スポンサーサイト

    上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。

    --.--.-- | スポンサー広告

    ストーリーを書き出す

    人はストーリーなしでは生きていけないものかもしれない。
    過去と今の自分をつなぎ、今の自分の存在の根拠を持つのにストーリーが必要だからだ。
    昨日の自分は物理的には今日の自分と同じではない。日々、何百万もの細胞が死に再生されていく。
    どこからどこまでが昨日の自分と同じでどこからが、新しい自分なのか誰もわからない。
    ただ、過去の自分と今の自分が同じ人間であることを否定する時、疑いを持つ時、非常な苦しみを伴って人は自己をさいなむことがある。だから今の自分の存在を証明するストーリーが必要なのだと思う。
    30年前の私と今の私は全く別の人間に見えるかもしれないし、全く同じで変わらないと人はいうかもしれない。

    30年前の私は中野にあった寿荘という風呂なし、共同便所、3畳間家賃8千円の小汚いアパートに住んでいた。寿荘には矢崎さんを筆頭にいろんな映画関係の友達が群れ集まっていた。
    その頃、大阪からやってきて寿荘にころがりこんでいたフクちゃんはという人がいた。アパートの正式な住人ではなかったが、朝にはインターナショナルを朗々と歌い上げ、大家があんた何をやってるんですかと問われて、このアパートは我々の解放区で口出し無用と答え、堂々と家賃も払わず居候していた。フクちゃんは本当に憎めない面白い人で私の映画「RETURN]にも出てもらった。ある時、大阪出身の町田町蔵がフクちゃんを兄貴と慕って訪ねてきて、フクちゃんがコンコンと説教をたれているのはなんとなく可笑しく微笑ましかったのを覚えている。町田康が10年後に芥川賞を取って小説家として食っていけるようになるとは、その頃思ってもいなかった。そういえば保坂もその頃、寿荘にいた連中を「プレーンソング」に書き、群像でデビューした。「草の上の朝食」という続編を出し野間文芸新人賞もとった。私も小説の登場人物になっていたので受賞パーティに呼んでもらいタダ飯にありついた。その後、保坂も芥川賞をとったので寿荘は小説には縁があったのかもしれない。
    映画関係の人間が住んでいた割には、皆がゴロゴロしてもだえているだけで結局誰も映画を撮らなかった。唯一、私がとった「RETURN」が寿荘にいた頃撮った映画といえるかもしれない。
    「RETURN」が私の最後の映画になり、アルバイト気分で入ったコンピュータの仕事がいつのまにか本業になってしまった。昔の仲間からはよくぞ更正したと言われるが、なんとなくキモチがもぞもぞする。
    この映画に出てくれた佐々木やトモちゃん北村君は今でも現役の映画監督、脚本家、ミュージシャンでやっているがせめてもの救いかもしれない。




    「応答せよ」

    応答せよ、近しき者よ
    応答せよ、遠きに心のあるものよ
    応答せよ

    精霊の如くに水は流れ
    地下道を流れ
    黒い地球の底を流れ
    片端な心の底を流れ
    銀河への道を流れ
    人々の干からびた心に降り注ぐ
    いつの日か、それは

    応答せよ、近しき者よ
    応答せよ、遠きに心のあるものよ
    応答せよ
             (森永憲彦)

    スポンサーサイト

    2012.08.07 | コメント(1) | トラックバック(0) | 映画

    映画の記号と象徴

    仕事が忙しく、毎日、息子と大航海時代のオンラインゲームをやっていた。
    やっと仕事も一息ついたので少し記号と象徴(シンボル)について考えてみた。

    記号というものを考えてみる。私にとって天皇は日本の歴史を映し出す記号にすぎない。
    第二次世界大戦を経験した人には生々しい感情を呼び起こす象徴だったとしても、私には歴史の彼方で言い古された記号として天皇を意識するように、学生運動や日本赤軍も今の人にはある時代を表す記号でしかないのかもしれない。何か喉につかえ、いがらっぽく感じる言葉がある。いつのまにか時代の象徴として、その時代に生きた空気を吸うことで感情を持ってしまった言葉。
    今の時代を生きる人にとって「3.11」や「福島第1原発」がそんな言葉であり、どこか感情の痛みを伴う時代の象徴になってしまったように思える。
    原発推進派の人が「原発が爆発したって誰一人死んではいない」と言う言葉に神経をブツリと断ち切られるような痛みと怒りを覚える。隠蔽された死体のイメージが津波の映像と共によみがえるからなのだろうか。
    「第1原発」という言葉もいつしか時代の記号としてとらえる人の方が多くなる時代がくるかもしれない。
    ただ、朝のコーヒーや通勤電車のような記号として意識される言葉も、ある時代を生きた人には感情の奥底をつき破るシンボルとして意味をもち、もう一度記号としてではなく一つの時代にあった空気の象徴を蘇らせるものの一つとして映画があるのではと思う。
    私にそういった映画を作る力がまだあるかはわからないが、昔撮った映画を見直すと私の中にあの時代の空気が息づき始める。
    小林秀雄の朋友、青山二郎が言うように「一度人をみたら人が自分の中にとける。一度牛乳を飲んだら、一度肉を食ったら、一度酒を飲んだらーーー自分の血の中にそれらがとけるように、精神も受けただけのものは自分の血肉にとける」
    そしてとけたものが今の私をつくっている。

    「爆BACK」がぴあで入賞しパチンコで生活していた頃、友達の山崎とクミちゃんと飲んでいたら二人から私の次の映画がみたいと言われた。
    じゃ、山崎はカメラ、クミちゃんが主演でどうだと言ったら二つ返事で「いいよ」と答えたので、じゃ明日から撮るぞと2日くらいで撮った映画だ。
    パチンコに勝つのも飽きていたのでパチンコで稼いだ金で撮った。
    「あたし達ってパチンコ玉みたいだね」というセリフが友達の脚本の中にあって、気に入っていた。
    いつかパチンコ玉みたいな男と女の映画を撮ってみたいという気持ちがあったからだろう「PATINKO」というタイトルにした。
    「山崎、影だ影を撮れ」とわけのわからないことを言って、誰もどんな映画を撮っているのか、知りもしないでよく協力してくれたものだと思う。
    おかげで2年連続でぴあに入賞した。
    30年前のこの古い映画に今の人はどういうストーリーを読み取るのだろうか。



    私がこの映画に込めた影のストーリーはありふれた男と女の3角関係の話だ。

    ある男が友達の女を寝取った。
    衝突と怒り、だから、それがどうしたというのだと男は言う。
    気取るんじゃねえ、小林秀雄じゃあるめいし中原中也の女を取って自慢するんじゃないと男は反発する。
    そして、寝取られた男は自らがシンパシーを寄せる団体に身を投じ横浜の地で客死する。
    女は結局、彼を追って東京に行く。彼女が東京で死んだという風評が立つ。
    友達は死に女に去られた男はポツンと打ち捨てられたように札幌にいて家庭教師とかやっている。
    そして札幌に帰ってきた女と思いがけない再会をする。
    彼は相変わらず同じように同じ風にアパートにいたというのに滑稽な再会。
    パチンコ玉ようにあちこち弾け出会い、別れる男と女。
    彼は友達も彼女のことも好きだった。
    彼と彼女が自分にないものを持っていると感じていたから。
    彼の友達が時代の空気の中で馬鹿げた死を遂げたことに苛立ち、自らを責め、
    もう一度、その時代に立ち向かってみようと決心する男。

    尊王攘夷の志士、226事件の青年将校、日本赤軍の学生兵士、オウム真理教の信徒、主義主張は全く違っても時代の空気の中でシンボル化され、そこに身を投じる人間達、そこに自己の唯一の救いがあるかのように。
    そうしてクローズアップされた人々の影で誰に知られることもなく道半ばで、バカな死を遂げて行った無数の人々。
    例えば、今の時代であれば原発廃止の徒かもしれない。
    原発のデモに参加するのでは飽き足らず、フクシマ50に続けとばかりにドンキホーテのように原発作業者に身を投じる男がいるかもしれない。
    放射能にまみれた瓦礫の処理を黙々とこなす男。
    誰からも認められず、誰に誉められるわけでもなく、いつしか労働するのが億劫になる身体を引きずり、
    酒に酔い、雪の舞う深夜、突然前のめり倒れ、心筋梗塞で死ぬ馬鹿な男。
    放射能とは直接の因果関係なしと新聞の片隅にのる男。
    そういうストーリーだって考えられるのではないだろうか。
    既成の宗教や思想ではなく、別の何かで救われたかった男の話。

    私はこの映画を撮ることで、時代のシンボルに殉じるドンキホーテになることもなく、今を生きながらえている。

    それが良いことか悪いことかはわからない。
    ただ、私にとってあの時この映画を撮るにこと必要なことだったと今でも思う。
    そういった意味でも山崎やクミちゃん、手伝ってくれた仲間達、そしてこの映画を見て評価してくださった観客達に感謝している。

    2012.07.19 | コメント(2) | トラックバック(0) | 映画

    爆BACK ダイジェスト版

    ≪2011.10.30記載≫

    昔の私の映画を見たいという人がいて、30年前に作った映画(PFF1982)をYouTube用に15分に再編集してみた。
    20才の頃作った映画で今見ると気恥ずかしくてまともに見れない。
    ただ、見直して見ると随分いろんな人に迷惑をかけてたんだなと思って驚く。
    高校の教室をどうやって借りて撮影したか覚えていない。
    放送室や教室を使って撮影したのでなんらかの学校側の許可を得たのかと思うが、どういう名目で生徒を集めて撮影させてもらったのか記憶の彼方だ。
    自動車を横転させたり、いろんな無茶を当時やりまくったので、多分いろんな人に迷惑をかけたと思う。
    ただ、出演してもらった高校生達ももうすぐ50才になるのかと思うと感慨深い。彼らはこの日の撮影を覚えているだろうか。
    結局、どういう映画を作りたかったのか当時、私自身もよくわかっていなかった。いろんな意味で整理ができずに混乱していたと思う。
    映画を撮り終わって自分の映画監督としての才能のなさに絶望し、それでもなんとか自分の映画にしたいと思って編集で悪戦苦闘した。
    表現としては稚拙ながら何か引っかかるものがあったのだろう、長谷川監督から推薦してもらいPFFに入選できて正直救われた。
    寺山修司さんも死ぬ前に私の映画を見てくれて推薦してくれたのも本当にうれしかった。
    PFFに入選していなかったら、その後、映画を撮ることも、長崎監督に誘われて東京に出ることもなったと思う。
    コンテストに参加する側も審査する側にも出会いがあり、時には人の一生を変えてしまう力があったりもする。
    改めて再編集して気づいたのは高校生の頃、愛読した金芝河の詩集「不帰」かの引用が多いということだ。
    朴正熙政権から弾圧を受け獄中生活を余儀なくされ、サルトルや大江健三郎らによる国際的な釈放要求が湧き上がっていた頃だと思う。高校の頃は背伸びして高橋和己や大江健三郎を読んでた気がする。
    私の前の世代に対するなんだかよくわからない憧れと反発があったのではないだろうか。
    作中でルポライターの男に
    「思想を物語ったとしても、たった一人の人間の生活を変えられるわけではない、それならば、むしろ・・・」
    と語らせて主人公を裏切らせるシーンはその反映かもしれない。
    以前の映画ではいろんな雑多な思いが未整理でよくわからなくなっていたところを字幕で補足してみたので、オリジナルよりわかりやすくなっていると思う。
    後、ルポライターの男に語らせる金芝河の詩は、当時、これこそが今の日本の姿だと思っていたが、今もさほど変わっていないのではと思った。本質的なもjのは何ひとつ変えようとしない国が日本なのかもしれない。


    明方2時はあいまいな時間だ

    寝込むことも
    水で顔を洗うことも
    本を読むこともできない

    空想を巡らすには疲れすぎ

    起き上がって 
    うろつきまわるのは
    ひどく気恥ずかしいな

    何かを食べるのは近所にすまなく
    何かをつぶやいているのは私そのものに
    あまりにも恥ずかしい

    さりとて黙っていることもできず
    何もすることができない
    明け方2時なんだ

    あいまいな時間
    この時代だ  (金芝河)


    爆BACK ダイジェスト版
    (http://www.youtube.com/channel/UCaIzLPKpU0_464yh3jlg-AQ/)

    2011.11.02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 映画

    «  | ホーム |  »

    FC2Ad

    プロフィール

    ノッチ森永

    Author:ノッチ森永

    カレンダー

    03 | 2017/04 | 05
    - - - - - - 1
    2 3 4 5 6 7 8
    9 10 11 12 13 14 15
    16 17 18 19 20 21 22
    23 24 25 26 27 28 29
    30 - - - - - -

    つべこべ

    アクセスランキング

    [ジャンルランキング]
    音楽
    2407位
    アクセスランキングを見る>>

    [サブジャンルランキング]
    動画
    43位
    アクセスランキングを見る>>

    つべこべON

    現在の閲覧者数:

    検索フォーム

    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード

    QR


    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。