早見)はそんなコバトを励ますが、みどりもまた中学受験に失敗したことを乗り越えようとしていた。どうしても岩から飛び込めないコバトにみどりは自分の過去を振り切るように制服のまま岩から飛び込んでみせる。直立姿勢の早見が深い緑の水面に突き刺さる。早見はその時の撮影で「もう、死ぬかと思った」と言っていた。短編ではあるがこの映画で初めて早見は主演女優として映画という舞台に立った。

    長瀞1

     「飛べ!コバト」公開前の週にSKIPシティでライブをやった時に、早見が不意にある思いを言葉にした。トークテーマは夏バテ対策だった。MCの早見がメンバーに振ると、「ハイ!ハイ!ハイ!」とリーダーの百田が真っ先に手を上げて「アイス食べる!」と発言。「夏菜子は一年中だろ!」とメンバーからも会場からも総ツッコミされる。
    早見「この間、16歳だから大人っぽくって言ってたのにー、アイス~?」
    百田「え~ぇ、だってアイスだよ!お風呂の中でアイスとか、溶けてドロドロになるんだよー」
    佐々木「缶詰のミカンを並べて凍らせる!シロップも一緒に入れて凍らせると、とーっても美味しいのでみんなも試してみてください♪」
    早見「あーりんは何やっても可愛いよねえ、ももクロがこうやって並ぶと、他の5人はすごい可愛いのに、なんで自分がここにいるんだろう、私ここにいていいのかなって思っちゃう」

     早見の発言で場の雰囲気が変わる。観客がそんなことはないとフォローに回る展開となる。人はどんなに努力しても越えられない壁、自分の才能の無さに絶望を感じてしまう時がある。早見の場合、百田夏菜子という感情表出の天才が身近にいるだけに自分の不甲斐なさを感じたのだろう。
    「ワーみたいな、嬉しい!みたいな、この花キレイ!みたいな、そういうテンションの演技がすごい苦手で、多分、早見あかりとして生きてて、そんなに”ワー”みたいな感じの感情が、そこまで、多分ないんじゃないかな」(早見)
     ももクロのメンバーと遊んでいる時に見せる早見の笑顔は本当に楽しそうだ。ただ、その笑顔は百田のように誰にでも向けられるのではなかった。
    「相手がこっちを探り探りきてるなって思うと私も探り探り、いっちゃう」(早見)
     百田は物事を頭で理解せずに身体全体で受け止め、考え、今、自分の素直な感情ををすくいだし笑顔で表現する。百田に歌唱力があるわけではない、クセの強い歌い方は人によっては耳障りだろう、卓越したダンスセンスがあるわけでもない。ちょっとおバカで、不器用で役柄に応じて上手く演じ分けることもできない、それでも彼女が表現する感情はストレートに観客の心に届いてしまう。そうした力は個性が違うだけで高城や他のメンバーにも多かれ少なかれあった。

    早見「私、すごく反抗期が長かったんです。アイドルには歌や踊りのセンス以上に、人をキュンとさせる力というか、愛嬌が必要だと思うんですけど、私にその愛嬌がまったくなくて、それがももクロをやめた一因でもありました。当時はそんな自分への違和感を、外ズラがいいぶん家に帰ってからぶつけてしまってたんです。お母さんを傷つけるような言葉を吐いて、迷惑をかけたと思います。」

    ももクロの5月の名古屋遠征で「お母さんとケンカして『あんたなんかシャチホコになって、帰って来なくて良い』って言われた」と早見がライブの自嘲気味に近況を報告した。自分の中にくすぶり続けるアイドルである自分への違和感は家族という肉親への苛立ちに向けられ衝突した。衝突は解決を生む筈もなくアイドルであることに耐えられない感情が蓄積されていった。私はアイドルに向いていないという考えは早見にとって自明のことのように思えていた。彼女には自分の外面に対する評価と自分の内面との間に大きなギャップを感じていた。

    早見「『走るの速そう』とか。高校の初めての体育の授業で体力測定があって、新しく友だちになった子に『あかりと一緒に走りたくないよー』といわれて。でも、実際に走ったら同情の目を向けられました(笑)。中学の頃は、バレーボールで私のサーブが入るだけで、珍しいから味方も敵もみんな拍手して、ゲームが中断するという(笑)。」

     早見は素直で、無邪気で、明るいももクロのメンバーを見て愛おしさが募るほど、場違いな自分が嫌になった。
    スカパー!で8月中旬に「小中高一貫 ももえび学園」が放映された。富士の樹海をももクロメンバー5人に早見が遠隔で指令を出す予定だった。ところが収録当日、樹海は携帯の受信エリア外で連絡がとれないことがわかる。早見は東京のスタジオで携帯を眺めながら、自分は何をしにきたのだろうと反問する。一方、ももクロの5人は「まあ、いいか」と勝手に冒険を初めてしまう。5人は嬉々として遊び楽しむ。そんな風景を改めてテレビで見た時、早見はどう思っただろうか。本当に自分はももクロに必要なのかと思ったのではないか。
     早見のブログの更新頻度は6月、7月は毎日2、3回、月あたり80回を超えるペースで安定して更新していた。そのリズムが崩れるのは8月18日に「汐留博覧会2010 汐留夏の陣・夏」の収録で早見は腰を痛めた時からだ。この日から更新数が減る。急激に更新回数が増える日と更新しない日がはっきりわかれてくる。月あたりの更新回数も9月以降は半分に減り脱退の発表まで続いた。

    ブログ推移

     腰を痛めた翌日のライブで「ちゃんと踊れなかった。コルセットだと、やっぱ踊りにくいね…」と珍しく弱音を吐いている。次の日の上映の後、舞台挨拶でいつもの制服衣装で登場して自己紹介したが、早見は腰痛ということで玉井にすがりついて移動し、お辞儀も出来ない状態だった。結局、握手会の途中で気分が悪くなり退出する。この後、早見はももクロを脱退するまで腰痛から完璧に解放されることはなかった。収録ではアドレナリンがパァーと出て痛みを感じなくなるんだけど、終わるとイタタとなっちゃうと「ももえび学園」のCM動画でコメントしている。

    早見「あたし首の骨が逆に曲がってるんですよ。ストレートネックって知ってます。首の骨って普通湾曲してなきゃいけないんですけど、その首の骨がまっすぐになっていることがストレートネックっていうんですけど。それ以上に逆に湾曲してたらしくて首、肩、腰がやられちゃうんで、首が曲がっているから肩の筋肉も常に張っててー、そこから首、肩、腰ってドーンってなってて、最近は踊ることがなくなったのであれなんですけど、前は小さい頃から踊ってたんで、歩くのもきつくなったりとか、若いのになってましたね。小学4年生頃から肩こりで」

     早見は中2の秋代々木路上ライブの頃、腰をやられて整形外科に通った。ストレートネックの腰痛予防としては首周りの筋肉の強化があるがどうしても首周りが太くなってしまう。ももクロのダンスが激しくなり、一回の公演の曲数が増え、連続して踊る曲が増え続ければ、自分がももクロのスピードに追い付けない日がくることがわかりすぎる程わかっていた。歌唱力のなさをラップでカバーしようと努力した。歌のパートが削られるなかラップでやっと自分の声が出せる場ができた。だが、早見はのどが弱く1日20曲以上やると声が枯れて出なくなった。握手会で「声がでません」という札を立ててじっとしているしかなかった。
     キングレコードの移籍発表前夜と当日に早見はブログを22回更新している。キングレコード移籍・ニューシングル発表記者会見は目白セント・カタリナ教会でウェディングドレス姿で行われた。ももクロのメンバーは初めて着るウエディングドレスに高揚していた。早見はフォーマルな服装が似合う自信があったが、実際に着てみるとyはり早見だけが他の5人と違って見えた。

    ウェディング1

    早見「あれ?私15じゃなかった?笑
    まだ結婚できない歳だよね?笑
    うーん気分は25」

    ウエディング2

    早見「あかりが結婚について思ってることを書くね!
     正直、結婚願望ないわw
     いやー中3までは24に結婚したいって思ってたんだけどー
     高校生になってから変わったのよね
     なんか~子供は好きだから、ほしいんだけどー…
     結婚ってなるとね
     あかり素直じゃないからさ、よく誤解されたりー
     毎日そんなことがあると思ったら むりむり!笑
     まだ子供だから自由がいーよ自由
     ふりーだむ!!!
     大人になったらまた変わんのかね?
     気になるな、あっ、てか記者会見まだー?」(2010/8/23)

     「ももクロをやってきて思ったのは、大人は信じられないということです」と早見がよく口にした。ももクロの初期の頃のメンバーも同じ不満を持っていた。有安が加入してメンバーが固定するまで、ももクロはメンバーチャンジを頻繁に行った。百田は何度涙を流したかわからないという。メンバーの脱退発表はライブ中に曲が中断してスターウォーズの帝国の逆襲のテーマが流れされたため、この曲が流れると何が起こるのかと身構えてしまうようになった。メンバーの脱退は本人の都合もあったろうが、事務所という大人の都合が殆どだった。その決定もその場で知らされるだけだ。玉井も別のグループ(えび中)に入る予定を川上が阻止したのはよく知られている。玉井は事務所の決定に従うしかないと観念していたが、川上が一計を案じて離脱を止めた。未成年のアイドル達には選択の自由がない。特に川上が事前に知らせずに発表を知った時の生の表情を客に見せたいという志向を持っていたためメンバーの不満は大きかった。
     「シロメ」という映画はテレビ番組の収録という名目でももクロのメンバーにどっきりをしかける内容だ。早見はどっきりを仕掛ける側に回ったが、早見に知らされる内容も実際とは違っていた。母親から塩と水晶をもらって撮影に行ってきなさいと言われて現場に臨むが自分の親もドッキリのグルだった。「あー大人はこういう生き物なんだ。信じちゃいけないんだなって思いました」と早見は言う。メフィストファレスに魂を売ったファウストのように、その願いに疑問を持った者は呪われる「シロメ」という都市伝説。紅白に出たいという願いを叶えるためにリーダーの百田は「シロメ」の呪いを受けてもいいと決断する。怖さを紛らわすために歌を歌いながら「シロメ」のいる部屋に入って紅白出場を祈願して歌い踊った。本気で騙されているのでシロメの前で踊る彼女達の必死さが伝わってくる。百田の紅白に出たいという思いはももクロのメンバー共通の夢の筈だった。最後に全てがドッキリだったと告げられ安堵するメンバーに2重のドッキリがしかけられる。映画のラストでシロメの呪いを受けたかのように早見が発狂する。

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    早見「最初から決まってたね、最初から、おっきなところが決まってて、それに向かってひとつづつのね」
    百田「それが紅白なんだよね。ももクロchanのよさをいろんな人に伝えていきたいね。
    一年の〆が紅白なんて、幸せすぎるよ。狙って行こうよ、ね、」
    早見「幸せすぎてバチがあたるかもしれないけど。まあ、大丈夫でしょう。
    神様はやさしいよ、きっと」
    百田「神様はね、越えられない壁は作らないんだよ。ねー!」
    早見「越えられる子にしか壁は与えないんだよね。だから行けます!」(2009/12/21)

     早見と百田の高校進学に対するスタンスの違いがあった。百田があくまでも浜松の実家から通うことにこだわりながらももクロの活動の自由がきく東京の私立を選んだ。早見は生活が仕事だけに染まるのが嫌だったのだろう地元の都立高校を選んだ。キャンパスライフへの淡い憧れもあったのかもしれない。

    「川上さんにUDXのイベントでトイレを止められたことは一生根に持っています。」と早見はいう。UDXシアターというのは多目的イベントシアターで会社説明会等に使用されていた。このためトイレは出演者も観客も同じものを使っていた。日に6回公演で次のイベントとイベントの間隔が15分しかなく、その15分間は100人以上の観客が並んでいる横を通ってトイレにいくしかなかった。観客も殆どが男性で見知っているファンばかりの中を一人でトイレにいくというのはかなりの勇気がいる。だから、トイレに行く時、ももクロメンバーは全員そろってトイレに行っていた。表向き口にはださなかったが中学生の女の子達にとってはつらかったに違いない。そうした状況でトークショーから早見が帰ってきて「トイレに行きたいです」と言った時に川上が「なんで、今言うんだよ。」と言われて早見が「今帰ってきたばっかです」と答えると川上から「さっき言えよ、なんでトイレなんか行くんだよ!」と怒鳴られた。そこまで言われると早見もトイレに行く気もなくなりイベントが終了するまでトイレに行かなかった。今でも思い出すと怒りが湧いてくると早見は語る。

    佐々木「夏菜子ちゃんは、言うから!ちゃんと、ここはこういう思いでこうしたとか、ここは、わたしはこうだからこう思うとかって言うから、それはほんとにすごいなって思う(笑)だって川上さんだよ、どうせ言いくるめられるんだよ、川上さんの言ってることに(笑)
     どうせさ、なんかよくわからないことで、結局納得できずに『はい』って言わなきゃいけないのに」
    百田「それがイヤなんだもん。だって、その、なんかよくわかんないことなのに『はい』って言いたくないのよ。それで3回くらい川上さんがごめんなさいって言ったことあるからね(笑)」
    早見「川上さんとは常に反抗して、頑固だから絶対折れないの。で、あっちが、『もう、じゃ、いいよ』となって折れます。色んなとこで多々ありました。でも、今まで、私、色々決断してきて、損したことないなーって」

     川上マネージャーの前でももクロのメンバーははしゃぐように悪口を言う。それだけ川上とメンバーの間には深い信頼関係があった。

    早見「私は本当に頑固で、周りの人を困らせる人間なんで、大人たちから『こうしてくれ』って言われても、『じゃ私の人生に責任持てるんですか?』って思っちゃう。それで失敗したら、私はきっとその人を責めてしまうと思うんですよ。でも自分で決めたことなら、誰のせいにもできないし、たとえ後悔しても自分で納得できるんで」

     8月の最終週は「市民ポリス」の撮影のため早見は「シロメ」全国行脚の舞台挨拶を休んだ。
    早見「最初から台本をもらって、自分の台本じゃないですか。しかも自分がヒロインというので、ワクワクするし、周りの出演者の方、すごい良い方ばっかで、緊張したんですけど、やっていく内にすごい楽しんですよね、カットがかかって、その場面OKが出た時に、なんか、緊張してたんですけど、やり終わった後はすごい楽しいんですよ。」
    初めての本格的な映画出演で台本を暗記していたにも関わらず、お守りのように台本を抱いて現場に臨んだ。そこで女優で生きていく手ごたえのようなものを早見は感じた。アイドルではなく女優という、ももクロ以外にも自分のいる場所が見つかったような気がした。
     「市民ポリス」は興行的には恵まれない映画だった。東日本大震災の直後の3月19日に映画が公開されたため早見の舞台挨拶は全て中止となった。ただ、この映画が早見の脱退後に「ウレロ☆未確認少女」というTVの仕事につながるとは、この時思ってもいなかった。
     8月末の「アイドル ユニット サマーフェスティバル2010」で12月24日に青年館ホールで単独ホールコンサートを行うことが発表された。ももクロは他流試には滅法強かったが、SKE48、スマイレージと共演して知名度の差、ダンス、歌、MC全てにおいて力の差を早見は感じた。殆ど無料ライブしかやってきていないももクロがお金をとって青年館ホールを一杯にすることができるのだろうか。経験のない早見にも、これまでのライブの企画のような思いつきレベルではお客さんを楽しませることはできないのはわかっていた。

    早見「アイドルユニットサマーフェスティバル2010おわりましたー
     すんごく楽しかった!
     いっぱいの人の前で踊るのってなんかいつもと違う気分だったな2000人って
     いつもと桁が違うからね…
     普通にファンとしてもほかのアイドルさんを見させてもらったけど
     やっぱり勉強になった!
     パフォーマンスもそうだし、トークも学ぶところがいっぱいあったのですφ(.. )
     あかりたちも負けてらんないな…
     うん頑張ろ
     みんなは見てみてどうだったかなー?
     お世辞とかじゃなく本当の感想が聞きたいです
     2010年の夏休みみんなといっぱいライブをして、
     イベントをして最高の思い出ができたよ
     みんなありがとう!」(2010/9/1 19:29)

     早見は珍しく自分のブログで読者に対して意見を聞いている。早見は今回のフェスで、ももクロと同じ時期にメジャーデビューしたスマイレージのパフォーマンスに衝撃を受けていた。2000人以上の会場をホームのように使うスマイレージの歌唱力、ダンス、MCはももクロより上だったという声が多かった。

    アイドルフェス

    早見「コメントありがとう
     このぶろぐを見てくれてるひとはももくろのファンの人が多いと思うけど……
     良い所も悪い所も書いてくれて嬉しかった!
     やっぱお客さんが見てくれた感想って次につなげるために必要だし…(´・ω・`)
     気を使って良い所ばかり書くとかじゃなく本気で答えてくれたのが嬉しかったです
     コメントにもあったけど私達メンバーも感じていた他ユニットさんとの知名度の差…
     でもそれが今回はチャンスでもあったの!
     普段私達を知らない人に見てもらえる機会だったから
     だから全力で…
     いつも以上の力を出そうと6人で頑張った!
     ももくろファンの人も盛り上げようとしてくれてたよね
     ステージで踊ってるときは楽しくて楽しくて
     みんなにも伝わればいいなって思ってたんだよ
     多分ももくろ楽しいって思ってくれた人はいたと思う…
     だけど他ユニットさんがすごすぎたよ……
     なんか私達も見ていて楽しかったしすごいって思うところがいっぱいあって!
     やっぱりまだまだ、かなわないなーって、ステージの使い方、MCのあおり方、
     その他にもいっぱいいっぱい勉強することがある、そう気付けた2日間でした。
     最初語るつもりはなかったんだけど、みんなが本気で書いてくれたから
     早見あかりも本気で
     まあとにかく
     いっこ いっこのライブを大切にしていこう!
     日本青年館がももくろのふぁんで埋めつくせるように…!」(2010/9/2 18:54)

     早見の熱い夏が終わった。今後の進路について、いつのまにか早見の中で答えが出ていた。川上マネージャーと早見は当初ももクロの未来図に共通のものを持っていた。メンバーの中で川上と一番近い位置にいてどういうライブにするか常に語りあっていたため、早見はももクロの未来図を誰よりも意識していた。

    早見「何年後になるか分からないけど、メンバーそれぞれが個人ではモデル・役者・アーティストとして活動し、6人揃ったらももいろクローバーとなる、今のSMAPのような活躍をしている自分達を見たい。」

     ただ、8月を過ぎた頃から川上とそのイメージがずれ始め早見が考えれば考える程そのずれが決定的になった。川上からすれば早見がアイドルらしくない異色性こそ早見がももクロにいる理由だった。ただ、早見にはももクロの未来図のどこを探しても自分自身の姿を見つけられなくなっていた。本当に他のアイドルグループと自分がいて戦えるのか、ダンスや歌に問題を抱え、アイドルという魅力に乏しい自分がいることで、ももクロメンバーの紅白に出たいという共通の願いを叶えられるのか。今更、歌唱力やダンスを磨いてもすぐには追いつけない。今のももクロが他のグループを凌駕できるものがあるとすれば、汗しかない!なりふり構わず汗をかく量だけが他のグループに負けていないとファンが教えてくれた。今より曲数を増やし限界まで踊ることに自分は耐えうるか。自分が足手まといになってもメンバーは自分を助けてくれるだろう。ただ、メンバー好意にすがるのは早見のプライドが許さなかった。
     早見はももクロを脱退するという結論に達することにそれほど時間はかからなかった。ただ、ももクロのメンバーやファンを裏切ることになる、それが辛かった。百田との友情が壊れることが早見には恐かった。

    百田と早見

     百田は早見の綺麗な顔が好きだった。早見がももクロにいることが百田の誇りだった。いくら強がってもクールに決めようとしても、変顔の下に時折見せる早見のやさしさと笑顔が好きだった。

    早見「今日イベントおわりで
     Kマネージャーと一緒にLaQuaいってみた
     スマイレージさんがイベントやってたでしょ!
     少しでも見れたらなーって思っていったんだけど
     何もなかった(;_;)
     悲しいから31(アイスクリーム)買って帰宅ですよー(笑)」(2010/10/3 22:15)
     
     早見は川上マネージャーと行動を共にしたとブログに書いている。早見が川上とわかるような表記で自分のブログにのせたのはこれが初めてだった。早見が無意識にももクロのファンに示そうとしたものはなんだったのだろうか。

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    川上「ももクロを辞めたいと早見あかりから相談を受けたのは、11年春のイベント会場として中野サンプラザを押さえた後でした。2010年のいつの頃のことだっかまでは、今となってはよく憶えていません。彼女とは家の方向が一緒なので、他のメンバーより、車で送って帰る機会が多かったのですが、その車の中で言われました。正直想定外でした。何より僕はももいろクローバーはずっと6人でいくつもりで、未来の画を描いていましたから。だから話を聞いてから、ある時期までずっと引き留めようとしていました。ただ、彼女が一度決めたことは簡単に覆さないことも知っていました。早見あかりは、メンバーのうち、唯一、最初から担当したタレントでした。だからある程度のところまで導いてあげたかった。でも彼女の性格もよく分かっていました」

     川上にとって早見は自分の気持ちを一番汲み取ってくれるタレントだったのではないか。青年館のライブのために佐々木敦則というディレクターを入れ中野サンプラザまで押さえた直後だっただけに川上にとって早見の脱退報告はショックだった。

    川上「あの子達をずっと見ているとわかるんですけど、あるところから本当に自我が目覚めるんです。ただ、ももクロの場合、他のタレントさんたちよりも遅かったんですよ、それが出てくるのが。だから、本当のタレントとしての面白味はそれからでしたね。脱退した早見は、その芽生えが早かった分、ああいう形になったんだと思います。」
     
     早見あかりはピンキージョーンズツアー中の10月10日に髪を切ったことを報告している。半年以上前から髪を切りたいとマネージャーに直訴し小学校時代にショートヘアだった頃のプリクラを見せたりしてアピールしたが川上は許可しなかった。それが一転して髪を切ってもいいと川上は言った。

    早見「ももいろクローバーのために頑張っている自負がある。自分を美人だと言ってくれる人もたくさんいる。でも、自分だけは“アイドルっぽい”他の女の子たちみたいには愛されていない。髪を切ってみたり、色々と頑張ってみたけど結果はあまり変わらなかった。」

     ファンに髪を切った理由を聞かれても、気分としか早見は答えなかった。11月11日オリコンデイリーランキング(6位)が発表された直後と11月17日オリコンウイークリーランキング(8位)の発表があった日に髪を切っている。がむしゃらに走り続け止まらない筈のももクロが止まってしまうのか。
     この時のウイークリーランキングでももクロより上位にいるグループは嵐、Perfume、三代目J Soul Brothers、遊助、KARA、AKB48、Berryz工房、全て紅白に出場したことのあるグループだ。この頃のももクロにこのグループに太刀打ちできると思うメンバーは誰もいなかった。だから皆、すごい順位をもらえたと喜んでいた。ただランキング順位以上の大きな壁がそこにあった。CDの売上枚数は「行くぜっ!怪盗少女」が22.537枚、「ピンキージョーンズ」が22,936枚ほんのわずかしか伸びていない。確実にファン層が広がっているのにCDの販売枚数は伸びない。いくらファンが増えてもメンバー6人が握手できる数をこれ以上増やすことはできないからだ。早見や川上が企画してきた握手会やチョキ会は限界にきていた。早見には次どうすればいいのか検討もつかなかった。「狭く深く」から「広く浅く」への転換はそう簡単にはできない。川上は着実に次の手を打っていた。ただ、ファンの熱量が想定よりはるかに大きくなっていた。その熱量はCD購入よりももクロの全力ライブを求めていた。

    高城「脱退するって言われてから気づいたことがあって、あかりんってメンバーの中で、すごい、一番強いけど、なんか実際、本当は、ナイーブで、誰よりも傷つきやすくて、ちょっとしたことで傷ついちゃたり、落ちこんじゃったりする性格だなっていうのがわかったっていうか、なんか、そういうところを全面的に出さないのがやっぱり『あかりん』だから」

     ピンキージョーンズツアーではこれまでと違ってMCを入れる回数が増えた。ライブの流れが悪くなりファンには不評だったが早見はなるだけMCを佐々木にふろうとしていた。自分が辞めた後、MCを回せるのは佐々木だと思ったからだ。握手会も自分の短い列がはけるとマネージャーのように後片付けを手伝う早見がいた。川上に脱退の意向を伝えていたがメンバーやファンへの報告に踏み切れない。脱退は早見からの一方的な裏切りだし「無責任」、「身勝手」と言われても仕方がなかった。自分の脱退を報告する場面を何度も思い描いたが、メンバーにどう声をかければいいのかわからなかった。もう一緒に紅白に出ることはないのに百田と紅白の話をするのが嘘をついているようで心苦しく、胸がかきむしられるように心が痛んだ。握手するファンもいない握手会の空間をボーッと眺めていると知らない内に涙が流れていた。メンバーはそんな早見を気にしながらも見ないふりをしてくれた。

    早見「私自体はあまり面白くない人間ですよ。今から思うと、みんなをまとめ上げて、れにちゃんだけではないですからね、みんな無茶苦茶ですよ。好き勝手なことばっかりやってる子達をまとめるって考えたら頑張ってましたねー、あたし!(エヘ)
     あかりがリーダーだったら駄目だったなって思います、あれは。なんか、こうでなきゃいけないと思っちゃって、サブだから、少しこう力まなくていいじゃないですか。適当に好きなようにサポートしてればいいだけなんで、だからリーダーは夏菜子でよかったなーって思います。夏菜子はリーダー向きじゃないって、本当は思うんですよ。肝心なところで噛んじゃうし、でもリーダーなんですよ。なんか、わかんないけど。でも、なんか見てて楽しいだよ、夏菜子、常に笑ってて、すごい、天真爛漫的な感じで、夏菜子とは気が合うんですよ。夏菜子ってあかりにとって必要な存在になってたんですよね。もちろん他のメンバーも大切な仲間だったんですけど。リーダーとサブリーダーだということもあると思うんですけど、性格が似てるのか、足りないものを補いあえるのか、でも全てにおいて、夏菜子が赤だからプラスで、私が青だからマイナスでプラスマイナス合わせてゼロだよねーって、二人でよく言うけど。なんか、あたしがしっかりしすぎてる分、夏菜子のあの適当な感じがよかったりとか、夏菜子が、あのおバカちゃんみたいなところにあたしの突っ込みが入って、いい感じでゼロになっていたのか、それがももクロらしさだと思う。
     他のアイドルユニットさんだったら多分、そんな大事なところで噛んじゃうような子がリーダーになったりしないと思うんですけど、ももクロだからこそ、それが面白いですよね、それが、時々、すごくいいことを言うみたいなところがあって、やっぱこの子すごいなって、天才肌なんだと思う」

     ピンキージョーンズツアーファイナルは、ももいろクローバーの原点である代々木公園の野外ステージで開催された。彼女達が結成当初に路上ライブを行っていた思い出の場所である。ビラ配りをやった後で百田と早見がブラブラしていて見つけたのが代々木公園野外ステージだった。

    百田「ラジカセで、ラジカセで踊ってて、ラジカセ一本でやってる時に、歩いてて、別のところにすっごい大きなステージ見つけたの」
    早見「お祭りやってた。ヨサコイ祭りとかやってたんじゃない」
    百田「そう、それで、うわー、あそこでやりたいね、いつかあそこでやれたらいいねー、みたいなこと話してたよね」
    早見「あたしは、ももクロじゃなかったけどね」
    百田「でも、いるんだよ!」
    早見「うん、絶対いるんだよ、MCとかやってるんだよ、よくわかんないけど」

     午前中は雨が降り続けたが、ライブが始まる頃には眩しいくらいの晴天になった。
     代々木公園野外ステージには約2000人近いのファン(公称3000人)が詰めかけ、路上ライブ時代に行っていた初期衣装にネコ耳をつけて登場しミニ芝居からスタートした。

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     芝居は玉井がツアー最終日の不思議な体験をベースにしている。玉井が百田と高城以外のメンバーには初めて会ったという設定で話が進む。路上時代以降の記憶を失っているという設定だ。路上時代に踊っていた「冷凍みかん」、「ハズムリズム」を6人で踊った。
    玉井「あー、久しぶりに踊って歌ってすごく楽しかった。でもなんでだろ、れにちゃんと夏菜子ちゃんはともかく、3人とは今日あったばっかりなのに、なんかすごく楽しく歌うことができた。でもー、(有安を捕まえる)こんなにキビキビ動くカエルちゃんやー(佐々木をゆする)、私の妹キャラ取られちゃうんじゃないかって心配になったけど、実はしっかりしてた色っぽい最年少アイドルなんて、私知らないよ。(早見に近づく)だって、この子なんてハーフ?一か月に髪3回きるなんて、どんだけのこと、最後は坊主になっちゃうのかしら?ねぇー夏菜子ちゃん3人はどうしたの、早く会いたいよ!」
    百田「しおり!もうあの3人はいないの!むしろ、その後加わった2人も含めて5人はもういない」
    玉井「ねえー、なんでそんなさみしいこと言うの!あんなにケヤキ並木で踊ったじゃん。ビラ配ったり、肖像権だってフリーだったじゃん。写真だって撮り放題だったじゃん」
    百田「ねぇーしおり(玉井を平手打ちする)、お姉ちゃんの目を見て」
    高城「しおりん、私達は立ち止まらないの、走り続けるの!」
    百田「ここにいる6人が、そして私たちの背中をいつも押してくれてる皆さんが今なの、現実なの」
    玉井「本当だ。なんかおかしいよ。この6人とはすごく昔から一緒にいたような気がする。一つの車に無理やり押し込められて全国まわったことや、人数分あった唐揚げが気付いたら一つ無くなってて、犯人が後で自主してきたこと。そしてなにより、この6人がこのみんなの声に包まれてたこと。全部知ってる。確かに私はここにいた。みんなと一緒にここにいた!」
     初期のももクロの象徴である和装の衣装を脱ぎ捨て、新しいイメージカラーの衣装を着た6人が現れる。メンバーは立ったまま眠っている玉井を揺り起こす。
    高城「私なんて、前は大ボケがいたから影薄かっけど、今はちゃんと違うキャラで立ってるんだよ。リーダーだって変わってるんだよ。気付かないうちに、気付かないうちに全部変わってるんだよ」
     玉井が目を覚ます。
    玉井「れにちゃん、みんな、どうしたの」
    有安「詩織は今日久しぶりの代々木公園で、はしゃぎながら焼きそばを食べてたら、ノドにつまらせて気を失ったんだよ」
    早見「あーよかった、詩織が目を覚まさなかったら、私が『2番!』って(玉井のポーズを真似する)言わなきゃならなかったんだよ」(それはないとメンバーが否定する)
    玉井「これが私のツアー最後の日にあった不思議な体験です。本当によかったー。どうなることかと思った時、便利な夢オチ!だけどね、これだけは言える。ももクロchanは振り返らない。だって今いる、今ここにいるみんなが、ここにある声援が現実だもん。ももクロchanは止まらない!私達が先に倒れるか、お前らが先に倒れるか勝負だ!」
     新曲「ピンキージョーンズ」や 「行くぜっ!怪盗少女」をなどの代表曲を筆頭に会場を盛り上げる。
     ファンも掛け声で共にライブを踊り盛り上げていく。ラストはももいろクローバーが1番最初にステージで歌った曲「あの空へ向かって」で締めくくられ、2時間に及ぶライブは大歓声の中、幕を閉じた。
    玉井「路上ライブ時代、代々木公園に来る前にいつもレッスンをして来ていて、今日も皆でレッスンしてきたので初心に戻った気持ち」。
    佐々木「これからもっと思い出を作って行く」
    有安「今までよりも長い歴史を皆さんと作って行きたいです」
    百田「憧れのステージで…こんなたくさんの方とツアーファイナルを迎えられて本当にうれしくて、最初の代々木公演でビラ配りした時は本当にビラをもらってくれる方も少なかったし、見に来てくれる方も少なくて、でもあたしたちの目標が最初っから紅白歌合戦っていう大きな目標に向けて、みんながコツコツ頑張ってこれて、最後にNHKホールの目の前でこんなたくさんの方と一緒にファイナルを迎えることができて本当に良かったです。次、あの、もちろん私達はあそこ(NHKホールを指さす)のステージを目指してもっともっと大きくなってライブができた時にはもーっと後ろの方までお客さんがいて、誰が誰だかわかんないような、もっともっと大きくなれたらと思います。今回のツアー本当にありがとうございます。私達ももっと大きな夢に向かって頑張ります。ありがとうございました」
     『紅白歌合戦』出演を夢にかかげていた彼女たちはその番組収録会場NHKホールの隣の代々木公園からスタートし、野外ステージを埋め尽くした。完全無料ツアーで全18曲を踊り切った。この日のライブの模様は、インターネットで同時中継(動画配信)され、延べ1万5000人が試聴した。

    早見「ピンキージョーンズツアー終わっちゃった
     ももくろの原点、代々木公園路上ライブ
     これやってるときはメンバーじゃなかったんだよね…
     最前で体育座りして見てたわ( ゜Д゜)
     あとはメンバーがいない時にビラ配り手伝ったり~
     なんかMCやったり~
     だからあかりも代々木公園に思い出あるんだよね……
     ケヤキ並木の間をステージにしてたももくろが
     あの大きなステージで踊れるなんて、びっくりだった
     でもすごく嬉しかった
     踊ってて本当に嬉しかった(ο・ω・ο)
     なんか なんて言っていいかわからない
     だけど二ヶ月って相当早いんだなーて思ったのよ!!!
     毎週末ライブやったり握手会やったり~チェキとったり~
     早いよー(´Д`)
     でも全部、全部、思い出、そして昨日でニ周年
     二年って長いようで短かったよ(゜o゜)
     駆け抜けた感じだな…
     たくさんの思い出をありがとう
     みんな本当にありがとう
     お花やプレゼントお手紙もありがとうね
     それじゃあ、おやすみ」

     最初はインターネット配信だったがももクロの冠番組テレ朝動画「ももクロChan」が11月26日にスタートした。佐々木敦則が日本青年館のライブだけではなく「ももクロChan」ディレクターも行うことになり彼女達に密着した。12月から「アイドルちん」などメディアへの露出が急激に増えていった。彼女達の周りでカメラが回っているのが徐々に日常になった。佐々木敦則を筆頭にスタッフの一部は早見の脱退の意向を知っていた。日本青年館のホールコンサートが成功すれば、早見の考えも変わるのではと期待していた。スタッフは皆、早見に残ってほしかった。だが、佐々木敦則が1万人以上の署名が集まったら辞めないでもらえるかと聞いても早見の答えはNoだった。
     お客さんが来なくて空席ができたらブルーシートでごまかそうとメンバーが真剣に話していた「ももいろクリスマス in 日本青年館~脱皮:DAPPI~」の当日がやってきた。チケットが完売しているという実感がメンバーにはなかった。いつもその他大勢の控室だったのが、専用プレートが貼られたももクロ専用の控室があって皆感激した。全員ライブが始まる前から泣いていた。ももクロにとって初めてのホールコンサートは「走れ」から始まる。白いカーテンの向こうにももクロが影絵のように映し出され、白い幕が落ちた。メンバーはまだ泣きながら歌っていたが、百田が間奏で叫ぶ。
     「みんなー、ついに幕が開けたよー!」

    ももクリの後

     青年館のライブの成功裏に終わった。その成功は早見に脱退報告決意させた。自分がいなくてもももクロは絶対やっていけるという確信したからだし、これ以上先送りはできなかった。

    早見「私の中ではちゃんと理解できているんですけど、たしかに冷静に自分を俯瞰で見た時には『ホントにバカだね。なにやってんの?もっと楽な道あるじゃん?』って思いますもん。でも、これが私だから仕方ないやって。他人が決めた道だったら、絶対に失敗したときに、他人のせいにするんですよ。だけど自分で決めたことだから、全て自分の責任になる。もう、やるしかなくなるじゃないですか?
     ももクロを辞める時も6人でやっていた方が楽だとわかっていたんです。5人の仲間の支えがあるから、それにももいろクローバーとして有名になってから、自分の進みたい道に進んだ方が楽だとわかっていたけど、それでも一人でやっていきたいと決めたのは私だし、一人でやっていく道を作ったのも私。後悔してもしなくても自分の責任だけど、今、まったく後悔していないから」

     アポトーシスという言葉を知っているだろうか。細胞の死によって人間の身体は形作られる。手の形を作るために指の間の細胞が死んで手の輪郭を形作る。ある形を作るためには無数の細胞の死(抑止)が必要だ。夢や目標を達成するということはあるべき姿に自分を導くために無数の日常的な死によって達成できる。

    lアポトーシス


     ももいろクローバーがももいろクローバーであるために、早見あかりが早見あかりであるために、早見はももいろクローバーから自分自身を切断した。

    脱退01

    脱退02

     涙が流れた。ただ、ひたすらに涙が流れた。
     音が凍ったまま。涙は流れ続け、張りつめた空気を乱すことなく流れ続けた。


    脱退03

    早見「みんな『えっ』っていう感じで。みんな泣いているだけで何も言ってくれなくて、そこで『ふざんけんな!』とか言われたら言われたでよかったのに、もう本当に何も言われないから、どうしたらいいかわからなくて」


    脱退04

    高城「あかりんが辞めると聞いたとき、私は『ももクロは終わった』と思ったんです。今なら(百田)夏菜子ちゃんがいきなり『辞める』と言い出したくらいの衝撃でした。グループをまとめるのも、トークを回すのも、これはおかしいと指摘するのも、以前はみんなあかりんがやってくれてたから」

    脱退05

    脱退06


    早見「お互い言わなくても分かり合ってるようなところがあるから、もう、どうせばれてるんだろうなって思いながら、言おうか言うまいか迷ってて、でもこれは言う話じゃないなと思ってて、ずっと悩んでたんだけど、結局気づいてたよと言われた。あかりにメールしようとしてメール作ったんでしょ、それを送らなかったんでしょ。」

    脱退07

    夏菜子「止めたんだよ、私は、本当にわかるんですよ、特にあかりんのこととか、自分の中で思って、しゅっとかき消すような、頭の中でなかったことにしようと思ってやってたの。でもバレバレなんだよ。送信ボタンを押そうかどうか、すごく悩んで、聞いてなかったから、もしそこで本当のことを聞いちゃったら終わりだなと思って送んなかったの。聞きたくなかったんです。」


    脱退08

     会いたくて声が聞きたくて 
     携帯に手を伸ばすけど
     気持ちを悟られたくなくて 
     結局何もできないまま
     見えない明日に手を伸ばして 
     未来を描いてみたけど

     どうにもならない昨日を 
     くやんで夜が明けた
     君の胸の奥にある
     本当の気持ちを覗いてみたい

     心の示す方へ 歩き続けて行くよ 
     この選んだ道を 信じて進んでみる
     悪いこともあるし 良い事だってきっとある
     だから いつでも 笑って

     いつもキラキラ 君に逢えるから
     時に悩んだり 落ち込んだりもするけど
     悪いこともあるし 良いことだってきっとある
     この気持ちがいつか 君に届きますように
                  (『ラフスタイル』 ももいろクローバー)


    脱退09


     メンバーに脱退を報告した3日後に柏ライブ会場でライブを行った。野外ライブしてはまだ寒く、2回公演の夜の部の最後で早見の脱退を発表することを決めていた。メンバーはその時が永遠に来ないかのように明るくふるまった。寒さがます中、制服姿でChai Maxxを踊った後、リーダーの百田が「ここでももいろクローバーからファンの皆さんに重要なお知らせがあります。それでは、あかりんどうぞ」と早見にトークをふる。

    早見「私、早見あかりは、ももいろクローバーを2008年11月23日、飯田橋ラムラにて、加入して2年余りの間活動してきました。(雰囲気で察したファンからちょっと待て、ちょっと待てと声があがる)私は色々考えて考えて出した答えを皆さんに言いたいと思います。私は、早見あかりは4月をもってももいろクローバーを脱退します。一番の理由はアイドルという道よりも、他に自分にあった道があるんじゃないかって、自分で考えて、メンバーにも言わず、マネージャーさん達が決めた訳でもなく、早見あかり自身が決めたのが、私が考えて考えて出した結果が、ももいろクローバーを辞めるということでした。いきなりの発表で『ふざんけんな』という人もいるんだと思うんですけど、私は他の道で頑張っていこうと思うので、本当に応援している方には申し訳ないんですが、私はももいろクローバーを脱退します。」

    脱退10

    百田「皆さん、ありがとうございます。私たちもいろクローバーも最初聞いた時は、本当にビックリして、言葉にならないくらい、なんか、どうしようとなって、で、やっぱり今でも、ももいろクローバーは、できればあかりと一緒に6人で頑張って、紅白という大きな目標に向かって全力で行きたいという気持ちも、勿論、今、まだあります。でも、やっぱりあかりんの人生は、私たちが止めることのできないもので、あかりんも多分、こんだけ、あかりんが言うんだから、ずっと一人で悩んでたと思うし、本当に大切だからこそ、あかりんにとって一番はなんなのか、何をやってあげるのが私達にとって、あかりんに一番できることなのかっていうのを、すごい、考えました。でも、その答えがすぐ出ることはなく、私達メンバーも、どうやって、どうしたらいいのかが、はっきりわかりません。でも、あかりんが、これだけファンの皆さんの前で、私達に伝えてくれた時も全部、自分の口で言ってくれたので、それだけ、意志は強いんだなと思うし、やっぱり、あかりんのことを考えて、全力で応援してあげるのが、メンバーとして一番いいのかなって思います。」

    脱退11


     百田は最後の曲紹介をしようとして言葉が涙で出てこない。ファンの声援で何度も言葉を振り絞ろうとして身をよじる。泣いているファンがいて、百田は言おうとする度に言葉つまる。「ゆっくりでいいよー」と声援が入る。ようやく涙を飲みこみ、声を振り絞った。百田「というわけで6人の強い思いを込めた歌を聴いてください。(しばらく言葉がノドにつまる)聞いてください『ツヨクツヨク』」
     メンバーが泣いていると「笑顔でー」と声援が届く。6人が泣きながら集まり「笑顔でがんばろう」と言い合う。
    百田「一緒にやってください。出欠とります!アー ユー レディ番号!1,2、3、4、5、6、ウーイエー!」


    脱退12


     早見が脱退を報告した柏ライブ会場に早見の母親も来ていた。足繁くイベントに参加していた早見の母は半年前からももクロのイベントに顔を見せていなかった。メンバーの家族に会った時、申し訳なく、何を言っても嘘になるからなのか。この日、半年以上も続いた娘のアイドルグループからの脱退という事実に一つのピリオドが打たれた。
     早見の母親はライブ後、会場の一番後ろの席でこれまで応援してくれたファン一人一人に深々と頭を下げ続けた。

     My smile will change the world. (笑顔が世界を変える)
     You decide my future. (あなたが未来を決める)
     Can't stop. (もう止まらない!)

    脱退13

    2015.02.24 | コメント(0) | トラックバック(0) | ももクロ

    早見あかりとももいろクローバー(3)

    <題3章 ピリオドの向こう側へ>

     「小っこいな」と川上は最初に有安を見た時思った。石丸電機のスタ☆フェスのイベントで有安の加入発表を行うことになったが、会場に裏口がなく正面からしか有安を運べない。アンコールまでバレないように有安をダンボール箱に入れて台車で「荷物通ります」と言いながら川上は有安を運んだ。暗転しアンコールに「ももいろパンチ」のイントロが流れ、有安は高城と同じ命ポーズで正面を向き6人で歌った。曲終わりの整列点呼で、一人多いよーっていう流れで有安は自己紹介を行った。

    有安「昨日スタ☆フェスに来て下さった方~、突然驚かせてしまい、ごめんなさい。
       実は、みんなを驚かせるため・・・ダンボールに入っての会場入りでした。
       真っ暗で少し怖いよーな~、サウナのように暑いよーな~、
       でも、普段なかなか・・・やる機会のない体験で((笑
       ちょっぴり楽しくてドキドキでした。そして~初のももクロステージ
       実は、アンコール出て行く前は緊張で押し潰されそうで・・・
       けど、みんな凄く盛り上げてくれて最高にHappyな時間を過ごせました」
                                          (2009-07-26 21:00)

     有安はCDの発売延期によってツアーの最後に参加し自分の歌唱パートがない「ももいろパンチ」を歌うことになった。一曲ずつ歌い踊れる曲を増やしていったが、ファンの中には有安の参加に不満を持つものもいて、有安とだけ握手をしないファンもいた。今ももクロは大事な時期なのに何故メンバーを追加するのかと川上に詰め寄る熱いファンもいた。険悪な雰囲気を「もーもックロ!」、「もーもックロ」と周りのファンが掛け声をあげることで事なきを得た。川上にとって有安はももいろクローバーという画を完成させるにはどうしても必要なメンバーだと確信していたし、ファンにもそう説明した。

    早見「杏果が入ってくるって聞いた時にEXILEのバックやってた子がくるって聞いて、スゴイ子がくるんだろうなと思ってたら本当にスゴクて、ももクロ負けちゃうって思った!(杏果が)ももクロに入るんだけど、その一人が入ることによって、他の今までのがグダグダに見えてくるっていうか、こりゃー頑張らなきゃいけんという、スゴい杏果に影響された部分が、みんな強いと思う。杏果が入ってからダンスが激しくなって、今のももクロらしさ、ももクロZらしさっていうのは、多分、杏果が入ってきたとこらへんからできた」

    杏果とあかりん

    早見「杏果が踊ってる所をみると、私は自分の踊りがドスンドスン見えるんですよ。だから、こんなに軽快にキレッキレッにダンスを踊れるんだろうって思うし」

    有安がももクロに加入した当初苦手だったのは百田だった。有安と全く違う百田の異様に高いテンションに最初ついていけなかったと語っている。すぐに仲良くなったのは玉井で何かと面倒をみてくれた。早見は有安が持っていない身長、美貌、トークのうまさを全て持っているように有安には思えた。そして、写メを撮ろうよと気軽に言えない雰囲気を早見に感じていた。

    有安「あかりんは~みんな知ってのとおり、何をしても、何を着ても、いと美しゅーて、
    それに…頭もキレる。ボーッとしてる時も寝てる時もまぢ惚れるーッ、いゃぁ~あかりんみたいなアネキ…真剣ほしいんだけど!!!
    てか、、おない歳、、、しかも、産まれた日…2日違いっ(’’;)コレって信じられる(* *;)??!」
                                            (2009-09-27)

     最初のツアーが終わった頃、ファンとメンバーとの距離は限りなく近かった。「ももいろパンチ」のツアーが終わった後、川上は活動拠点を秋葉原UDXシアター移した。AKB48劇場の真後ろにあるビルに腰を落ち着けた。やはり定常的に公演できる劇場が欲しかったし、AKB48の客も引っ張れるし一石二鳥だったと思ったのかもしれない。第2弾シングル「未来へ進め!」の先行ツアー『新秋ジャイアントシリーズ』も殆どUDXシアターや東京近辺の石丸電機等でやっている。インディーズデビュー(ももいろパンチ)で全国を回ったのはいいがCD予約券は地方では殆ど売れなかった。電気屋の店頭でやっているアイドルグループを見物してもCDを購入する客は殆どいない、ツアーについてきた東京近郊のファンによる売上が殆どだった。UDXシアターは会場費が必要だったためイベント券として千円とるようになる。あくまでもイベントであるため歌だけではなく色んな企画を次々と繰り出した。その企画の主体となったのは早見だった。ももクロのファンだったら喜びそうという企画を川上が運転する帰宅途中の車中で毎回ひねくり出していた。

    早見「基本的に考えることが好きだから、握手会だけだとマンネリ化してきたからっていう企画会議を、いつも帰りの車の中でしてたんですよ。昔からやりたくないことを言っちゃうの、また、言っちまった、やっちまったみたいな、そういうところでの表現力ないのに思いついちゃうの、メンバーにも怒られてたけど」

    早見ピエロ

    早見「くだらないことばっかポンポン思いつくの。車で送ってもらってる時、二人で考えてるわけマネージャーと、帰り道全然思い浮かばないの、で、家に着く瞬間みたいなとこで、ハッとすごい思いつくの、で、絵本書くとか、絵本読むとか、もうすごい面倒くさがりやじゃん、あかり、大変じゃん、絵本書くなんて、自分が一番苦手なものがでちゃうの、似顔絵とか、塗り絵つくろうとか、パッと思いうかんで言うじゃん。そしたらいいねって。秋葉原UDXでそういう企画ばっかやってたじゃん。そういうのは私だけ、あのくだらない企画」
     早見がくだらないという企画、例えば塗り絵の企画、ももクロの塗り絵の一か所一部分の色を塗る時間だけ会話ができ徐々に塗り絵が完成する企画だったが、空が一番広いので皆、空を指定した。空を塗ると5分くらいお喋りできる。翌日から空禁止とアナウンスされた。少し凝った企画だと「校則違反09~ちょっと大人になっちゃったんじゃないチェキな!!」ももクロのメンバーがホワイトデーに男装の学ラン姿のコスプレで登場、不良っぽい口調で『来る者は拒まず、去る者は追わず。そんなヤツは東京ビッグサイトでも××(アイドルのイベントやってる場所)にでも行きやがれ!』と登場で決め、自己紹介も百田は『えくぼとケンカは江戸の花』、佐々木は『オレに触れるとヤケドするぜ』とタンカを切る。チョキ会の後に「先公にはひみつだぜ!なっ直筆お手紙」が指名メンバーからもらえるという企画。手紙もわざわざ教室で破いたようにノートの切れっ端に書いてある。こんな感じの手紙だ。『君の愛でマシュマロのよーにオレのハートを包み込んでくれッ by有安』
    CD1枚購入でメンバーとチョキを撮って手紙をもらえるんだからファンにはたまらない企画だった。

     秋葉原UDXシアターは基本映画館のためステージが低く全席指定で、客席も交互に設置され高低差が有って座ってみる分には見易い会場だ。ただステージと客席の間が狭く、最前列の客の膝に足が当たって「ヤベッ」と玉井が舌を出すぐらいの近さだった。この頃はメンバーの家族も毎日のようにきていた。毎回来るファンは100人くらいなのでいつのまにかメンバーと家族はファンの名前と推しを全部知っていた。一度も握手したことのない玉井から自分の名前を呼ばれてびっくりするファンもいた。そういう時の玉井は「私はなんでも知ってる」というお得意の口癖で自慢した。
     UDXでは毎回席を抽選で決めていた。ももクロの匂いがすると最前列はプレミアがつくほど人気が高かった。甘い綿あめと、甘酸っぱいイチゴの香りが混ざった匂いボディファンタジー・コットンキャンディ、千円もしない中学生達が好んでつけるボディ・フレグランスだ。エレベータにも時々ももクロの残り香があると、さっきまでいたのかと想像するだけでファンは嬉しかった。秋葉原UDXシアターはスタッフ用のトイレがなく、次のイベントのための行列を作っている横をメンバー6人でトイレに行っていた。さすがに一人でいくのは厭だったのだろう。終わったら『お疲れ様でーす』と言って手を振って戻ってくる。ファンからすればアイドルもトイレに行くんだという軽いカルチャーショックがあったという。そうした秋葉原UDXのイベントの白眉は『チャンピオンカーニバル5DAYS』と題された9月の5連休をフルに使ったイベントだ。1日6試合(チャンピオンカーニバルに因んで各公演は第○試合でカウントされる)を朝10:30から21:00まで連続で行った。ももクロ券というCDの予約券が必要な無料イベント(チョキ撮影、握手会)と有料(千円)ライブとの組み合わせだった。「ももいろ万丈」という「波乱万丈」を模してメンバー幼少期の写真を上映、ライブの曲数は5曲だが毎回セトリを替えて飽きさせないようにし、イベントもコスプレや糸電話等早見が思いついた企画をやった。ファンは朝から晩まで一日中UDXにいて毎日通ったという。5DAYSの2日目にメンバーのイメージカラーと衣装が発表された。百田:赤、早見:青、高城:紫、玉井:黄、佐々木:ピンク、有安:緑という現在も続くメンバーのイメージカラーが発表された。この日の3試合目のトークはトークは会場に置かれた質問BOXポストからの質問にメンバーが答えるというものだった。

    <質問>夏休みをどうすごしたか?
     早見が夏休みに百田の実家に遊びに来た。早見が来る一週間前に玉井も百田家へ遊びに来たが「詩織ちゃんとは大違いだね」と百田の兄弟が口を揃えて早見が誉めていたという。早見が大人過ぎたのか、玉井が子供すぎたのかどちらかはわからない。田舎の男の子達にとって早見は衝撃的だったようだ。

    <質問>好きな作物は何ですか?
    有安「作物は何ですか?作る物ですよね…(沈黙)ミシン!」
    レコーディング場所でも勉強していた有安が「吾輩は猫である」を「ごはいはねこである」と読んでいた事件等、有安大暴露大会に発展し、学校の勉強はできても一般常識のないおバカというイメージが定着した。

    <質問>タイムマシンで未来へ行けるとしたら何年後で何を見たい?
    早見「何年後になるか分からないけど、メンバーそれぞれが個人ではモデル・役者・アーティストとして活動し、6人揃ったらももいろクローバーとなる、今のSMAPのような活躍をしている自分達を見たい。」
    玉井「22世紀に行ってドラえもんに会いたい」
    百田「ももいろクローバーの公式目標である2010年の紅白出場を見たい」
    佐々木「何年後か分からないけど、ももクロでカウントダウンライブをやっているのを見たい」
    有安「来年春に高校生になった自分を見たい。早く今の受験のプレッシャーから解放されたい」
    高城「自分は100歳越えるまで長生きするけど、97歳の時に何かが起きる。それを確かめたい」
    早見だけが具体的なももクロの将来のビジョンを持っていたのがわかる。このビジョンに沿ってももクロはブレーク後も実現に向けて動き出しているようにみえる。ももクロをどういうグループにしていくかという早見のビジョンは20才までにトップタレントにするという川上と同じだったのではないだろうか。

    学ランコスプレ

     5DAYSは朝10:30から夜9:00まで切れまなくイベントが5日間続く、その過酷さが逆にメンバーとファンと気持ちを高めていった。いつのまにか客同士も顔なじみになり4日目ぐらいで「あっ、おはようございます」と挨拶するようになった。朝から入場の列に並び夜次の日のイベントが発表されたものをメモして帰る。その繰り返しでUDXに泊まり込みたいと思うファンも多くいた。メンバーとファンが一緒に合宿か修学旅行にでも行っているような気持ちになった。貼りだされた5日目のイベントはラブレター大会で、優勝者には何かあると書いてある。すぐに便箋と封筒をファンは買いに走った。夜を徹してラブレターを書き翌日スタッフに手渡すし不眠不休でイベントに取り組んだ。5日目、スタッフがメンバー向けに一人だけ優勝者を決め皆の前で読み上げた。早見へのラブレターでツヨクツヨクのラップの言葉に勇気づけられたという部分を早見がラップで披露した。賞品は手垢にまみれた握手会の抽選用のボールにボールペンでメンバーのサインがやっと判読可能な感じで書いてあった。それでもファンは満足だった。
     最終日の最終回に初めてUDXシアターの172席が満杯になり立ち見まで出た。この頃のももクロの動員力ではそれが精一杯だった。普段なら仲が悪い高城推しのファン達が今日だけは共闘を組もうと一緒になって応援した。最終回で疲れがピークになりながら皆異様にテンションが高くなり会場全体の一体感が増していった。「ツヨクツヨク」を泣きながら踊るメンバーを見ながらファンは泣いた。客席からの「ガンバレー!」の声に百田が「だってみんなが泣いてるから」と言った。メンバーだけではなく客席のほとんどの人がボロボロ泣いていた。この日、ももクロのライブの原型が生まれたのかもしれない。

     ももクロの初期の握手会で一番人気がなかったのは有安と佐々木だった。一番人気は百田で夏菜子渋滞と言われる程、列が長く、高城が続き、玉井と早見が同じくらいだった。
     有安も佐々木も真面目過ぎて「ハイ」っと返事をするのが精一杯で話が面白くないと敬遠された。小学校を卒業したばかりで自分のキャラを出すのに遠慮があった佐々木彩夏、途中参加で遠慮勝ちで真面目一方の有安杏果。ヲタクのファン達が何とか握手人気が出るように二人の握手券を買って教育を始めた。佐々木は昔出演したテレビでやっていた「あーりんだよ」という決め台詞をやってくれとファンに言われても最初の頃は気難しい表情で下を向いたままだった。百田は玉井が『カナブンだよ!お尻が光るんだよ』と言って笑を取っているときも中々入り込めなかった。2,3人しか自分の席に握手しにこないのでいつも手持無沙汰だった。「私の列に人が来ないんですけど、どう思いますか?」と佐々木から握手会でやっと少し打ち解けたファンに真剣に相談することがあった。プライドの高い佐々木からの相談にびっくりしたが『ファンとの間に壁があるからもうちょっとお茶目なとこ出してみれば』と助言をしたそうだ。その後、個別握手会の列が玉井と同じぐらいになったのを見て声をかけると「すごい嬉しい」と言葉が返ってきた。その後『あーりんだよ』だけで全ての会話を締めても動じない圧倒的でお茶目なピンクのハートを持つようになるとは、誰も思っていなかった。

    握手の達人

     「ももクロ握手の達人」という同人誌を作ってファンが教育を始めた。有安の挨拶の文句がつまらないと『私は、有安杏果でありやす、ちっちゃいけれど大きな元気でありやす、みんなに笑顔を届けるでありやす』という挨拶文をファンが考えて「ももクロ握手の達人」に載せ有安に説明し今の自己紹介につながっていった。有安も歌え踊れる曲が少しずつ増えていき、握手をしなかったファンにも認められるようになった。ジャイアントシリーズも終盤となり秋も深くなった頃、秋葉原の路地裏に作られた期間限定SHOP「はるえ商店」の店頭で売り子をしていた有安に、それまで言い出しかねていたファンがようやく口をひらいた。『杏果がメンバーになってくれてホントによかった。今まで認めなくてゴメンね』、
    『もうそんなことはどうでもいいんですよ~』と有安は答えながら小さな握りこぶしのような顔をコクッと頷いてファンと一緒に泣いた。隣で玉井がニコニコしながら秋の夕暮の「はるえ商店」の二人を見ていた。
     ファンからアイドル業界や握手術等を教えられるだけでなく、早見がファンに面接のコツを伝授することもあった。リストラされて職を失くしたファンがいて、『仕事どうなりました?』みたいなことを早見が聞くと「まだなんですよ」と答えると早見が「じゃあ今、私が受験で面接の練習してるからやり方を教えてあげますよ!」と言って。「そうそう、背筋をピンと伸ばす!声をハキハキ喋る!語尾をはっきり言う!」とか彼は全部メモに取った。「えーって言わない」と早見が中学校で高校受験用に勉強したことを全て伝授した。早見の場合、高校受験だけでなくオーディションを何度も受けているので面接の対応はリアルである。早見の言いつけを守ったおかげで彼は就職が決まったそうだ。彼は今でも早見のことを恩師だと思っているという。

     「ももクロドッキドキ初体験日記」というヤマダ電気の研修を体験したビデオにももクロが出演した。川上のももクロに対する教育方針がよくわかるビデオだと思う。中学生と思わずガチで研修してくださいと川上からヤマダ電機に頼んだのではないだろうか。最初の研修は研修室で2人1組になって新製品のテレビのアピールをし、研修担当教官が合格の札を出すまで繰り返しやらせる。皆、中々合格がもらえない。やっと優等生の早見が抜け出し、結局、佐々木と玉井が最後まで残りなかなか合格にならない。佐々木は頭が真っ白で何も考えられないと言いだし涙を流す。ようやく二人共、教官から合格をもらい、教官からこの訓練の狙いを説明される。
     「誰が早く抜けるかとか誰が最後まで残るのかということは重要ではなく、指摘され、席に戻って椅子に座った時に何を考えたかが重要です。何も考えずに後ろに座ってるだけだは何も成長がありません。皆さんが社会に出た時にいろんな壁にぶつかります。嫌なこと一杯あるでしょう。その時に何も考えずに止めようと思うのか、壁にぶつかった時にこの壁を乗り越えようと思って一歩でも前に踏み出すのか。この訓練はそれを体験してもらおうということです。みんな座って色々考えて、こうしようあーしようと考えるでしょ、それが大切です」
     次の研修は二人一組で実際にヤマダ電機新橋店の店頭に立っての接客を実習する。早見と高城、玉井と佐々木、百田と有安が夫々ペアとなり、挨拶、声の大きさ、アプローチ、客への印象、商品説明、接客の終わらせ方の観点から評価する。接客中の様子は別室のモニタで接客中以外のメンバーを含めて、接客のどこに問題があるのかを具体的に教官が指摘し説明する形で研修を行う。メンバーには伝えていないが強面のお客さんのフリをする別の研修担当者を入れ、あいまいな受け答えを許さない厳しめのお客を演じてもらう。色んなお客さんの対応を見ながら別室で具体的な指摘を聞くことで次のペアの対応がどんどん良くなっていく。ただ、お客のフリをする強面の研修担当者の鋭い質問に皆タジタジだった。最後の百田・有安のペアは挨拶、声出し、お客へのアプローチは満点の評価を受ける。ところが強面の客の対応で雰囲気は一変する。客の質問はテレビを見るのに必ずアンテナを立てなければならないのか、他に方法がないのかというものだ。知らない知識を突っ込まれてタジタジとなる。自分なり受け答えしようとして、有安はアンテナは絶対必要です、アンテナがないと観れませんと力説する。客の雰囲気の変化を敏感に察した百田は正確な情報を聞きに走る。戻ってきた百田がOCN等のひかりTVに契約すればアンテナがなくてもコードをつなげばできると答える。客はその答えを聞いてアンテナが必要だと言い切った有安に詰問する。

    客「アンテナ立てなきゃ観れないって言ったでしょ!あなた言い切ったんだからね!アンテナを立てなきゃいけないって言ったんだよ、アンタは!」
    有安「申し訳ございません」(何度も頭を下げる)
    客「そういう風に説明してくれれば、そうだろう!アンテナ立てなくたって観れるわけだよ。配線で!」
    有安「はい、申し訳ございません。本当にこちらの知識不足でお客様のおっしゃる通りです。本当に申し訳ございません」
    客「だから分かんなかったら『分かんない』って言えばいいんだよ!言い切ったんだから!」

     有安は申し訳ございませんと震えながら謝まった。客が去っていくと崩れるように泣き出した。
     百田は持っていたパンフで有安の顔をすっと覆い、カメラから有安の泣き顔を隠した。そして有安を抱きかかえながら「頑張ったね」と笑顔で有安かばいながらその場を後にした。

    ヤマダ電機研修

     この時の有安への百田の対応を見れば、ももクロのリーダーはやはり百田しかいないと思えた。研修教官は現場に立ったらヤマダ電機を背負って立つ気でやらなければいけないと言ったが、百田はすでにこの時点で、ももクロを背負って立っていたし、かけがえのないリーダーだった。
    秋葉原のベルサールのステージ、「未来へ進め!」のツアーも終盤でライブに次ぐライブでヘトヘトになっていた。そんなライブ中に、玉井がマイク落とした。マイクはそのままステージの下まで転がっていった。ももクロも観客もスタッフもフリーズした。玉井はどうしていいかわからず泣き出した。玉井の表情を見た瞬間、百田は躊躇せずステージの下の奈落へ飛び降りた。マイクを拾い、笑顔で玉井に手渡して何事もなくライブを続けた。百田は、誰もが止まってしまう瞬間に動ける力を持ったリーダーだ。

    早見「最初の頃よりもね、夏菜子に頼れるっていうか、夏菜子に頼っても大丈夫みたいな感じがある。今、頼っても夏菜子は答えてくれるような感じがある。前の夏菜子だったら、あたし、あたしできないもんで終わりそうだけど、今だったら相談できるっていうか。リーダーって感じがする」
    百田「最初はほんとにね、なんであたしなんだろうって感じだったんだけど、いろんな人に頼られるっていうか、いろんなことを求めないといけなくなって、それで責任感ついてくるじゃん、そしたら、だんだん、最初、私考え過ぎだったんですよ。なんか全部まとめなきゃいけない、どうしよう、どうしようだったんだけど。あっ普通に、このキャラで、ハーイやろうみたいなノリでいいじゃんみたいな感じになってきて、普通にまとめればいいんだなって感じで、あかりんサブだし、あかりんしっかりしてるから、あたしがふざけた時はまとめてくれるし、なんか、いい感じのコンビでね、色と一緒、あたしが赤でプラス、あかりんが青でマイナス、プラスとマイナスを足してー、真逆なことが多いんだよね、あたしはすっごくポジティブなんですよ、あかりんはすごくネガティブなんです。あかりんがネガティブな時は『いいじゃん、そんなの、気にすんなよ』みたいなノリで、プラマイだー、だんだん、マネジャーさんの言ってたことがわかってきて」
    早見「嘘じゃないんだよね、最初は信じられないんだけどね」
    百田「でもね、今、すっごい楽しいし、あっリーダーで良かったなーって時があるし、他の子が、できないこともやれるときがあると思うし、でもその分ね頑張らなけゃいけないんだけど。でも、頑張ったら何かある筈だし」
    早見「リーダーが困ったら、何かお手伝いしますので、サブ、頑張ります!」
    百田「よろしく、よろしくお願いします。」
    早見「普通に楽しんで、気楽に夏菜子は、夏菜子だからね、夏菜子のままでいった方がいいと思う」
    百田「そうだね、マネージャーさんもそういってたもんね」
    早見「最初、それ言ってたよね。それが今になってわかったの、ねえー」
    百田「言ってたね(言われてたね!)、ビックリです。お互いプラマイで頑張ろうぜ」
    早見「プラマイで頑張ろうぜ!」

     ジャン・ピアジェの「三つ山の課題」という実験がある。成長過程の子供達に山が3つあるパノラマを見せ、山がいくつ見えるかを問う実験だ。
     幼稚園児はdからみたときは3つと答え、cからみたときは2つと答える。見る角度によって見える山の数が違って見えるため目の前の事象だけで判断する。例えパノラマを俯瞰的に見た後であっても、目の前の山が2つしか見えなければ、山が3つあることを理解できない。

    ピアジェ

     それが小学生になると3つと答えられるようになる俯瞰的に空間を把握する力を発達過程で獲得したからだ。成長とはこれまでと違った次元で世界を見れるようになることだ。ただ成長の過程で混乱し成績が落ちることがある。2次元の世界で正解であると信じていたことが3次元になった途端に断定できなくなる。成長は新しい環境で生きていくには必要なことだが、簡単に新しい視点を獲得できるものではない。親に反抗して親もまた一人の人間だと知るように、子供も持って初めて親の気持ちを知るように実感を伴った視点を持つのでなければ成長とはいえない。ももクロのように誰もやったことのない環境に放り込まれて成長するのは並大抵のことではない。メンバーはその壁を乗り越えるための負けん気、体力、そして助け合える仲間がいた。

     有安が握手会でダンスについて女性ファンから駄目だしを出されて泣き出したことがあった。早見が有安を抱きかかえ何か言い、有安はうなずいて握手会に戻った。後でファンが早見に何を言ったのか聞くと「ステージでは泣いていい時と悪い時があって、今は駄目な時だよ」と言ったという。有安が何故泣いていたか聞かなかったのかとファンが早見に問うと「聞いてほしいことがあるなら向こうから言ってくるから、私からは聞かない」と早見は答えた。早見にとって百田がフォローできない部分をフォローするのが自分の役割だと自覚していた。
     「未来へ進め!」のツアー中にインフルエンザが流行った。最初に早見と高城がインフルエンザで倒れた。11月1日の公演に早見は欠席とアナウンスされていた。その午後の部で1曲目のwords of mindのラップパートの時、なにやら聞き覚えのある低い声が聞こえた。メンバーを一人一人確認していっても誰もマイクを口に持っていっていない。もう一巡確認するも答えは同じ。事態が乗り込めないファンやメンバーをもてあそぶかのように上手側から漆黒のドレスを身に纏った早見が登場した。UDXシアターは座って見るのが原則だったが皆総立ちになり異様な盛り上がりをみせた。
    早見あかりIn The Place To Be!
    早見がインフルエンザために着れなかったハロウイン用の魔女のドレスを着て、ラップしながらのまさかの登場に会場は沸いた。

    あかり復活

     ファンは総立ちで早見を迎えた。そして最後に「words of mind」でお約束になっていた軍手を早見は客席に勢いよく投げた。

    早見「午前中、医者に行ったら、今日のライブOKだよって言われたからやりに来た」

     早見は何事もないように言う。早見にはこうした自己演出が似合った。この後、高城が復帰したが有安と玉井がインフルエンザで倒れた。車中泊はなくなったが日程の過酷さは相変わらずで、満身創痍のまま11月11日の「未来へ進め!」の発売日を迎えた。
     秋葉原のももクロ専用物販コーナー「はるえ商店」のイベント中にデイリーチャートの結果が発表された。マネージャーの古屋が順位の書かれた紙を持って「それでは発表しますよ!」と言っても「ちょっと待って待って!」「心の準備ができてない!」とメンバーは大騒ぎ。みながざわついてる中、いよいよ発表。
     「第6位」と発表された瞬間、メンバーも会場のファンも歓声があがり、全員で万歳三唱。会場の「はるえ商店」は秋葉原の駅前で、駅に向かう人も何事かと、この騒ぎで集まってきた。
    メンバーもみんな泣いてた。いつもクールな早見も最初は放心状態でぼーっとしていたがコメントを言ってる途中に感極まって泣き出した。この時の映像は早見脱退の「あかりんに贈る歌」の映像で使われている。
    今日は泣いてもいい時と場所なんだとばかりに有安と高城は終始号泣だった。スタッフも男泣き。泣いてるヲタが多かった。
     いきものがかりを抑えて6位、無名の新人グループとファンが一緒になってメジャーのミュージシャンに竹ヤリて突撃し続けたようなものだ。

    20091111.jpg

     宣伝費がないためCMを打てるわけではなく、2ヶ月間、ドブ板営業で彼女達が1枚1枚ファンとチェキを撮ったり、握手して手売りしてきた積み重ねがオリコンデイリー6位の成績となった。そしてウィークリーランキングは11位(15,292 枚)を勝ちとる。100枚、150枚買い支えたヲタはざらにいた。ももいろパンチの時の4倍の売上だ。
    この快進撃がメジャーデビューを呼び込んだ。川上が幾つか打診した中からユニバーサルが手を上げメジャーデビューが決定した。やはり、ウィークリーランキングは11位で売上が急激に伸びている結果がメジャーの食指を動かした。日本の場合、インディーズとメジャーの違いは日本レコード協会に加入しているかどうかの違いで流通経路が違うだけだが、それでも宣伝費が出るし、一般のCDショップにもCDが並ぶのだ。

    早見「2010年、来年、ももクロちゃんどうどうなりたいですか、リーダー」
    百田「2010年はやっぱり、紅白に出たいよね!2010年の紅白って最初からの目標だよね。最終的な目標って、最初から決まってたね。
    早見「最初から決まってたね、最初から、おっきなところが決まってて、それに向かってひとつづつのね」
    百田「それが紅白なんだよね。ももクロchanのよさをいろんな人に伝えていきたいね。
    一年の〆が紅白なんて、幸せすぎるよ。狙って行こうよ、ね、」
    早見「幸せすぎてバチがあたるかもしれないけど。まあ、大丈夫でしょう。
    神様はやさしいよ、きっと」
    百田「神様はね、越えられない壁は作らないんだよ。ねー!」
    早見「越えられる子にしか壁は与えないんだよね。だから行けます!」
    百田「2010年のももクロchanは止まりません。」
    早見「2010年も2011年も2012年も、ももクロchanは止まらない。」
    百田「みんながももクロchanはどこまで行くんだみたいな所まで、行っちゃおうね、走り続けて、いきたいね、楽しみ」
    早見「楽しみ」
                               「早見あかりのわかーんない#2」  (2009/12/21)

    「銀河鉄道の夜」のジョバンニとカンパネラの二人が『どこまでも どこまでも 一緒に行こう』という台詞のように二人はももクロの未来を宣言する。スターダストの事務所の一室で百人に満たない視聴者に向けてももクロラジオ局からの発信。悪い予感のかけらもないような2009年のももクロは終わりを迎え2010年が幕を開けた。


    サヨナラドラえもん

     川上は「行くぜっ!怪盗少女」をメジャーデビューのメイン曲として推したがユニバーサル側が難色を示し長い話合いを持つことになった。

    川上「僕がもともと女優のマネージャーだったからなのだと思いますが、『楽曲を選ぶ基準はこうなんですよ』『宣伝はこうするものですよ』と音楽界の常識を聞かされることが多かった。そういう意見を聞くと、つい『じゃ、あなたたちだけで売れるものを作ればいいじゃないですか』と思ってしまいます。まあ、僕は人見知りなので、口には出さないで腹の中で思っているんですけど」

     ユニバーサル側からするとCD発売の2か月前からツアーをやるなど、音楽を事を何も知らない素人として見下していたのだろう。認知度も金もないももクロはそれしか取るべき方法がなかったのだが。ユニバーサルが言うような音楽の王道に則って歌やダンスだけで他のアイドルと勝負しても勝てないと川上は思っていた。普通ならB面にしてしまうメンバー紹介曲の「行くぜっ!怪盗少女」。転調の多い軽快なメロディーにのせてメンバーの個性を引き出し、ももクロの魅力をあますことなく伝えていた。これこそももクロの代表曲になると川上は最初に聞いた時から惚れ込んでいた。
     メジャーデビューに向けてユニバーサルと川上との相克が続く。ユニバーサルからすれば音楽のことを何も知らない女優事務所のマネージャーとしか思っていなかったかもしれないが、川上は自分の思いを伝えられるレコード会社のパートナーがほしかった。
     水面下で知り合いのマネージャーの縁でキングレコードの宮本純之介と接触しこの人とならもっと自由にCDが作れると思った。四半期に一回必ずCDを出すことを強制されることもなく、ももクロ側の特色を加味して一緒に楽曲を作れそうだった。そして、怪盗少女のメジャーデビュー発表イベントに川上は宮本を招いた。敵地のユニバーサルのメジャーデビュー発表記者会見に宮本を呼んだのだ。メジャーデビューする前にキングレコードへの移籍を決めていた。川上は一度信用すると方向性だけ伝えて自由にやらせた。ももクロを支える才能あるスタッフがその後も集まっていき分厚い「チームももクロ」を作っていくことになる。
     「行くぜっ!怪盗少女」をメジャーデビュー曲にするために上司の藤下リュージの力を借りたにせよ、粘り強く説得し、プロレスの記者会見を模したメジャーデビューの記者会見のセッティングをした。意地もあったのだろう川上は自分の意見を全て押し通した。メジャーデビューの調印式にメンバーの体重測定をやるという茶番もやった。メジャーデビューするにはアイドルの基準の体重が必要という無茶苦茶な設定で報道陣がいる中で公開体重測定を行った。早見は1月からダイエットを始め楽々と基準をクリアしたが、高城が0.8Kオーバーで仮調印という顛末となった。
     大人たちの裏事情とは無関係にメジャーデビューの関係で1月、2月は殆どライブがなく早見、百田、有安らは高校受験に専念できた。百田は東京の高校を受験することに決めた。ツアー等で平日のイベントに参加するとなると必然的に都内の高校を選択せざるを得なかった。メジャーデビューも決まり静岡の親許から通う前提で、ももクロの活動に専念できる環境を考えたのだろう。
    ももいろクローバー・メジャーツアー2010 春の最強タッグ決定戦 ~炎の約28番勝負が3月6日から「行くぜっ!怪盗少女」の発売(2010年5月5日)に向け開始した。
     3月14日のヴィーナスフォートでのライブで「ツヨクツヨク」を歌っている最中に曲が止まりスターウォーズの「帝国軍のテーマ」が鳴り響いた。ステージ上のメンバーも「何?何?」と動揺する中、再び中央ドアが開くと百田がバースデイケーキを持って来た。早見と有安へのサプライズイベントだ。皆で「ハッピバースディトゥユー」を歌う中、有安はもううれし泣きでボロボロ涙を流し、早見は嬉しすぎてキョトキョトしてしていた。
     早見サイドの最前列では、色紙に一文字ずつ書いて並べる「おめでとうあかり杏果」のボードが並び、イメージ色のサイリウムが点灯した。
     去年ケーキを持って来たのも夏菜子で、『去年もこうだったよね~』と話す。一年前の3/14「GirlsWoodstock Vol.10」のあかりの誕生日から始まった。当時、スターウォーズの帝国軍のテーマはメンバーが抜けるとか重大発表時に使用されていたので、あかりは何が起こるか不安で思い切り泣いたのを覚えているとの事。百田から「15歳の抱負は?」と振られると二人とも「こんな事なら考えておけば良かった~」と考え込む。
    有安は「高校生になるので、もう身長は伸びないと思うけど、人間として成長したい」と真面目なコメントを述べる。早見は、どさくさに紛れて「15歳になっても頑張りまーす」とさらっと流そうとしたが、玉井から「こう見えても、あかり何が起こるか心配して、しおりの手をギュって握ってたの」という暴露で一挙に会場和んだ。
    早見「クールビューティーの私がそんな事をする筈がないでしょう」

     強がりで意地っ張りのくせに怖がりで真っすぐな早見、その激しい感情の起伏を隠すのが苦手で不器用な早見がそこにいた。

     ツアーは相変わらずUDXシアターをメインにして、いつもの怒涛のスケジュールで5月5日の発売日を迎えた。ツアー終盤はメンバーの健康状態がライブのパフォーマンスにも影響を与えた。観客がもう踊らなくてもいいからといいたくなるように青白い顔をして踊った。それでも数日後の野外ライブではすさまじい回復力で元気に踊っていた。オリコンデイリーランキングを発表する「ドキドキの発表会」は172席のUDXシアターでは入りきれず応募制になった。抽選に落ちた大半のファンはロビー観戦をしながら発表を待った。メジャーデビューということで垂れ幕も立派になり、「走れ!」の途中で、サイレン、曲が止まる。紐を引くように指示があって、メンバーが紐を引く「オリコンデイリーランキング1位」の垂れ幕が下りた。早見は事前に知っていたようだがメンバーは大泣きするも、メジャーデビューということもありスチール撮影、日テレのPONとDONの取材等があり、今までのファンとスタッフだけの発表とは違ったものになった。UDXシアターは5月5日のイベントを最後に以降使用することはなくなる。ライブをやるには既にキャパが足りなくなっていた。

    デイリー1位

     5月10日石丸ソフト本店でツアーファイルナルの翌日にイベントがあった。各メンバーのパーソナルカラーのツナギ衣装で着てライブを行った。「ツヨクツヨク」の曲がいきなり止まって『今日は何の日か分かってますよね!』とスタッフが登場した。『じゃぁこれ3,2,1で広げて下さい』と、昔からデイリーの発表で使っていた馴染みのある丸めた紙を持ってきて広げた。
    『オリコンウイークリー3位』

    早見「言葉が出ない。日本で3位ってことでしょう。嬉しいです。」
    佐々木「分かんない。トップ3に入ったんですよね。凄い!凄い!。1,2,3位!(と指を折って数え直すぐらい驚いて)
    玉井「どういうことになっちゃったの?という感じ。だって番組でも10位から4位まで発表して、CM挟んでからの3位発表って位置じゃないですか」
    高城「分かんない。本当に数え切れないアーチストさんのいる中から今週私達が3位になったということでしょう。ももクロに関わった全ての人に感謝したい」
    有安「3月から全力で頑張って来ました。皆さんの応援が私の誇りです」
    百田「すごいよね、だって3位って段(表彰台)に乗れるんだよ!」

     メンバーが感謝述べてる間に、高城がほっぺをつねってもらい『夢じゃないんだ』をスタッフと何度もやっていた。「未来に進め!」までの号泣して言葉が出ない状態から次を目指す力強さがメンバーに出てきた。大人たちがデイリー1位を取らせるために必死になっている時に、メンバーはオリコンランキングがウイークリーの数字しか記録に残らないことも理解していた。

    早見「みんな、ありがとう。今日は柄にもなく語ってみたいと思います。
       3月から始まったこのツアー、思えばこの時はまだ中学生だった。
       学校とライブ両方が楽しくて楽しくて本当に幸せでした。
       そして高校生になり新しい生活が始まって
       不安だった……
       でも予想外に楽しいことがいっぱい!
       だけど正直、学校→ライブは辛かった時もあったな。
       みんなの顔見たらその時は元気になれたんだけどね…
       今回のツアーは絶対に休演しないって心の中で決めてたから
       休演してしまった時は本当に悔しくて…
       みんなの優しさに支えられて…
       良い人達に恵まれたなあと改めて感じることが出来ました。
       辛いこともあった。泣いたこともあった。
       だけどそれ以上に楽しかった。心のそこから笑えた。
       このツアーで関わった方、みんなに感謝の気持ちでいっぱいです。
       本当に本当にありがとうございました!
       そしてそして、ウィークリーランキング☆第3位☆
       正直まだ実感ないです。
       だってだってね~
       でもめっちゃ嬉しい。
       もっと上を目指して目標は高く頑張ります!
       ここまで読んでくれて、ありがちょーんo(><)o」  (2010-05-11 )

     ももクロが初めて、多くの人の目に触れるきっかけになったのは、2010年、5月30日に放映された、NHKの音楽番組「MUSIC JAPAN」の「アイドル大集合SP」である。この回は出演者をアイドルに絞り、AKB48、モーニング娘、スマイレージ、アイドリング!!!、東京女子流、バニラビーンズ、ももクロが出場した。この放送の影響は絶大で、これをきっかけに「アイドル戦国時代」という言葉が語られるようになる。
    ももクロはメジャーデビューしたばかりで、知名度的には出演者の中でも最低レベル。
    しかし、百田は「アイドル戦国時代に天下を取ることを目指す」とインタビューで語り番組の収録に臨んだ。
    収録日は5月17日、ちょうどももクロ結成2周年に当たっていた。代々木公園の路上ライヴから活動を始めたももクロが、2年目にしてとうとう路上から眺め見ていたNHKホールに出場を果たすことになった。ももクロは、オープニングアクトを務め、新人グループとしてメンバーの自己紹介も行った。
    ももクロは、その特徴的な自己紹介、キャッチーで転調の多い「怪盗少女」、エビ反りジャンプなどのアクロバットを取り入れたダンスで圧倒的なインパクトを残した。

    201005_MJ.jpg

     また、放送後、その動画や、エビ反りジャンプの画像がネットで広まった。渋谷HMVの副店長だった佐藤守道がMJのときの百田のエビぞりジャンプの写真と「このジャンプがアイドル史を更新する」というコピーが入ったポップを店内に飾った。佐藤はAKB48目当てでMJを見ていたら、一発目にドカンときて、これは本当にやばいなと、やんなきゃと思ったという。評判が評判をを呼び、ももクロのメンバーも川上に引率されて渋谷に見に来た。これが縁でHMV渋谷店閉鎖後に佐藤はスターダストに入ることになる。
     そして、ももクロのライブの観客数は、200人規模から1000人規模へと膨らんだ。
     MJには6万通に達したという観覧応募あった。結成2周年の記念すべきこの日を、応募に落選し客席から声援を送れないファンが仕事を終えて、とにかくNHKホールに向かった。結成2周年のお祝いの大きなホールケーキを持ちよりファンが集まった。ホール正面で会場の外から応援してるヲタは意外と少なく、10人ちょっとでケーキを囲む。きれいな色のろうそくも用意していた。赤、青、黄、緑、ピンク…5本しかない!紫がない!2周年ということで2本だけローソクを立て、火をつける。ハッピーバースデイ歌った。とても美味しいケーキだった。ハッピーバースデイももクロちゃん!2周年おめでとう!ささやかながら、記念日当日に晴れ舞台(の外)で、思い出の場所で、その場にいたファンと一緒に、お祝いができたと思うだけで、皆幸せな気持ちになった。

    「ももクロちゃん来る。ここ来る。ももクロここ来る。」
    「え???」
    「ちょうど出番終わったとこでそこ通って、『そこに他にもファンがいる』と声かけたら来てくれることになった。しおりんが『そっち行きます』って言って川上さんが『じゃあ行きましょう!』って言ったから間違いない!」

     ファンに動揺が走った。本当にくるのか、期待と不安の中でももクロの訪れを待った。

     NHKホールの本館から微かに人の動きがあった。女の子が何人か動いている。ももクロのメンバーじゃないか?こちらに向かっている。こっちを向かって歩いてくる。完全にももクロだ。だんだん早足になって、近づいてきた。走り始めた!6人並んで、こっちに向かって走ってきた。6人並んでまっすぐこちらを見て走ってくる!彼らにとって信じられない光景が迫ってきた。6人並んでまっすぐ走ってくる光景が美しい。みんな嬉しそうに走って、みるみる近づいてくる。最高の笑顔で彼らの目の前に立ち止まる。
     ももいろクローバーだ!
     早見が騒がないように指で「シー」っとやったが、MJの出演で高揚したももクロのメンバーが弾けるようにはしゃいだ。晴れの大舞台を終えて、晴れがましく、清々しく、とても素敵な表情をしていた。玉井、百田、早見が制服で、高城、、有安、佐々木が私服だった。
     近くに外人の女の子がいて、しゃべりかけてきたので、玉井はすかさず「We are Momoiro Clover! Japanese famous idol!」と決めていた。
     百田が「NHKホールには紅白で戻ってきます!」と宣言した。
     「おめでとう」、「お疲れ様」、「ありがとう」、「また一緒に、紅白でここに来ようね!」言葉が交錯し、やがて、ももクロのメンバーが去っていく時が来た。
     夢見心地で見送っていたファンの50mほど先の距離で止まる。ももクロのメンバーが立ち止まり振り返った。

    百田「以上、わたしたち!週末ヒロイン、ももいろクローバーでした!」

     会っていた時は殆ど喋れていなかったファンもこの時ばかりは思いっきり『ありがとう!』と叫んだ。

     実際の記念日から一カ月遅れてSHIBUYA BOXX(キャパ280名)で2周年記念ライブ「最強はももクロがキメル!梅雨。」を行った。1日2回興行だが、チケットの入手が困難になり一部高騰したようだ。メジャーデビューを契機にファン層の入れ替わりが見られた。新しいファンが急激に増えるに従い握手会の時間も短くなり、アイドルヲタと言われる人達が他の新規のアイドルに流れ始めていた。そんなファンをライブ中のトークで早見が客をいじった。

    早見「他のアイドルさんの現場に遊びに行きましたら、いつもうちの現場で見る方たちが、あれ、あれ、思い当たる節がある人がいらっしゃるようで、うちで現場に遊びにきている方たちがアイドル界を盛り上げようとキラキラした笑顔で応援していらっしゃいました。」
    佐々木「頭の下がるおもいです」
    百田「わかってるよ。みんなのこと。ちゃんとわかってるよ。みんな、この手話さないで」
    早見「ファンの皆さん一緒に行きましょう。ピリオドの向こう側!」
    百田「私たち今会えるアイドル!DD大歓迎のももいろクローバーです」と声を合わせた。

    20100626_2周年

     ももクロ2周年記念ライブが終わった後のブログで早見はこう言っている。

    早見「終わっちゃいました。二周年ライブ(^O^)/ 楽しかったね。二年前ー…
       今日やった渋谷BOXXの前にある代々木公園で路上ライブをしてるももくろ見に行ってたな!
       ファンの人の前に体育座りして見てたし(笑)
       そのときから応援してくれてる方は知ってると思うけど…
       ビラ配りで、ももくろのメンバー足りないとき…
       あかりがお手伝い行ったりーw
       たまに踊っちゃったり。
       その時は自分がももくろになるなんて全然思ってなかったー。
       後から聞いた話によるとマネージャーさんにはその気があったらしい。
       知らなかったわ(ω)!
       なんかラジカセ1つでやってたグループがここまで素敵な二周年を迎えることができて
       あかり嬉しす、なんかお母さんの気分(笑)
       とにかく今日はいっぱい踊ったし~ぐっすり寝れそう。
       みんなも早く寝るんだよ!
      じゃあ最後に…今日は本当にありがとうね!!」  (2010/6/26) 

     早見はこの後のブログでもファンとしてももクロを体育座りで見ていた自分を何度も思い返す。まるでそこが自分の原点であるかのように。

    早見「最初はただただ必死だったんですけど、ももクロのライブとかでも楽しむ余裕がほんのちょっとだけ出てきて、周りのことを見られるようになって、自分が思っているアイドル像みたいなものから、自分が全然かけ離れているような気がし始めたんです。他のみんなはステージ上ですごくかわいい女の子でやっているのに、私は自分の思っているアイドルになれなかった。これでいいのかな、私いなかった方がいいんじゃないかなって、少しずつ思い始めたんです。
     自分がアイドルっぽくないな、向いてないなっていう思いは、最初からずっとありました。でも活動自体は楽しんでやっていて、本当に、いろんなことの積み重ねだったと思うんですよ。自分にはもっと違う道があるんじゃないかなって、そう思い始めたんです。」

     早見と百田はお互いの個人のブログでちょっとした続き物の記事を作って交換することがあった。携帯に撮りためた写真を掘り起し、6月27日にブログを立てつつけにアップした。

    早見「衣装のせい?
        ね、リーダー」

    早見2010627-1



    早見「わかってるよ、
        ダメなことくらい」

    早見2010627-2



    早見「でも、やっぱだめだよ
        その手…
        離したくない」

    早見2010627-3



    百田「ねぇ…
        あかりん…
        この手離さないで」

    この手離さないで



    早見「そうそう七夕といえば
        願いが叶う日だよ
        みんな何かお願いした?
        あかりはね~~
        今の幸せがずっと続きますようにって、お願いした
        ライブも学校もぜーんぶ楽しいから
        これがずっとずっと続くといーなって!
        きっと大丈夫だよね」2010/7/7

    早見が脱退宣言する日まで後半年に迫っていた。早見にとって暑い夏が始まろうとしていた。

    2015.01.25 | コメント(0) | トラックバック(0) | ももクロ

    早見あかりとももいろクローバー(2)

    <題2章 自分が自分であるためには一人以上の他者が必要である>

    早見「小さい頃、霊感があったんですけど、大きくなるにつれ、どんどんなくなってきて、小ちゃい頃、言葉も喋れるかわからない頃は、壁と話してたらしくて、お母さんが誰と話してたのって聞いたら、そこに何かがいるから、その人と話してたみたい、でも、あきらかに壁なので何もないみたいな、そこから始まって小学校の頃は形が見えてたんですね、あっ、サラリーマンの人がいるーとか、でも中学生になって、形が見えなくなって、最近は全然見えなくて」

     霊が見えるというのは自分の中の潜在的な不安や違和感が投影されたものを見ているらしい。私には霊感がなくそうした体験をしたことないが、守護霊がユングのいう集合的無意識の投影だとするならば面白い。いつかちゃんと考えて書いてみたい。見るという行為は個人というフィルターを通して見るものだから、早見が観た霊は彼女の中に確かに存在していたと思う。意識というのは無意識という大海に浮かぶ小船のようなもので、お腹すいた、嫌だー、楽しいー、すげーとかいった喜怒哀楽の衝動に子供の頃は翻弄される。何故泣いたのか、笑ったのか、無意識の行動を後付で一貫性を持たせるために意識があるのかもしれない。

    早見「完璧主義者の面倒くさがりという超面倒くさい性格してるから、バリアを張るんですよ、踏み込まないでってオーラを、すごく出すんだと思います。」

    12才のエアロビクス


     早見の特徴的な白い肌と彫の深い目鼻立ちはよくハーフと間違えられた。早見は自分の容貌ゆえに家族以外の他者の間になにかしらの違和感を感じていたと思う。早見を真正面から見られず、つい気後れしてしまい、うまく話せないクラスメート。なんで素直に心を開いてくれないのだろうと思っていたのかもしれない。

    早見「可愛い思い出があるんです。私の初恋は幼稚園の年少さんで3歳のときだったんですけど、その時から、年少、年中、年長さんの3年間好きだった男の子がいて、ずっと好きだったんです。バレンタイデーでチョコとかあげたりしてて、でも俺はだれだれちゃんのことが好きだってことを、その男の子から言われ続けて、でも、まあー、くじけることもなく、一途にその子が好きだったんですよ。最後のバレンタインの時にハートのチョコレートを渡したのかな、作って渡して、そしたらホワイトデーの時に返ってきたんですけど。手紙に『秘密』って書いてある手紙があったんですよ。で、なんだと思ってみたら、『前から、ずっと嘘ついてたけど、前からあかりのこと好きだったんだ』みたいなことが書いてあって、結局3年間両想いだったんですよ。なんて可愛いエピソード、ツンデレですよね。3年間かけてデレを見せるという」

     クラスに綺麗な子がいたとしてもストレートに好きなんて言える男子はなかなかいないと思う。それが他の女の子と明らかに解像度が違うレベルの女の子がいたとするならなおさらだ。その子の周りだけ明らかに違って見える子にどういう風に話しかければいいのか、誰だって躊躇してしまう。早見は言葉の裏にある感情が読めてしまう子なのかもしれない。相手の気持ちに気づきながら仲良く遊んでいたと思う。男の子の精一杯の可愛い抵抗が『秘密』の文字の中にあった。
     人は自分の感情を直接見ることはできないが他者を鏡とすることで自分の感情の輪郭に気づく。ジャコーモがミラーニューロンを発見する前から、笑いが笑いを生み、悲しみが悲しみを連鎖させるように他者の喜怒哀楽の表情や視線を人は自動的にシュミレートしてしまう。こうした感情を伴った表情の模倣は学習の基本であり、赤ちゃんはお母さんの笑顔から感情の表現を自然に学んでいく。自分が自分であるという自覚を持つには一人以上の他者が必要なのだ。

    早見「別にどう思われてもいいやー、この人あたしのこと好きじゃないだなと思ったら、好きじゃないままでいいや、好きになってもらいたいとは思わない」

     握手会でファンが早見に感じる印象で暖簾に腕押しという表現を使う人がいた。当たり障りない会話はハキハキ答えるが、突っ込んで話そうとするとすっとかわされて、推すにはものたりなさを感じたと言う。

    早見「相手がこっちを探り探りきてるなって思うと私も探り探り、いっちゃう。
    でも一気に殻を破ってくれたら自分も心をパッて開きます。
    土足で乗り越えてくるくらいに」

     実家に帰省した時、静かだった田舎家の廊下の向こうから弾けるような声が近づいてきて、いきなり笑い声に包まれる。親戚の女の子達に飛びつかれたような、もう笑うしかないような雰囲気の中心にいるような子が百田夏菜子だ。早見の大人びた眼差しの背後にいる小さな子供を引きづりだし、真正面から水鉄砲を浴びせてウヒョっと笑っているような子だ。早見の感情を映し出す鏡として百田ほど曇りのない鏡面を持つ子はいなかっただろう。どこか頑なだった早見の心を土足で乗り越えてくるくらいに一気に殻を破って百田が笑う。代々木の路上ライブの最前列で体育座りをして、ももクロを見ていた早見は百田や玉井と一緒に演技レッスンを抜け出してビラ配りを手伝いながら、ももクロのそばにいつもいる存在になった。その頃のメンバーで紅白に出ると本当に信じていたのは百田だけだったのかもしれない。静岡の田舎で遠くにある世界として紅白を見ていた百田が代々木の路上の向こうのNHKホールで紅白歌合戦をやっていると知った時、すぐそこじゃん、行ける、行きたいという真っ直ぐ気持ちがももクロを引っ張って、遂にその夢をかなえていくとは誰も思っていなかった。

    早見と百田ー2

     そんな早見や百田に大きな転機を川上マネージャーは与える。川上はももクロのメンバーを二十歳までにトップアイドルにするという目的に持っていた。そのためにはどうしたらいいかを常に考えていた。川上は考えをめぐらした結果がイメージとして浮かび、その画の実現に向けて突進していくタイプだ。だからメンバーに対しても結論だけ言って、とにかくやれと命令口調になってしまうことが往々にしてあった。
     代々木路上のも活動をベースに川上は百田、早見を中心にした画を描いた。メンバーが休んだピンチヒッターとして早見を呼ぶなど、殆どメンバーの一員だったが、メンバーでもない自分がいきなりサブリーダーになって加入することになるとは思ってもいなかった。

    早見「夏菜子ちゃんと言えば、ももクロのリーダーとしてみんなをまとめてくれていますが、リーダー、どうですかー。リーダー、やってて」
    百田「あたし、実はマネージャーさんにいきなり、言われたんですよ、その時いたよね。
    早見「いた、いたー、『夏菜子がリーダーで、あかりんがサブだから』って」
    百田「それで私エッ!ってなったじゃん。(早見:なった、なった)で、なんでって、聞いたじゃん、どうしてって、聞いたじゃん、あたしで、いいのみたいな、すごく思ったわけ。だってさ、性格的にまとめるっていうか、キャーっていう感じじゃん、騒いでる派じゃん。えっ、まとめる?みたいな、ビックリ!みたいな、最初はすごくマネージャーさんに、反対してたんですよ」
    早見「あん時の夏菜子は反抗期だったもん。夏菜子の気持ちも分からなくもなかったから、どうしたらいいのかわからなかったけど、反抗期してたね」
    百田「反抗期。反抗期っていうか、怒ってるんじゃなくて、えっ!ヤダみたいな!えっ、やだよ、わたしみたいな」
    早見「だから、トークとかでももクロのリーダーとか言われるのがすごくイヤで」
    百田「本当にイヤだった。本当に誰かにリーダー、リーダーって言われるのがすっごくイヤで、リーダーって言わないでみたいな、あたしリーダーじゃないって言ってたじゃん。あかりんがサブってのがね、逆だと思ってたのね。なんか、しっかりしてるじゃん。イメージ的に、実際は、まあ置いといて。まとめるっていったらあかりんじゃん。なんでみたいな」
    早見「実際のところ、なんでですか、みたいなことをマネージャーさんに聞いたら。そしたらちゃんとした答えが返ってきたじゃん」
    百田「返ってきた」
    早見「それには納得はできたよね、あっ、そうかもって」

     川上はリーダー抜擢に抵抗する百田を納得させるために静岡の実家まで電話をして説得した。高城がリーダーになることに縛られて思うような活動ができていなかっただけに百田がももクロのリーダーになることが外せない要件だった。リーダーの役割が彼女を作ると思ったし、百田の陽性の魅力を中心に据えてももクロを作ろうとしたのだろう。
    早見のももクロへのサブリーダーとしての加入は百田の反抗期の騒ぎに紛れて、なんとなく決まってしまったと早見は振り返る。
     ただ、突然のリーダー交代劇にそれまでももクロのリーダーだった高城はいつクビにされるか不安で、いきなりクビと言われないように30分前には現場に行くようになってしまったという。高城が早見と出会った当時、怖い人かと思っていたので、メールアドレス聞けなくてどさくさに紛れて聞いたという。

    高城「リーダーに指名された時もリーダー交代を告げられた時も、私には『はい』としか言えなかった。今思えば、それが悔しい。」

     この頃、メンバーを固定できず、頻繁にメンバーチェンジを繰り返していた。藤下から本格的に川上のももクロへ移行するまでの暗中模索の時期だった。最初にいたメンバーで残ったのは高城だけで、藤下が中心に考えていた高井つき奈はSKE48に移籍し、2008年11月23日に飯田橋ラムラで早見はメンバーとして佐々木彩夏と共に加入した。
    早見のももクロに加入、百田のリーダー就任は彼女達の中で大きな転機になったと後に述解している。2008年12月末に 伊倉愛美、藤白すみれ、和川未優が脱退したクリーミーカフェとして結成した。2009年3月に柏由紀奈が脱退して最大9人いたメンバーが5人となった。

    2008_ももクロ

     新体操の百田夏菜子、競技エアロビクスの早見あかり、タップダンスの高城れに、機械体操の玉井詩織、クラシックバレーの佐々木彩香、ダンスのジャンルが違って素養も性格も違う5人だったが身体能力が高いメンバーに集約されていく。そして、川上のイメージしたももクロはEXILE系のダンスユニットEXPGの特待生だった有安杏果の加入する翌年に完成する。

    川上「ももクロの育成には、プロレスラーが新人から一流に育っていく過程を参考にしています。新日本プロレスの若手は『ヤングライオン』というのですが、彼らは見栄えのいい、派手な技は使えないんです。使うと先輩に怒られる。大技を使わずに、基本的な技だけ使って、感情と感情のぶつかり合いを見せていくことで観客の共感を得ることを求められる。これはももクロも同じです。路上でやってる時もそうだし、ステージで繰り返し体験させられるのもそうだし。ヤングライオンたちは、下積みの時期を経て、どんな試合でも組み立てられるプロレスラーに育っていく。それと同じように『等身大のももクロ』から『エンタティメントを見せる』ももクロに成長していく、というイメージは最初から持ってました」

     最初は歌を歌わない口パクのエアーアイドルでいいじゃないかと川上は思っていた。スタッフもメンバーもアイドルとしてどうやっていくか手探りの状態だった。彼女達が成長するには月2回程度のライブではあまりにも遅すぎると川上は考えていたのだろう。ただ、都の条例が変わり代々木の路上で音を出すことが禁止され、音が出せる場所を探した。飯田橋ラムラという70人程度のイベントスペースで月一回公演を行い、BLT主催の新人アイドルのGirlsWoodstockのイベントは只で場を提供してもらえるだけに必ず出演した。安くて音を出せる場所がなく捜し続けた。その頃の川上にとってアイドルのお手本になるのはAKB48しかなかった。毎日のようにライブができる場所がほしかった。少しずつだが客がつき始め飯田橋ラムラでも入りきらなくなっていた。
     地上、地下を問わずヲタ達から次第に注目を集めるようになっていた。ももクロに対する彼らの印象で共通するのは解像度が違うということだ。やってることは女子中学生レベルのパフォーマンスだが、何故、こんな可愛い子がこんな所にいるのかという驚きだったという。ライブの最後の挨拶の後に深々と頭を下げたまま「アンコール!、アンコール!」と手を叩きながら頭を上げる玉井の姿に『なんだかよくわからないんだけど、すげーもんが始まってるなー!』と衝撃を受けアイドルヲタ人生の最後をこの子達とかけようと思った人もいた。

    ももいろパンチ

    早見「早見あかりのコンプレックスは、この異常に広い肩幅です。本当に肩幅が広いの、でね、17年間この肩幅と生きてきた、生きてきた筈なのに自分の幅がわからないの、だからこの道行けるなという細い路地を通ると基本的にぶつかるんですよ、肩に、ガンって、あっ、また、肩、みたいな」

     正式にももクロに参加した早見は自分がアイドルであることに違和感を感じるようになっていた。百田のようには素直に感動できない、笑えない、それは自分の肩幅以上のコンプレックスとなった。

    早見「ワーみたいな、嬉しい!みたいな、この花キレイ!みたいな、そういうテンションの演技がすごい苦手で、多分、早見あかりとして生きてて、そんなに”ワー”みたいな感じの感情が、そこまで、多分ないんじゃないかな」

     早見はコマーシャルフォトの表紙が初めての仕事で新津保建秀に出会った。スターダストの事務所で早見とすれ違った時の印象をこう語っている。

    新津保「少年のようだった。雰囲気がいつも撮ってる人と違ってたので印象に残った」

    コマーシャルフォト表紙

     また、新津保は撮影中の早見のことをこうも評している。

    「撮影のリズムがすぐに理解できる。撮る人がどんなものを撮りたいかわかる。
    過去撮影した宮沢りえ、小泉今日子、宮崎あおいのような撮影の空気に素早く
    溶け込む適応力がある。」

    早見「新津保さんに写真を撮ってもらうようになったことも、早見あかりってなんだろうって考えるきっかけになりました。初めて撮ってもらったのは中学2年生の頃で、その時はももクロの活動を始めていて。ももクロの写真を撮る時は『アイドルの顔をしなきゃいけない』っていうものがあって、『ちゃんと笑わなきゃいけない、アイドルとしての自分を作らなきゃいけない』。だから、『笑顔になれない時も笑わなきゃいけない』。でも新津保さんとの初めてのお仕事で、その作り笑顔をした時に、『笑わなくてもいいよ』っていわれたんですよ。『無理に笑わなくてもいいよ、そのまま自然体でいいよ』って。新津保さんにそう言われたことがきっかけで、笑いたい時に笑うっていう、そういう写真の撮られた方もあるんだって気付きました。」



     2009年始まってすぐにHappy Music RecordsからCDを出さないかという話がももクロにきた。CDデビューの話を進めていく内にレーベルの親会社がヤマダ電機だと分かった。音を出せて安くライブができる場所を常に探していた川上は親会社がヤマダ電機と聞いて店頭スペースでライブができる筈だと思いつき、是非やらせてほしいと頼みこんで実現にこぎつけた。その発想と行動力はすさまじい。CDをリリースした後で、そのCDを売るためにツアーを行うのが普通だ。昔の演歌歌手がレコード屋の店頭でみかん箱の上で歌い一枚一枚レコードを売ったと同じことを電気屋の前でやろうとした。東京での認知度すら全くないアイドルグループがシングルCDを発売する3カ月前から全国ツアーをやるという発想は、音楽業界の人間からは出なかったし、無謀ともいえる計画だった。川上にすれば全国にあるヤマダ電機を回れば地方にも認知しもらうきっかけになるかもしれないと思ったという。結成から1年でやった公演数が25公演しかなかったグループが3か月で4倍の100公演以上を行うのだ。CDの予約券を1枚1枚手売りする旅にでる。ツアーを始める前にメンバーの親を呼んでレコードデビューに対するツアーの説明と協力を呼びかけた。

    川上「ツアーで販売した予約券の累計枚数がオリコンの順位に反映されます。ここで上位に入って知名度を上げるプロモーションを考えているので、よろしくお願いします」

     川上はインディーズデビューをメジャーデビューと勘違いしてメンバーや親に説明している程、CD販売の知識に疎かった。ただ、毎週、必ずライブをやる、いろんな現場を踏むという体験がももクロのメンバーを育てることになると信じて疑わなかった。
     車は沢尻エリカのマネージャーをしていた頃買った8人乗りのトヨタのグランビア(イタリア語で「偉大な道」)、機材車は女性マネージャーの古屋智美が運転手、プロモーターのバイトとして雇われイベントの司会とかやっていた福田幹大(FKD)が同行した。スタッフ4名、メンバー5名でツアーを始めた。

    全国ツアー

    川上「ツアーは当日入りが基本でした。例えば盛岡に行くときは、前日の金曜日夕方に学校が終わってから集合して、東京を出発。盛岡に午前3時頃ついて、僕達も仮眠を取った後、その時間から営業している健康ランドみたいなところで風呂に入る。そこでさっぱりして、ヤマダ電機に10時に入る。たいていこんなスケジュールでしたね」

     朝の10時にヤマダ電機に入り、イベントをやるスペースでリハーサルをやる。昼食後の1時からインストアライブを開始する平均13.8歳のツアーが始まった。ライブが終わったら、予約券を買ってもらった人と握手会を行う。それを1日3回繰り返し18時過ぎまで公演を行い、銭湯に行き、夕食、そして次のヤマダ電機のある土地へ車で移動。毎週、金曜の夜から日曜の夜まで繰り返す。彼女達からすれば毎週のように部活の合宿を知らない土地でやっているような感じがあった。

    百田「お弁当は1回600円までって決まってたんですよ」
    玉井「コンビニにお弁当を買いに行ったときに5人で3000円を渡されて。お会計のときに100円オーバーしちゃって100円をもらいに行ったら『それで収めるんだよ!』と言われて……」
    佐々木「気づいたら私のシュークリーム(150円もした)がなくなっていました」

     ももクロに食べ物に関するエピソードはつきない。一人600円までという食事代はももクロがブレークしてからもずっと続いた。博多では初めてもつ鍋とか連れて行って、ムチャおいしかったとかそんな他愛のない話を楽しそうにメンバーは覚えていた。

    早見「『ももいろパンチ』のツアーの時は、1日3回公演で各公演が3曲ずつとかでした。たぶん、1日トータルで9曲しか歌ってなかったんですよ。アンコールを入れても10曲とか。それで疲れたって思っていた。でも今やってる公演は1回が10何曲とかあって、それを1日3回やるからトータルで30何曲も踊ってるわけですよ。知らぬ間に体力はついてたなっていうのはすごく感じます。」

    偉大なる道

     最初の頃は3曲でへとへとだったが、それが4曲になり、ツアーが終わる頃は5曲になった。ピンクの着物の衣装の上にヤマダ電機の黄色の法被を着て踊った。東京を拠点に高崎、宇都宮、水戸、山梨、名古屋、盛岡、仙台、浜松、京都、大阪、神戸、広島、博多、札幌等全国を回った。遠征に泊りがけできてくれるファンの方がいるため曲を変えたり、あーりんのご当地豆知識、ももクロちゃんに質問コーナー、子供向けのじゃんけん大会等の余興を交えながら『名前だけでも覚えて帰ってください』と新規の客に声がけをした。
     
    早見「車中泊することも多かったんですよ。何時間も車の中でぐーと固まった状態で寝てるから、マネージャーさんに『着いたよ』って言われて、ワゴン車から出てきた瞬間に足がプルプルしちゃって、生まれたての小鹿みたいになってて、だからライブの方が元気でした。『やっと手足が伸ばせる』みたいな感じで。」

    ワゴン車

     車の中の座席は前の席が早見と佐々木、後ろの席が高城、玉井、百田にいつのまにか決まっていった。佐々木の家は躾が厳しく夜更かしができない反動か、初めて家を離れた興奮のためか、皆が寝静まった後の車中で、DVDを見たり、とりとめのない話を早見にしていた。小学校を卒業して中学生になったばかりの佐々木の話に早見は夜遅くまで付き合っていた。その頃のことを覚えていてくれたのがうれしかったと佐々木は早見の思い出として振り返る。

     ETCを使えば高速にどこまで乗っても1000円で時期があって、その恩恵をフルに使い新聞にETCツアーという自分達の記事が出るとETCアイドルのももいろクローバーですと挨拶したり、宣伝できるものは何でもつかった。テレビは百田の地元の静岡放送だけだったが、地方のラジオ局にツアーで遠征した時に積極的に出演した。
     ツアーの途中で何度も早見が辞めるという噂が出た。思わせぶりの重大発表で肩すかしの発表をすることが多く【早見あかりの辞める辞める詐欺】とファンは言っていた。早見のビジュアルがももクロの入り口としての果たした役割が多く、早見がいないとただのアイドルグループになってしまうと危惧するファンが多かった。ただ、この頃の早見はいつ辞めてもおかしくない状況だった。40度の熱を出して7月だけで3回も体調不調で公演を休んでいる。特に夏休みに入ってからは終末ヒロインから毎日ヒロインに変わりツアーは過酷さを極めた。7月17日から28日までの11日間、8月1日から16日までの16日間休みもなく、家にも帰れずぶっ通しでツアーを続けたのだ。私も学生を辞めた頃、友達のバンドの北海道ツアーに同行したことがあるが、狭い車での移動はかなりつらい。さらに客が集まらないと落ち込む。それでも疲れが取れない車中泊だけはしたくなかった。
     ただ、中学生の彼女達にとってはそれしか道はないと信じていた。雨の吹き込むヤマダ電機の軒先で踊り、ライブ中に突然音が止まっても歌い、照明がなく車のヘッドライトでライブをやり、車の中で身を寄せ合って疲れ切って眠り、時々車中で勉強をし、笑い、銭湯に行き、ふざけ合い、いちゃつき、夜に伸びるヘッドライトを飽きることもなくみつめ、うっすらと開いた眼に朝陽を感じながらツアーを続けた。

    早見「ももいろパンチ、あー、もう無理って思ったもん。」
    百田「でも、あれはももクロにとって一番必要なツアーだったよね。なんか、なんていうか、あれがなかったら今のももクロはないよね。すごいツアーだったよね、あれは。なんか、車が家にみたいになって」
    早見「最初、酔い止め飲んでたのに、その内飲まなくても大丈夫になったよ。
    あの時、めっちゃデカいのにさ、めっちゃ風邪とか熱とかでてたじゃん」
    百田「あかりん強くなったよね」
    早見「人間成長するもんだなと思った」

     早見はツアーを通じて確実に成長していた。何度も本気で辞めようと思ったのかもしれない。ツアーが始まる前からボイストレーニングが始まっていた。川上が新宿厚生年金会館でBerryz工房のしっかりとしたパフォーマンスを観て、ちゃんとしなくてはと思って始めた。ただ、ボイストレーニングも早見のコンプレッスクを増やす原因にもなった。

    早見「私はすごく声が低いんです。音楽の授業でも合唱は好きで、ソプラノの裏声は出るんですけど、地声で高い声が出ない。ももクロに入っても、周りのメンバーのキーが高すぎて、なんとか薄ぅい声で付いていくのが精一杯だし、いくら歌を練習しても披露できないというか、歌っても自分の声が聞こえない。ソロパートもずっともらえなかったし。『私が歌っている意味があるのかな?』みたいなことを思ったりもしたことがありました。
    そんな時に、ラップのある曲をカバーすることになって、スタッフの方から「あかりん、ラップをやってみたら」と言われたんです。曲のCDをもらって家に帰ったその日から、ラップ以外のところは練習しなくてもいいやっていうくらいに、ひたすらラップを練習しました。ラップなんてもちろんやったことないし、いっぱい英語が並んでたからまったく意味がわかんないんですよ。とにかく聴きまくって、英語のつなぎ方の特徴とかもカタカナに起こして何回も繰り返し練習して。練習しすぎて、お母さんに『うるさい!』って怒られましたね。でも、『やっと自分の声が出せる!』って。必死でした。」

     デビューシングルCD発売の前日8月4日に重大発表があるから絶対来てくださいと早見はアナウンスをしていた。ファンが「あかり本当に辞めるの」と真剣に聞いても「ちょっと、それは言えません、言いたくても言えないから、とにかく絶対8月4日にきてください」と早見が言うだけだったのでファンは危機感を強くした。
    8月4日、ももクロのライブの定番曲になる「ツヨクツヨク」「words of mind」を早見のラップをつけて初披露した。早見が辞めたら、ももクロは終わるのではと思っていたファンに「早見ラップを始めました」は肩すかしの発表だったかもしれないが、早見にとってすごく重要なことだった。
     この頃、早見は自分の自己紹介をMEGAあかりんからクールビューティーに変えた。小柄な子が多いももクロの中ではでかいと思っていたが、165cmってそんなにでかいわけじゃないからMEGAはもういい、どうせハーフと言われるなら、英語喋れないけど喋ってやろう、クールビューティーだからファンとの掛け合いは必要ないと思って変えたという。

    My smile will change the world. (笑顔が世界を変える)
    You decide my future. (あなたが未来を決める)
    Can't stop. (もう止まらない!)
    ももクロのクールビューティー、早見あかり。
    中学3年生の14歳です。

     この自己紹介には、ももクロでやっていく上で早見の覚悟が込められているのではないだろうか。アイドルらしい笑顔が苦手で、日本人なのにハーフなのといつも聞かれるのが嫌で、歌のソロがとれない自分からの訣別。アイドルとしての作り物の笑顔ではなく早見なりの笑顔で自分の世界と未来を変えていくのだという決意があった。

     8月5日にデビューシングルのオリコンディリーランキングがLABI品川大井町店で発表された。
    「祝!!!!!!オリコン11位、やばーい、、、やばすぎる(・∀・)
     本当にありがとうございます♪
     ここまで来れたのはファンの皆さん、事務所の方、家族、メンバー、色々な人たちのおかげです(*'-')
     最後の挨拶でも言ったとおり口では大きな夢を語っていたけど正直きついかなって思ってたの……
     これが本音、だけどね
     11位だって聞いて一瞬、時が止まったかと思った(*´д`*)
     奇声を出してしまった…
     クールビューティーでありながら、笑
     でもそれくらい本当に嬉しかったの!
     そしてその後の握手会、ほとんどありがとうとしか言えなかった
     でもこれが本当の気持ちです^^
     11位まできたらもう1桁行くしかないよねっ(〃▽〃)
     どんどん上を目指そう↑↑
     これからもももクロは、止まらない★ミ
     みなさんよろしくお願いします!!
     あーそうそうスタフェス番外編
     あかりにとってラップデビューの記念すべき日
     みなさんいかがでしたか??
     これからもクールビューティー極めるぜっ、笑
     よろしくう↑↑↑
     ちぇけらっ」2009-08-06 (Thu) 00:4(早見ブログより)

    オリコン11位

     手売りの予約券の販売数が約2000枚。オリコンウイークリーランキング23位、初週の売上枚数が4167枚だった。無名のアイドルグループが3か月間休みなくライブを続けた結果だ。当初の販売予定日が印刷ミスで2週間伸びてしまったため公演数も膨れ上がり110公演を超えた。1公演あたり約20枚、2万円、1日あたり6万円の売上で、スタッフ4名、メンバー5名でやってきた。毎日の売上をマネージャーから聞いていたメンバーは現実を知っていた。20位以内に入るのが夢だった。CDを買っては何度も握手会に並ぶファンをみていた。100枚以上買ったファンが何人もいることも知っていた。川上が一番客の少なかった公演はとインタビューで聞くと横にいた早見が広島と即答した。数人でも客がいてくれさえすれば嬉しかった。
     Perfumeのインディーズデビュー時、オリコンウイークリー107位、売上枚数1018枚だ。そこからメジャーデビューも含めて順位も売上も伸びなかった。レコード会社から契約を打ち切られる寸前までいった。そこから彼女達を救ったのは地道にCDを買い支えたファンの思いだった。
     ももクロがインディーズデビューを手売りだけで達成した数字がいかに大きなものかわかると思う。

     LABI品川大井町店の店頭で百田はデイリーランク11位と書かれた紙を抱きしめたまま涙で感情があふれ何も言えなくなっていた。皆、口々に泣きながら支えてきてくれたファンにお礼を言った。

    高城「一年前から、色々やってきて、1年前からのファンの方とか、全国ツアーを通してファンになってくださった方とかいろいろいると思うんですけど、オリコン20位以内に入るのが夢で、何回も並んでくれたり、CDを何枚も買ってくれたり、ライブ中に声援をかけてくれたり、それがすごくうれしくて、こういう結果になったのも今まで応援してくれたファンの皆さんのおかげです。ありがとうございます。これからもがんばります。」

     全国ツアーが終わった後、ももクロのメンバーは久しぶりに2週間近く休息をとった。百田のおばあちゃんの家にまず玉井が遊びにきた。そして玉井と入れ替わりに早見が遊びにきた。

    百田「おばあちゃんの家の近くの川はね、富士山の湧き水が湧いてできてるのっ!!!!!!!!!
     そこに詩織と入って遊んでたらなんとっ!
     野生の金魚がー!!!
     めったに見れないんだよ!! 野生の金魚っ♪
     詩織タイミングいいなぁ~
     前にもお母さんが見つけてお家につれて帰ってきたんだぁ!
     野性だから結構強いの(≧∀≦)」

    野生の金魚

    早見「人生初!!!! 川でめだかとった^^
     かなこすぐ とれるのに(・・;)
     あかりめっちゃ時間かかったよー↓
     けど一匹だけとれたからあっー
     超嬉しい( ´艸`)」

    20090826.jpg

    百田「帰っちゃった(´・ω・`)
     新幹線ホームまでお見送りっ!!!!」2009-08-26 (Wed) 21:03

     野生の金魚達の束の間の休息が終わった。
     ももクロChanはもう止まらない。

    2014.12.10 | コメント(0) | トラックバック(0) | ももクロ

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