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    九九の解法

     50を過ぎると年々物忘れがひどくなる。誰かに会っても顔は思い出すが名前を思い出せない。学生の頃からノートをとると記入したことに安心して何も記憶に残らないと想いノートをとったことがなかった。学校の勉強は授業が始まって5分で予習して授業の終わりに復習と宿題をやっていたのでノートをとる必要もなかった。それが最近はミーティングしても記憶が欠落し危い。その内、九九を失念し計算も覚束なくなる日がくるのではないかと思う。小学生の頃は九九を覚えるのは嫌でしょうがなかった。なんで、こんなものを覚えなければいけないのか疑問だった。計算が嫌いだった。こんなわかりきったことを何度も同じように繰り替えさえなければならないのか、面倒くさいし、うんざりだと小学生の頃思っていた。ところが九九が思い出せないことが想像できない程、いつのまにか九九が頭の中にしみついて離れないような気がしている。だからこそ九九の記憶が欠落するのが恐い。自分の中にブラックホールができるように気がして怖いのだ。何れその日が来る前に九九に頼らずに日常的な計算に支障をきたさないようにしたいと思う。たまにはアイドル以外の記事もいいのではないだろうか。

     掛け算も割り算も足し算と引き算ができればできる。ただ、答えに辿りつくのに少々時間がかかるだけだ。だったら、暗記に頼らずに九九の答えを導き出せればいいわけだ。それも答えを出すのになるべく時間をかけずにやる方法を考えとけばいいのだ。
     九九を図式化すると以下のようになる。高校時代の友達が小学生の教材として作ったものだ。これを見れば掛け算が足し算の集合であることがわかると思う。
     九九とは81個の計算結果を暗記することだ。1の段は除くと72個だ。
    小学校の九九の場合2×3と3×2も暗記させるため不要な計算式も暗記させられていた。こういう不要なものを除くと本当は36個の答えを暗記すればよいことになる。

    トライアングル

     では九九の暗記なしで簡単に答えを導く方法を下記の図を基に考えてみよう。
     1の段は計算する必要がないので除くことにする。
     赤く塗りつぶした2の段は単純に同じ数字を足すだけだ。(2×n=n+n)

     ここで桁上がりの概念を持ち込んでみよう。
     図の黄色の領域は9×n=10×n-nで表せる。10倍は0を追加するだけなので容易にできる。
     9×9は90-9=81、8×9は80-8=72・・

    トライアングル2

     次に青く塗りつぶした5の段である。
     10倍して半分にすることを考える。5×n=10×n÷2
     半分にするのは直観的に答えが出しやすい。やってみればわかる。
     nが奇数の場合は下一桁が5になり、nが偶数の場合は0となる。
     90の半分は45、80の半分は40
     上記より1、2、5、9の段を制覇した。残りは15個だ。

     ここでこれまで計算した結果を利用する。
     オレンジの部分の3の段は3×n=2×n+n
     黄緑の部分の8の段は8×n=10×n-n-n
     深緑の部分の4の段は4×n=10×n÷2-n
     6の段は6×n=10×n÷2+n
     最後に残った7の段は7×7しか残っていない。どこの地点からも遠いのでここだけ
    7×7=10×7-3×7=49となる。

     こういう風に計算することを覚えておけば仮に九九の記憶の欠落があっても少し気持ちを落ち着かせ(I can do it!)、多少時間がかかっても計算できるのではないだろうか。記憶の喪失は記憶そのものがなくなるわけではない。記憶に辿りつく経路を見失ってしまうだけだから。

     ここで余計なことも考えてしまう。九九の表には0の段が出てこない。0段を入れるとこの九九の表が成り立たなくなるのだ。
    まず、0×n=0とはどういうことだろう。足し算と引き算で表してみる。
     0×n=n-n=0と表せる。ただ、0がからむと自然数から整数の世界に拡張して考えなくてはならない。nと同じだけ負数(-n)が存在することが前提となるからだ。0は自然数に負という地平を必然的に追加してしまうのだ。
     問題は0の割り算である。プログラミングで0の割り算をやるととんでもないことになる。昔、アメリカ海軍の巡洋艦の制御プログラムにバグあって0の除算やったがために制御不能となり2時間カリブ海を漂流したことがあったという。例えばx÷(1-f)でfの値がたまたま1となるとプログラムが強制終了してしまうようなことが起こる。
     何故、0で割ると答えがでなくなるのか。例えば10個のリンゴを2人で分けるとすると5個だが、0人で分けるとはどういうことなのだろうか。10個のリンゴを存在しない人(死んだ人間)で分割するととしよう。子供の頃、仏様に蜜柑とかお供えしているのを見て食べられないのにお供えしてどうするんだろうと不思議に思っていた。結局、お供えしたものは死んだ人間とは別の他者が分割するだけだとわかった。お墓にお供えすればカラスとかが食べるし、家の仏壇にお供えすれればお供えした後、家人がありがたく頂戴することになる。結局実数で割ることになるがその実数が予めわからないから(カラスか何匹なのか、家族や親戚は何人なのか)計算不能となる。
     0÷nはnが無限にある以上、計算不能の問題は世界中に無数に転がっている。だから人間には宗教というものが必要なのかもしれない。

     ここまで文系のずぼらな頭で考えてきて九九の解法も面倒くさくなったので、ももクロの動画を掲載しておこう。この動画にはももクロの魅力が詰まっている。彼女達にはゼロ除算なぞ、なんの矛盾も問題もないように思えてしまうから不思議だ。この動画は何回見ても飽きない。


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    2015.06.14 | コメント(1) | トラックバック(0) | 雑感

    ローレンツのハト

    <序章  ローレンツのハト>

     深い緑に沈んだ肌合いの砲身を、真っ青な空に佇立させ、自衛隊の戦車が並んでいた。車体の幅が3mはあろうかと思う、狭い一般道を走れば、白いガードレールをアメのように曲げ、黄色い対向車用のミラーをなぎ倒していくだろう。戦車の放列が並ぶ下で自衛隊員が談笑している。緊迫感はない。和光市にある陸上自衛隊の広報センターで息子のHiroはプレーリードックのようにちょこんと頭をもたげたかと思うと、戦車を覗き込み、見入っていた。

     前回、ブログを書いてから随分期間が空いてしまった。兵器オタクの息子に強引に連れられて陸上自衛隊にやってきた父親が、「ローレンツのハト」について思いを巡らす文章を書き進めている内に「こりゃ終わんねーし、重くなるな」と思った。

    「ある種類の動物がその進化の歩みのうちに、一撃で仲間を殺せるほどの武器を発達させたとする。そうなったときその動物は、武器の進化と平行して、種の存続をおびやかしかねないその武器の使用を妨げるような社会的抑制をも発達させなければならなかった」

     刷り込みの研究で知られるコンラート・ローレンツが「ソロモンの指輪」でオオカミの闘争を例示して社会的抑制力について語っている。

    「年長のオオカミは、そのおそろしい口を若いほうの首すじすれすれに近づけている。そして若い方は、頭を垂れ、体の急所中の急所である首すじを、まったく無防備に敵をさらしているのだ。皮膚一枚をへだてて太い静脈の走っているうなじから、わずか3センチもはなれぬところには、だらりとたれた舌の間に敵の牙が光っている。(中略)だが、勝った方のオオカミは、この状況のもとでは、まずけっして噛みつくことはない。見ていればわかるとおり、彼は噛みつきたいのだが、それができないのだ。」

     この抑制は、降伏者の方が「服従の姿勢」をとっているだけしか続かないが、種の存続を脅かす殺戮を未然に防いでいる。

    「自分の身体とは無関係に発達した武器を持つ動物が、たった一ついる。したがってこの動物が生まれつき持っている種特有の行動様式はこの武器の使い方をまるで知らない。武器相応に強力な抑制は用意されていないのだ。この動物は人間である。」

     それでは自分の持つ武器に対する抑止力が欠落した動物がどういう行動を起こすというのだろう。
     ローレンツはアフリカ産のジュヅカケバトの雌とヨーロッパキジバト雄との交雑種品種を行うために広い籠の中に入れて用を足すために2、3日留守にしている間に事件は起きた。

    「キジバトは籠の一隅の床に倒れていた。その後頭部と首の後ろ側、さらに背中じゅうが、尾の付け根にいたるまで羽毛をむしりとられて丸坊主にされていたばかりでなく、一面に皮をむかれていた。この赤裸の傷口のまんなかに、もう一羽の平和のハトが『踏みにじられた』相手の傷をなおもたえまなくつつきまわしていた。倒れているハトが最後の力を振り絞って逃げ出そうとおきるやいなや、ジュズカケバトはすぐに押し倒し、やわらかいはずの翼で相手を床に打ちのめす。そして再び冷酷きわまる、いびり殺しの作業にとりかかる」

    ローレンツのハト

     争いに負けたハトは、広い自然界の場合、逃走することで悲劇を回避し自己防衛をおこなうことができる。ただ、ストレスがもとで集団内に争いが生じ、しかも弱者に逃げ場がないような時こういう悲劇が発生してしまう。
     世界の至る所で、子供達の学校というテリトリの中で、家庭の中にも、「ローレンツのハト」が存在している。ちゃんと書いてみたい題材だったが、そんな話をブログに書いてもしょうがなし、書くのがシンドイなと思ってブログの掲載をやめた。

     ところで、BABYMETALに「イジメ、ダメ、ゼッタイ」という歌がある。最初聞いた時はストレートすぎる歌詞にちょっと引いてしまった。「ヘドバンギャー! !」は中元すす香(SU-METAL)の15の夜に痺れて注目していたのだが、MCがなく紙芝居仕立てで、なんとなくヤラサレ感があった。
     だが、ライブをやる中でどんどん3人が成長して楽曲もファンと共に成長してく様は驚異的でさえあった。バックバンドもカラオケから骨バンド、カミバンドへと分厚くなっていく。中元すす香の透き通って伸びやかな声、水野 由結(YUIMETAL)、菊地最愛(MOAMETAL)のハッチャけたダンス、武道館、LONDON公演のライブビューイング、サマソニに行ったがどんどんよくなっているように思える。特にロンドン公演は現地ファンの盛り上がりがすごく、ここまで世界を巻き込んでいるのか驚いた。15才の女の子達の可能性の発露に圧倒されたのだ。
     ロンドンのSonisphereフェス7万人ともいわれる観客の前で不適に笑ってみせた中元すす香には驚かされた。特に印象に残っているのはロンドン公演のライブビューイングで前の席の中学生と思える女の子が興奮して、来てよかったと何度も繰り返し、カッコいいと目を輝かせ泣いていた姿だ。オッサン共が騒いでいるだけではなく、同世代の女の子からも既に憧れる存在として彼女達は君臨しているのだ。

    Babymetal_-_Giles_Smith.jpg

     田舎の炭鉱町で育った私は、15才の頃、何をやっていたのだろう。一番の思い出は学芸会のクラス対抗の芝居の脚本・演出をやったことだ。中学1、2年の頃は芥川竜之介の小説を原作にして芝居を作って好評だった。図にのった私は芝居をやるんなら、やっぱりオリジナルじゃないとつまらんと「悪政」という芝居の脚本を書き、クラス全員を出演させて七転八倒した記憶がある。

     江戸時代の農民一揆の話だ。
     税の取立てが厳しく生活に喘ぐ農民達、容赦なく取り立てようとする下っ端の武士達、「こちとらだって内職で大変なんだ」とぼやく。そこに現れたのが水戸黄門に扮した殿様だ。水戸黄門漫遊記の熱狂的なファンである藩主が自分も善政をしてやろうと嫌がる部下に角さん助さんの扮装をさせて、密かに領地を見回っている。教科書とした漫遊記の通りにやろうとするがなかなかうまくいかない。やっと、農民を苦しませているらしい現場を押さえた藩主は意気揚々と印籠を取り出し平服させる。
     ご満悦の殿様の前で土下座していた下級武士達は、どうせ死ぬんならと、農民に味方するんだと殿様に切りつける。あわてて教科書の漫遊記を調べ出す殿様達を血祭りにあげてしまう。こんな奴らが威張ってるから駄目なんだと農民達に一揆を促す。
     ところが、「お前のせいで父ちゃんは首をつったんだ」という子供の声でお前らのことなんか信用できるかと下級武士達は農民達に殴り殺されてしまう。気勢を上げる農民達に一発の銃声が鳴り響く。
     いつのまにか銃を持った藩兵に農民達は包囲されていたのだ。
     (暗転)
     舞台で子供達が遊んでいる。子供達は印籠を見つけて印籠ごっこを始める。そこにナレーションが流れる。
    「藩主病没と幕府に届け出、徳川家の血筋を養子に迎えることで藩の重役達はお家安泰を図った。
     謀反を起こした武士達は閉門。農民達は代わりに来た下級武士達に虐げらる生活が続いた。
     そして、何事もなく悪政は続いたとさ」
     そんな芝居だったと思う。小学校の夏休みの自由研究で10m以上ある日本史の年表を作ったことがあって政権の勃興期で新しい制作を次々と打ち出す期間は意外に短く、腐敗、停滞、混乱の時期の方がずっと長いんだと実感した。政治って実は悪政は常態なんだと善政が奇跡なんじゃないかと子供心に思ったのがモティーフだったのかもしれない。
     芝居を見ていた生徒達には結構受けた。殿様達が切られた時に、血の代わりに何メートルもある赤い布を腹からへろへろ出したりするところとか爆笑をとった。ド素人のクラスメートに台詞を覚えてもらうのは大変と台詞を減らし、アクションシーンを重点においた。これで芥川を超えたと本気で思っていた私は、クラス対抗で一番受けていたこともあり、絶対1位だと思っていた。
     結果は教師からテレビドラマのマネばかりしている芝居があったと酷評され何の賞もとれなかった。それまで作文とか絵とか、何か作れば賞状をもらうのが当たり前だった私は正直へこんだのを覚えている。
     水戸黄門やドリフターズぐらいしか見たことがなかった中学生が作った芝居にしては図式的ではあるが、結構よくできていたと思う。自信作だっただけに二度と芝居なんかやるもんかと15才の私は思った。結局、大学に入ってから性懲りもなく映画をまた作ることになるのだが。15歳という年齢は何もできないかもしれないが、ひょっとすると輝ける未来を作る原動力になるか時期なのかもしれない。丁度、私の息子も15才でもあり。そうした子供達に大人ができることはなんだろうとか最近思う。

     15才頃の子供の成長というものを書いてみたい。
     青の子と呼ばれ、ももいろクローバーというアイドルグループを15才の時に脱退し女優への道を選択した早見あかりという女の子がいた。紅白、そして国立を目指したももクロ、そのももクロを1ファンとして応援を続けながら、大学進学を止め、女優業に専念して、やっと今年、映画やテレビの主演、NHKの朝ドラの出演と女優としてブレークし始めた19才の早あかり。

    早見とももクロ

     調べ始めると、ももクロの資料が膨大にある。特に動画が膨大でライブのDVDだけで1年に5本以上出し、毎週一回あるももクロChanという看板組だけで3年分(150本)以上あって、まだ全部見終わっていない。どう整理していいか迷っている内に2万字以上の記事がたまってしまった。ももクロはアイドルグループという枠ではとらえきれない魅力がある。ももクロの黄色担当で、つるんとしたゆで卵に涼やかな眼を乗っけたような玉井詩織はももクロのことをこう言って大人たちを挑発する。

    玉井「ロックも演歌もパンクもメタルも混じったのがアイドルだし、その全てを超えたものがももクロだと思うので」

    38d31231-s.jpg

    次回から早見あかりとももクロについて書いていきたいと思う。

    2014.09.01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 雑感

    息子という彼のこと

    昨年は息子のことを面白く感じた一年だった。
    自分を生きなおしているような人間が身近にいることの驚きといった方がいいかもしれない。

    彼の不器用さを私は愛しているのかもしれない。
    息子は自分で納得がいかないと動けない不器用な男だ。
    学校の課題も気に入った言葉が見つからないと家に持ち帰ってウンウンうなっている息子の不器用さが好きだ。

    彼が幼稚園に通っていた頃、道端で走っていて転んだことがあった。
    家内が「痛いの、痛いの、飛んでけー」というと
    彼は「痛いのって、どこに飛んでいくの」と聞く。
    「うーん、お父さんかな」
    「お父さんに飛んでいったら、お父さんが痛いの」
    「ウーン、リュウ君から痛いのが飛んで行った分、痛いのかな」
    「それじゃ、イヤだな」
    「じゃー、お空の向こうに飛んでけってのはどう」
    「お空に飛んでいったら、誰かが痛いの」
    「誰か知らない人が痛いのかも」
    「それじゃ、やっぱり、イヤだな。だったら痛いのは飛んでいかなくていい。我慢するからいい!」
    自分の痛みは自分で引き受けるしかないということをこの年齢でわかるようになるのかと思った。
    「痛み」を客体化して見れるのかと感心したことがあった。

    森進一が勝手に詩を追加して歌ったのが許せないと「おふくろさん」の歌唱を禁じた作詞家がいた。
    森進一が謝りに行っても会ってくれないことを取り上げたワイドショーを家内が見ていたときのことだ。
    「何これ?」と彼が興味を示したので一緒に見ていたという。
    色々と聞いてくるので適当に答えていると
    「や、本当はこのおじいちゃんの方が可哀想なんだよ。
     謝るというのは、許してもらいたいと思ってるから、一方的に謝ったって駄目なんだ。
     許すって言ってくれないと謝ったことにならないから。
     許すって、タイミングがあるから。
     許してくれといわれる程、許せなくなるんだ。
     だから、許したくても許せない、このおじいちゃんの方が可哀想なんだ」
    彼が許せないことの悲しみを知っていたかどうかはわからない。
    ただ、作詞家にその頃死んだ自分の爺さんの姿を重ね合わせて見ていたのかも知れない。
    家内の親父は戦時中は戦艦金剛に乗船し、戦後は自衛隊で働いた。
    退官後に東京海上火災に勤め、怒ると皆が首を竦める程怒鳴った。
    婆さんと家内にはいつも癇癪をおこされていたが、不思議と私と息子には怒らなかった。
    息子が散歩についていくといつもアイスキャンデーを買ってもらっていたらしい。
    彼なりの視点で爺さんに好感を持っていたのではと思う。
    許すことが苦手な爺さんのことを。

    小学4年生の頃「ナルニア物語」という本を読んで読書感想文を彼が書いたのを読んだことがある。
    ナルニア国という魔法の世界のすばらしさや美しさを述べた後、魔法の国がどんなにすばらしかったとしても
    現在の生活を選ぶという。
    「僕はこの地球という星に生まれ、横浜の日吉という町に育ち、友達や家族とで会えた。
     たとえ、魔法の国がどんなにすばらしい世界だとしても、これから大変なことがあるかも知れないけど
     僕が住むこの場所で友達や家族と笑ったり、ケンカしたりすることがすごく大切なことだと思うから、
     僕は魔法の国より、ここに生きることを選ぶ」という
     空想と現実の違いをこの年齢ではっきり認識できるようになるのかと思った。

    そして、6年生の卒業文集の作文を読んだ。
    彼は将来、お茶の先生になって、海外に日本の文化を紹介する人になりたいという。
    お茶の素晴らしさをわかってもらうことは難しいけど、お茶を飲み干す清涼感を伝えられたらという。

    意外だった。少なくともお茶を教室に行かせたこともないし、彼がお茶の世界がわかるとは思わなかったからだ。
    そういえば、朝、しきりに家内に抹茶を要求した時期があったなと思い出した。

    外国人が一番理解できない日本文化はお茶の世界だと聞く。
    日光東照宮などが一番外国人にわかりやすく人気だそうだが、狭い部屋でみすぼらしい茶器を賞でる世界は正体不明らしい。
    ドナルドキーンが第二次世界大戦の真っ最中に源氏物語を読んで衝撃をうけたようなことは滅多におこらないと思う。
    殺伐とした雰囲気の中で、戦争という気配が一切見えない源氏物語の世界に引き込まれたという。

    日本は平和な国だ。2000年という長い歴史の中で海外の国に占領されたのは第二次世界大戦しかなかったという稀有な国である。
    隣の朝鮮は近隣の中国や日本から蹂躙される歴史を刻んできた。
    韓国の不幸は隣国が中国だったことかも知れない。

    彼がお茶というメタファーを使って日本文化を紹介する大使たらん思ったかはわからない。
    ただ、学校の先生は理解してくれなかったみたいで、お茶を習ったこともないのに卒業文集として書くのはおかしいと言われたらしく、カチンときてお茶の先生をやめて歴史学者になるという風に書き直した。
    学習塾で素晴らしい先生に出会って歴史が大好きになったという作文に書き直した。

    人は育てたようにしか育たないし、育てようとした風には決して育たないものだと思う。

    彼には多様性と多面性に世界が満ち溢れ、自分自身はその多様性の一部にすぎないこと
    自分を尊重してほしかったら、他者の意見を尊重することからしか始まらないことを理解してもらえたらと思う。

    後、親父である自分に何ができるか考えた時、結局、私にできることはたった一つだけだかなと思う。

    息子が成長し、仮に人殺しをして私の前に現れたとしても、
    理由を問わず最後まで彼の味方になれる人間になりたいと私は思う。

    P1020326.jpg

    2012.02.08 | コメント(2) | トラックバック(0) | 雑感

    ハードボイルドな家政婦ミタ

    最近、評判という「家政婦はミタ」を見た。
    トルコから帰ってきたら息子が録りためていたビデオに付き合わされたのだ。
    私はテレビドラマは基本的に観ない。
    時々、客へのおもねりがミエミエの演出のドラマを見せられると腹が立ってしょうがなくなるからだ。

    息子と一緒に片手間に観始めると、どうも最終回のようで、これまでのダイジェスト版から始まった。

    なるほど、これが今の時代はこれが受けるんだと妙に納得した。

    ハードボイルドな家政婦がホームドラマに中に突っ立って歩いている。
    ハンフリーボガードのように苦悩を表情の後ろに隠して、承知しましたと突き放すように返事する家政婦ミタ。
    ゴルゴ13のように後ろに人が立たれるのを嫌う家政婦ミタ。

    最終回のせいか、ちょっと冗長で、もう少し、カッコ良く終われたのになと思ったが面白かった。

    まず、女囚さそりの梶芽衣子を思わせる表情を崩さない松嶋菜々子に驚いた。
    松嶋菜々子も子供を産んで、こんな表情ができるようになったんだと思った。
    多分、ラストまで笑みを見せずに終わると見せかけて、どういう風に笑みの見せ場を造るのだろうかと思った。

    まあ、終わってみればこんなものかなと思うが、このドラマに毎回魅せられた家内や息子の気持ちがわからないではない。
    震災による終戦跡の気分、甘ったれたホームドラマは見たくないし、恋愛ドラマも見たくない。
    「おしん」の心を持ったハードボイルドな女の表情と感情を抑え丁寧なようで硬質な言葉を聞きたい気分なのだろう。


    58d5f4ffb8f504bf1569a9a3e35d75d1.jpg

    2011.12.26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 雑感

    パソコンの死

    ≪2011.9.7記載≫

    2週間前から停止を繰り返してきた私のパソコンが昨日から何度起動してもビープ音がなるだけで起動しなくなった。
    当初、ブルー画面が出て停止した時はビデオカードがおかしいという内容だったのでビデオカードを交換した。
    1日程度はなんとか動いたが同じように停止を繰り返しブルー画面を表示して死んだ。
    ビデオカードを取り外しオンボードのビデオチップで起動したが半日程度は動き、停止する時間が頻繁になり、ついに動かなくなった。
    思えば3カ月くらい前からビデオ画面を表示中に停止突然停止するという前兆があった。
    まあ、私自身の肉体がいつか遠くない日にお陀仏になるのはこんな感じなのだろうか。
    おかげで動画も作成できず、来週末に新しいパソコンが届くまでは息子に上げた10年以上前に買ったパソコンを使って細々とメールをチェックしてる。

    最近、山本七平氏の「私の中の日本軍」と石原吉郎氏の「石原吉郎詩文集」を読んだ。どちらも戦時中の体験に深く根ざした本だ。
    山本氏はフィリピンのジャングル、石原吉郎氏はシベリアの抑留時の収容所生活という違いはあるが、どちらにも共通しているのは飢餓だ。
    山本氏は腐りどろどろになった残飯を貪り食う、やせ細り腹だけ異様に膨れた餓鬼の姿をした昔の上官の言葉に胸を打たれたという。
    「手が勝手に動くんじゃ、どうしようもならんのじゃ」
    多分、もうじき死んでいく人間に残された微かな理性の火、飢餓の中で動物と化し、自分の手足すら理性で制御できない悲哀というもの。

    石原氏は収容所で二人一組となり食事を分け合う同伴者との憎しみに満ちた食事を丹念に描写する。
    わずかな食事を平等に分けられたかを監視しあい、豆一粒さへ無言の糾弾となる<共生>生活。
    「人間はすべて自分の生命に対する直接の脅威として立ちあらわれる。しかもこの不信感こそが、人間を共存させる強い紐帯であることを、私たちは実に長い期間を経て学びとったのである」

    肉体を制御できないような環境では死を考えることすら贅沢なのだろう。
    私はこれまで飢餓を経験したこともなければ、死を弄ぶ贅沢を持ったこともない。
    多分それは幸せな時代に生まれたことの証明なのかもしれない。
    ただ、遅かれ早かれ、やってくる死というものに対する距離感は確実に短くなっている。

    膝を組み代えるだけで
    ただそれだけで
    一変する思考がある
    世界が変わるとは言わぬにしても
    すくなくともそれに
    近いことが起こる。
    ささやかな動作が
    もつ重さを
    ときにおそれるために
    生まれてきたのではなかったのか

    私たちは
            (石原吉郎)

    2011.11.02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 雑感

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